気の向くままに

山、花、人生を讃える

ある社長の体験談

2016年02月20日 | 信仰

 1月にある誌友会に出講した折、とても品がよく、顔の肌が赤ん坊を思わせるような柔らかそうな肌をした80歳位の人がおられました。興味を覚えた私は、座談会になった時に、「失礼ですが、幾つになられるんですか」と聞くと、「80歳」と答えられ、「生長の家はいつからですか」と尋ねると、生長の家に触れた経過をぼつぼつと話してくださいました。その話に耳を傾けている時、会場主の奥さんが、その80歳になる方が書いたという、平成18年の「大愛知」新聞に掲載された記事をコピーして見せてくれました。

 新聞ですから字数に制限があり、ごく簡単に書かれていますが、とても良い話なので、ここにその記事を紹介させてもらいます。以下は、その80歳になる人の体験談の記事です。

 

 合掌 ありがとうございます。

 小学校入学の前後より母から生長の家の話を折に触れ聞かされるようになりました。聞かされていた当時は、「また生長の家か」の心境で、ほとんど聞かされるたびに逃げ出していました。あれから約60年が経ちましたが、真理の講話を聞く折に「ああ、この言葉は母から聞いたことがある」と思い出し、不思議な有難さを感じます。またそれが根幹となって、私のような天の邪鬼の性格ながら、困難に出会うたびに救われてきました。そのいくつかを思い出しながら概略をお話しさせていただきます。

 最初は20歳頃に「癲癇」に罹りました。この頃は真理をほとんど知らず、ただ『生命の実相』を薦められるまま、第1巻と2巻を繰り返し繰り返し読み続け、数年で全治しました。しかし後ほど気が付きましたが、母が影で真剣に祈ってくれていたお陰が大でした。

 次に約10年後「糖尿病」に罹り、医師から「かなり悪化しているので、一生、完治は無理」と宣告され、「即座に入院せよ」とのことでしたが、「それっ」とばかり飛田給の一般練成を受け、帰宅したあくる日の病院での検査では、完全に消滅していました。

 次は「うつ病」でした。私が勤めていた会社の社長(現在は私が社長をしております)が最初にこの病気になり、信仰の大切さを多少知っている私が救わねばと思い、また大変尊敬していた社長なので、休日を問わず、また昼夜も問わず、一途にお世話しました(後日、自殺されました)。が、ついに自分が罹り、約半年間1日平均4時間ぐらいしか眠れず、悪い時は、1週間一睡もできず、さすがにこの時は母に助けを求めたところ、すぐ自分の許に来てくれまして、朝と就寝前に母の先導で神想観を行ない、2日目の朝の神想観中に私の眼から涙というより、大量の水が流れ始め、その瞬間から完治しました。

 次に「胃癌」。後に岐阜の教化部長を務められた○○本部講師に薦められ、手術前に宇治の一般練成会に参加し、今まで以上に真理を吸収できたお陰により、これも医学上は奇跡と思われる治癒で完治。以後約20年、信仰のお陰で風邪ひとつひかず、お腹も壊さず経過しています。

 私は7人兄弟の末っ子ですが、恐らく兄弟の中で一番多く困難に遭いました。しかし、信仰深くなり一番幸せであります。事業の方も信仰のお陰で経営困難な繊維業界にあって、一度も赤字になったことがなく、その都度アイディアを授かり導かれてきました。私は今72歳ですが、これからも人さまのお役にたてるよう使命に邁進して行きたいと決意しています。

 

 この方は、いろいろ困難にもあったと書いておられますが、80歳になったその顔からは、一つも苦労をしたことがないような、赤ん坊のような素直さ、純真さを感じさせる顔をしておられて、しかも社長までしておられたということが、少し驚きでした。

 ちなみに、1年前ですが、ある誌友会に行ったら、二人の年配者が来ておられて、あとで話を聞くと2人とも社長をしていたとのことで、しかも一人は、社名を言えば誰もが知っている大企業の社長をしていたとのこと。そして今は○○市の福祉協議会会長をしておられるとのことで、あとで、冷や汗をかいたことでした。

コメント
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