気の向くままに

山、花、人生を讃える

藤井美和さんの話

2019年12月21日 | 人生

先日書いた『突然の恋』を読み終わり、昨日から『小さな奇跡』(谷口純子著)というエッセイ集を読み始めた。そして次のような感動的な記事があったので、紹介させてもらいます。

 

それは「藤井美和」という人の話で、この方は現在(2007年頃)関西学院大学准教授で、死生学・スピリチュアリティ研究センター長をされているとのことである。

 

この藤井美和さんという方は大学で法律を学び、卒業後は新聞社に就職し、その頃はまだ少ない男女平等の仕事に就くことができ、やり甲斐のある仕事を任され、充実した日々を送っていたそうだ。ところが会社に就職して6年目、仕事に脂がのってきた28歳のとき、突然頭痛と手の痺れを覚えたそうである。

 

そして「3日」というほんのわずかな期間に、指1本動かず、瞬きさえできない全身麻痺の状態になったとのこと。それは藤井さんにとって全く思いがけない出来事で、病院に運ばれ、麻痺が進む中で死に直面し、「私の人生は何だったのだろう、何のために生きてきたのだろう」と思ったそうです。

 

そして、自分の28年の人生を振り返ったとき、お金や社会的地位、名誉や財産など目に見えるものを求めて、多くの時間とエネルギーを費やしてきたが、死に際してそれらは何の助けにもならないという事がわかったそうです。また、自分はこれまで人のために何かしただろうかと、自分中心の人生を振り返り後悔したそうだ。バリバリ仕事をすることが、自分のためにも会社のためにも役に立つことだと思っていたが、知らず識らずのうちに自己中心的な生き方になっていたと気づいたとのこと。

 

病院に運ばれたその日のうちに麻痺は呼吸筋に及び、息をするのも苦しい中で、藤井さんは祈ったそうだ。

 

「神さま、もう一度生きるチャンスを与えてください。もう一度命が与えられたら、今度は人のために何かしたと言えるような、そして本当に喜んで天国に行けるような、そんな生き方をしたいのです」

 

こうして、泣きながら祈ったその晩、進行していた麻痺が止まった。が、その翌日、主治医からは「もう死にませんよ。けれども、一生寝たきりか、良くて1年後に車椅子に乗れたらいい方です」と言われたそうだ。

 

だが、藤井さんはその後、奇跡的な回復をし、半年後には杖をついて退院し、2年後には関西学院大学に学士編入し、更にはアメリカのワシントン大学で5年間学び、博士業を取得して現在に至っているとのこと。そして、この話は藤井美和さんと双子の妹である里恵さんとの共著『魂のケアー・病む人のかたわらに』という本に載っているとのことです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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