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気の向くままに

山、花、人生を讃える

困った時の神頼み

2010年05月19日 | 人生
「困った時の神頼み」という言葉は、あまり良い意味では使われない。

しかし、本当は困ったときほど神頼みをするべきなのである。
何故なら、困ったときほど「わたしのもとへいらっしゃい」という神様からの呼びかけであるからだし、
また自分にとっても、困ったときほど真剣になれるからである。

こういうのを「碎啄同時」と言われる。
雛が卵から出る時期が熟したとき、親鳥はそれを察知して外から卵をつつき、同時に雛も内から卵の外に出ようとするのである。

だから、こんな場合、祈りの効果は通常に増して大きい。

人間は順調に行っている時には、とかく神には振り向かないものである。
また自分で何とかできると思っている間も、自分で何とかしようと頑張って、やはり神が視野には入ってこない。
だから困ったときほど、心を神に振り向けられるチャンスだし、「困ったときの神頼み」はこのチャンスを生かすことになるのである。

これは信仰のあるなしにかかわりない。
神は誰にでも答えてくださるのである。
問題は人間の側にあるのだが、困ったときには真剣になれる、自分という我を捨てられる。完全に棄てられなくても気にすることはない。ともかく心を神に振り向け、「神様助けてください。良いように導きください」と祈り、全託するのである。
すべてはそこから始まり、そこから道は開かれるのである。

「困った時の神頼み」を決して笑ってはいけない。
困ったときこそ、窮地に陥ったときこそ、神様がいっそう強く「いらっしゃい」と呼びかけていられるのであり、また、無意識にせよ、自分自身が(魂)がそれを求めている時であるから、必ず道は開かれてくるのである。

今、困っている人、窮地に陥っている人、
心の中で、「神様助けてください。良いようにお導きください」と叫んでみてください。
それだけでも、きっと何かが違ってくるはずだと思います。