常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

京都還幸でない帰京

2009年03月29日 | 独り言

ネットでニュースを見ていたら、「天皇陛下が帰京」なんていう見出しがあったので、てっきり京都にでも戻られたのかと思いました。いやいや、そりゃ違ったです。

そこで、あらためて、ウィキペディアで「東京奠都」などという項目を読んでみたりしました。ウィキに記載によると、「東北の平定が未だに行き届かないこと、諸国の凶作、国費の欠乏など諸々の理由で京都への還幸を延期することが京都市民に発表された」らしいですが、未だに延期されている理由は、なんじゃろか・・・。

ある方に対して、明治維新時にあったとされる南朝クーデターの話をしたら、足利氏こそ逆賊だと叱られた・・・という話も聞きます。たしかに義満あたりでは、だいぶいろいろあったみたいですが、歴史とはなかなか面白いものです。

このブログでも、一時期、議論を重ねた話でもありますが、私自身、どうしてもこうした説を否定することができんのです(「責める前に学ぶこと」参照)。

明治初期の遷都やら奠都には、大久保利通が深く関わっているらしいですが、麻生さんは、このあたりの真相をどこまでご存知なんでしょうかね。

ま、私としては、どっちでもいいと思っています。もし、明治維新時の南朝クーデターを論って逆賊云々の話をするのなら、大化の改新という一大クーデターまで遡るだけのことなので・・・(「日本建国史の再考」参照)。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人声ランキング

2009年03月27日 | ランキング

「R25」のなかにある美人声に関する記事で、2008年度・女性声優人気ランキングなるものが掲載されていました。

順位 声優名 代表的な役
1位 堀江由衣 成瀬川なる(ラブひな)、月宮あゆ(Kanon)など
2位 水樹奈々 赤夜萌香(ロザリオとバンパイア)など
3位 田村ゆかり 古手梨花(ひぐらしのなく頃に)など
4位 平野綾 涼宮ハルヒ(涼宮ハルヒの憂鬱)、泉こなた(らき☆すた)など
5位 茅原実里 長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)、南千秋(みなみけ)など

当たり前のことながら、皆さん、とても有名な声優さんばかりです。ただ、この表自体、単なる人気ランキングで、とくに美人声のランキングではないようです。そこで、私なりに、「美人声ランキング」を考えてみました。

順位 声優名
コメント
1位 大原さやか
自分にとってのダントツの美人声っ!お人柄も大好きです。
2位 ゆかな
とにかく演技がものすごく幅広くて、美人声も断然いけるイメージ。
3位 佐藤利奈
「みなみけ」や「明日のよいち」での「きれいなお姉さん」の印象がグッドです!
4位 田中理恵
声も声ですが、実際に美人ですし・・・
5位 沢城みゆき
割と男っぽい役が多いようにも感じますが、絶対に美人声だと思います。
番外編 能登麻美子
ちょっと独特かもしれませんが、これはこれで・・・。
特別編 戸松遥
ごめんなさいっ!単に個人的に非常に気になる声優さんなのです。

ところで、さっきまで「ルパン3世」と「名探偵コナン」のキャラが共演するかたちで、「カリオストロの城」みたいな雰囲気のアニメが放送されてました。こうした作品同士が融合するような試みは、非常に面白いと思うし、今後もどんどんやって欲しいところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それ拾いましたっ!

2009年03月25日 | 日常

「まりあ†ほりっく」の最終回、何やら知っている人たちが・・・?


「うん?誰??」


「これは・・・もしや!?」

「彼らでしょ?」

これは、「フレッシュプリキュア!」の3人じゃないか!?

深夜枠のアニメを見ていて、ニチアサのキャラに出会えるとは思いませんでした。視聴者層的に、なかなか被らないと思うのですが、制作スタッフの方々は、これを出しちゃったのですね。

拾う人もそんなに多くないように思うのだけど・・・。私、それ拾いましたっ!

※さんざん著作権について記事を書いておきながら、こうした画像を掲載することは、著作権者の方々に叱られるべきことなのかもしれません。著作権者の方々、すみません。もしNGでしたら、即刻削除いたしますので、ご一報くださいませ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールスターズですっ!

2009年03月20日 | ヒーロー&アニメ

本日、「プリキュアオールスターズ DXみんなともだちっ奇跡の全員大集合!」の初日でした。もちろん、行って来たわけです。

本作品は、現在放送されている「フレッシュプリキュア!」の3人に加えて、「ふたりはプリキュアMaxHeart」のなぎさ、ほのか、ひかり、「ふたりはプリキュアSplashStar」の咲、舞、「Yes!プリキュア5GoGo!」ののぞみ、りん、うらら、こまち、かれん、くるみ・・・ということで、総勢14人が登場してしまうという豪華版です。前回のプリキュア映画では、本編の前に歴代プリキュアが登場するショートムービーがあり、それだけでも結構楽しかったのですが、それが本編になるということで、私としても非常に楽しみにしておりました(「実現した「夢の競演」」参照)。

端的に感想を言えば、非常に面白かったです。

こういう作品で、「歴代プリキュア全員集合!」みたいなことが売り文句になると、そこばかりが先走って、ストーリーを含め、結構作品全体の質が落ちてしまうのではないかという懸念もしておりましたが、まったくそういうものを感じることはありませんでした。純粋にプリキュアの映画としても楽しかったし、歴代プリキュアの競演という目玉要素も、最大限に活かされていて、とても満足のいく仕上がりでした。

以下、極めて簡単ですが、ポイントです(ネタバレ注意です)。

■変わらぬ世界
まず、それぞれ歴代プリキュアの世界が、変わらずにそのまま存在してくれているというところが良かったです。例えば、声優のキャストの方々が、きちんとオリジナルキャストのままで出演されているというのは、やはり嬉しいものです。初代プリキュアで志穂役、「Yes!プリキュア5GoGo!」でくるみ役の仙台エリさんは、一人二役になってしまいましたが、そういうことを含めて、オリジナルキャストがオリジナルな世界を守っているという感じが、とても良かったと思います。

■クオリティ
お金を取ることを前提にしている映画なので、当たり前かもしれませんが、テレビ版に比べて、相当きちんと作られていると感じることができて良かったです。最近始まった「フレッシュプリキュア!」は、どうも作画に粗雑な印象が強く、背景にいたっては、私の娘が「下書きの線が残っている」と勘違いしてしまうほどの出来になってしまっています。このあたりについて、私からすると、最近のプリキュアに対するクオリティ不信があるわけです。そういう意味で、「今日の映画は大丈夫か?」と、少しばかり心配をしていた私でしたが、さすがにそのあたりのクオリティは、バッチリでした。

■交錯する世界
何と言っても、歴代プリキュアが同じスクリーンで、競演しているというところが、この映画の最大のポイントでしょう。戦闘シーンで、異なるシリーズのプリキュア戦士たちが、入り乱れて戦うというのは、やはり良いものです。前回のショートムービーでは、戦闘シーンがほとんど使い回しだったように思いますが、さすがに今回の映画では、戦闘シーンにもかなり気合が入っていたように感じました。それから、「Yes!プリキュア5GoGo!」のメンバーが、「ふたりはプリキュアMaxHeart」のタコカフェに行ってみたり、なぎさやほのかたちが咲のパン屋に行ってしまったり、咲と舞が「Yes!プリキュア5GoGo!」のメンバーたちの本拠地であるナッツハウスに出かける等、それぞれの世界が交錯しているようなシーンが入っていたところもポイントだったように思います。

いずれにせよ、こうしたプリキュアの夢の競演については、一年前の記事にも書いたことがあり(「「夢の競演」スタートアップ!」参照)、今回、それが実現したということで、私としてはとても嬉しい限りです。

《おまけ》
「夢の競演」の楽しみという意味では、同じようなことが仮面ライダーにも言えると思います(「視聴者として願う「夢の競演」」参照)。これについては、現在「仮面ライダーディケイド」が頑張ってくれていますが、同作品の場合、上記の「変わらぬ世界」、「クオリティ」、「交錯する世界」というそれぞれのポイントについて、すべて裏目に出ているような気がしてなりません。

「仮面ライダーディケイド」は、一般的なヒーローのように世界を救う存在ではなく、「世界の破壊者」という呼び名を持っています。これまでの展開からすると、彼はその呼び名の通り、これまで築き上げられてきた貴重な平成仮面ライダーの世界を破壊し続けてしまっていると感じざるを得ません。クウガはともかく、龍騎、ブレイドについては、もはや目も当てられない状況だと思うのです。

私が愛するカブトの世界も、いつか彼にやられてしまうと思うと、心が痛むばかりです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界と生命の源

2009年03月14日 | 歌詞&台詞

「空を見上げる少女の瞳に映る世界」の最終回。
ユメミの台詞は、事の本質を突いていると思います。

====================
目には見えない人の心。
その姿を知りたくて、人は心にかたちを与えた。
そのかたちは人。
そのかたちは世界。
その心のかたちを私は見る。
====================

この世界が何から始まっているのか。
生命は何を起源としているのか。

どうすれば未来が開けるかの答えが、ここにあるわけです。

《参考》
「創造主」の正体
奇跡を信じていい理由

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類の歴史と向かう場所

2009年03月11日 | 独り言

■第一幕 ~起源~
 -宇宙から来た人類

■第二幕 ~災害~
 -宇宙に逃げた「優秀な人類」
 -地球に取り残された「ダメな人類」

■第三幕 ~再建~
 -「優秀な人類」に憧れる「ダメな人類」
 -「ダメな人類」に虐げられる「ダメダメな人類」

■第四幕 ~終結~
 -逃げた「優秀な人類」&虐げた「ダメな人類」
                ⇒本当は「ダメダメ人類」
 -苦境の中で磨かれた「ダメダメな人類」
                ⇒本当は「優秀な人類」

《参考》
「四次元の目」で見えるもの
「彼ら」の物語
古代文明の不思議

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坊ちゃんな狸爺

2009年03月10日 | 自分

私は、実年齢より若く見える外見のようで、「苦労知らずの坊ちゃん」と思われる方が多いようです。そういうご指摘については、素直に聞くようにしています。たしかに老け込んでしまったような人に対して、「あの人は苦労しているから」等と言ったりするので、その逆は「あの人は苦労していないから」という表現になり得ることも、十分に理解できるのです。

ただ一方で、若々しくしていられるための秘訣というものがあるのも事実ではないかと思います。それを端的に言ってしまえば、きちんと生きがいを見つけておくことだろうと考えます。生きがいを持っている人は、なかなか老けないでしょうし、ある意味では「若返り」という現象まで起こり得るのではないかと思うのです。

その生きがいを、極限まで大きくしたとき、人はどんな状況に陥ろうとも「こんなのに負けていられない(正確には、私の場合こういう心境とも少し違いますが)」という精神状態になり、「歳なんてとっていられない」と思わざるを得ないでしょう。こうなると、あらゆるネガティブなエネルギーは、自分自身を突き動かすポジティブなエネルギーに変わっていきます。これを換言すると、苦労を乗り越えるということにもなります(「「大人」の責任」、「生きがいと幸せ」参照)。

ただし、そうした苦労を苦労と思って、辛い気持ちで乗り越えると、老けてしまうのではないかというのが、私の思うところです。やせ我慢をしなければいけないことはあるでしょうし、堪えることの大切さを否定するわけではありません。しかし同時に、もっと根本における自問自答の作業が欠けている可能性も否定できないと思うのです(「打ち克つべき相手」参照)。

ここまでのことに気付いてしまうと、外見が若い人に対して、安易に「苦労知らずの坊ちゃん」等と言うことは、できないのではないかと考えます。もちろん、上記のような論法で言えば、「苦労を苦労と思わない」以上、「苦労知らずの坊ちゃん」という言は、的を射ていることになります。しかし、その場合には、「苦労知らずの坊ちゃん」が、いかに大きなネガティブなエネルギーであっても、瞬時にポジティブなエネルギーに変えてしまう「達人」である可能性があるということまでを、きちんと理解していることが大切ではないかと思うのです(「達人が見せる早業」参照)。

しかし一方で、私は自分自身、その外見とは裏腹に、とんでもない狸爺だとも思っています。それは、こうしたブログならばともかく、実生活のなかで、人と対面しているときに、あまり本音を言わずにいるためです。

本当に思っていることを言うというのは、なかなか難しいことです。人とのコミュニケーションをするなかでは、非常に多くの場面において、互いの意見交換が行われます。異なる人間が意見を交換する以上、その意見が合わないということは、ごく自然なことでしょう。

そういうなかで、私は自分自身が感じたり、思ったりしていることに絶対的な自信があったとしても、コミュニケーションをしている相手が、違った意見を持っており、それを主張したり、発言したいと思っていることが分かった場合、きまって聞く側に徹することにしているのです((「「No」と言えないことへの誇り」参照)。

このように、私が自分の意見を言わないことには、以下の理由があります。

 -相手の意見を否定したくないため
 -相手に発言の責任や重みを感じてもらいたいため
 -相手に聞く姿勢がない限り、自分の発言が軽んじられるため

いずれにせよ、そんなことから自分自身、本当に信じていることや思っていることを、なかなか口外しないといったことが多々あるように思います。こうした感覚を、「狸爺」と表現するのが、適切かどうかは分かりませんが、ただ何となく、「狸爺」という言葉を使う人たちの気持ちが、よく分かるような気がするのです。

あなたの周りにいる「苦労知らずの坊ちゃん」は、実はとんでもない「狸爺」なのかもしれません。坊ちゃんな狸爺には、要注意です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年1月期のアニソン

2009年03月08日 | ランキング

2009年1月期、一部のアニメは終わろうとしている時期ですが、私なりにアニメソングを整理いたしました。それらをエントリーしてランキングをつけてみた結果、ベスト5は以下のとおりとなりました。

順位 タイトル アーティスト 元作品名
一言感想
1位 深愛 水樹奈々 White Album
文句なしのベスト1!ゾクゾクします。
2位 RIDEBACK MELL RIDEBACK
とにかくカッコいい曲です。
3位 笑顔の理由 meg rock 明日のよいち
ノリもメロディーもいいと思いますっ!
4位 HANAJI 小林ゆう まりあ†ほりっく
壊れた感じがサイコー!これは小林ゆうさんだから良いのでしょう。
5位 Sympathizer 栗林みな実 黒神
ドラムがカッコいいです。
特別賞 silky heart 堀江由衣 とらドラ!
本編のシリアスな感じに合ってグーッ!
歌手賞 裸々イヴ新世紀 ALI PROJECT 宇宙をかける少女
アリプロでなければ歌えないのでは?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個々人の音楽ランキング

2009年03月08日 | 産業

今日は一日、見ているアニメ主題歌の整理をしていました。私にとっての音楽は、その音を聴くことで、普段見ているアニメの感覚や感情を想起させる役割を果たします。

音楽の考え方には、いろいろとありますが、私のようなド素人にとっては、音楽をそれ単体で捉えるのではなく、それを聞いたときに持っていた感覚や感情を呼び覚ますような効果が、より重要な気がしてなりません。

妖精帝国の「Valkyrja」という曲があります。先ほど、これをインターネットで調べてみると、「PS2ゲーム「舞-乙HiME 乙女舞闘史!!」オープニングテーマ&エンディングテーマ」と出てきました。

しかし、私にとってこの曲は「ふたりはプリキュア Splash Star」のテーマソングです。これは、インターネット上で、同曲を使ったプリキュアのMAD作品があるためで、この曲を聴くと、自然とプリキュアの二人・咲と舞、それから満と薫が頑張って戦っている姿が目に浮かんでしまうのです。「Valkyrja」は大好きな曲ですが、その音楽性ということ以上に、曲を聴くと同時に見ていた「戦うプリキュアたち」や、そこから生まれる感情が自然と沸いて出てくるというところに、聴く人に及ぼす影響が大きいのではないかと思うのです。

いずれにせよ、アニメを見ることは、とても「楽しいこと」なので、それを想起させる曲を整理して、それらをウォークマン等に溜めておくと、大変調子がいいのです。

ところで、こうした音楽生活を送っていると、いろいろと周りにいる人々とのギャップが生まれてしまうようです。私の周りにいる人々が、どのような人々かを断定することは難しいですが、おそらく音楽については、主としてテレビのゴールデンタイムやCDの上位ランキングのものを中心に情報を仕入れているのではないかと思います。

「誰々は知らないの?」、「この曲は知っているでしょう?」という調子で、いろいろと聞かれるのですが、私にはサッパリということが多いわけです。これには、相当びっくりされたりもします。もちろん、私の方の問題もあるでしょう。いわゆる有名アーティストと呼ばれる方々の音楽を熱心に聴くということはしていませんし、それほど大きな関心もありません。

もともと音楽に対して、それ単体としての価値や感動を、それほど大きく感じることができないド素人の私としては、むしろ「総合芸術たるアニメを見る!」と決めているわけで、むしろ、そうした有名アーティストが、本当に多くの人々を感動させたいのなら、音楽の中だけに閉じこもらず、アニメに楽曲を提供するといったことをはじめとして、「何かを想起させる」ような音楽活動をしてもいいのではないかと思ったりもしているくらいです。

ただ、それはそれとして、いずれにせよ多くの人々が知っているであろう楽曲を、私が知らないというのは事実なわけです。もちろん、そうかと言って、私の方から「これ知りません?」、「今、あのアニメの主題歌ですけど?」等という質問を返すこともありません。結局は一方的な私の無知をさらけ出す格好になります。

しかし、今日のように多様な才能が、多様なメディアを通じて、多様なニーズを満たすことが可能になってきた社会においては、何がメジャーで、何がマイナーかを決めることは非常に難しくなってきていると思われます。つまり、ある特定の楽曲が、全国民的に幅広く支持されるということが起こり得る時代は、既に終わっているように思うのです(「共有という楽しみ方」参照)。

そういう意味で、私としては、私が知っている楽曲を私の周りにいる人々が知らなくても当然だと思いますし、逆に、私の周りにいる人々が好んで聴いている楽曲を、私が知らないとしても、それは大いにあり得ることなのではないかと思います。

こうした観点からすると、毎年、年末にテレビで放送されている音楽の祭典とも言うべき番組等は、今後いつまで続けられるのかということが、私にとって非常に大きな関心事でもあります。

つまり、これからの時代において、何が名曲かを決めるのは、あくまでも個々人の感性に委ねられているということです。自分ではない、あくまでも他者たるメディアが、どのようにランキングしているかというのは、あくまでも参考情報に過ぎません。自分自身のランキングを決める上では、知っていても知っていなくてもよいのです。自分自身のランキングを決める際には、どの曲をエントリーさせるのかということから含めて、個々人に委ねられているという点が、これからのメディアやコンテンツを考えるうえで、極めて重要なことだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渚と汐のメッセージ

2009年03月07日 | 独り言

あぁ、ついに汐まで死んでしまいました(泣)。
誰が悪いって、朋也が悪いっ!

朋也は、いつもウジウジしている。
何かのせいにするのが得意で、自分自身の責任で生きようとしない。
もとい、しようとはしているのだろうけれど弱すぎる。

朋也は「汐との旅行回」では、頑張ったと思う(「泣かせるなぁ」)。
でも、遅すぎるんだよぉ、何もかもがワンテンポ遅い。

朋也は、渚の死から、生き方を学ばなければいけなかった。
しかし、彼は渚の死に打ちひしがれ、現実から逃げ続けた。
それは愛娘、汐の死にもつながったのだ・・・と思う。

なんのために生きるのか、朋也、お前は問い続けたか???
俺の娘が死んだら、神に仕返してやるくらいの覚悟があったのか???

前回放送分、「渚と出会わなければ良かったんじゃないか」だぁ???

朋也の生き方は、朋也にしか決められない。
だから、本当にそう思うのなら勝手にすればいい。

でも、渚と汐の死だけは無駄にすべきではない。
彼女たちは、死を持ってお前に伝えようとしていることがあるのだ。

いい加減、気付けっ!

-渚と出会えてよかった、汐が生まれてくれてよかった-
-そして、俺は彼女たちの分まで強く生きよう-

もう周りのせいにせず、自分自身の責任と強さで生きてみろっ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの頃に戻りたい??

2009年03月06日 | 独り言

よく言うじゃないですか、「あの頃に戻りたい」とか。

これは僕にとって本当に、絶対に、心底あり得ません。
というよりも、お願いだから「あの頃になんか戻さないで」という感じです。

現在に至るまで、命を削るようなギリギリの選択を繰り返してきました。
その繰り返しのなかで、ようやく現在に辿りついたのです。
それをもう一度やり直せなんて言われたら、辛くて苦しくてイヤですよ。

もちろん、そうかと言って、過去を忌み嫌っているわけではありません。
「一所懸命やったんだもん」という開き直り・・・みたいなもの。

そして、これから過ぎていく時間も、同じように生きていくのです。

《参考》
時間との付き合い方

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間との付き合い方

2009年03月05日 | 人生

-時間はけっして戻ることがなく、永遠に流れ続けるものである-

至極、当たり前のことのような気がします。当たり前すぎて、今更こんなことを書き記すこと自体に、どれだけの意味があるのかと思われるかもしれません。

しかし、この当たり前のことが、多くの人々にとって、あまり真剣に向き合われていないテーマであるようにも思うので、ひとまず自分の感性に基づいて、気付くことを簡単にまとめてみます。

上記は、大きく二つに分かれます。

①時間はけっして戻ることがない(過去)
②時間は永遠に流れ続ける(未来)

私たちが生きているのは、あくまでも「現在」です。その「現在」は、次の瞬間には「過去」になり、「未来」だったものが「現在」になってしまうので、一言で「現在」と言っても、捉えることが非常に難しいものです。しかし、そうした難しさもひっくるめて、私たちが生きているのは「現在」であることに間違いありません。

したがって、上記の二つの当たり前について、現在をどう生きるかに結び付けて、解釈を加えてみたいと思います。

①「時間はけっして戻ることがない」から読み取ること

「覆水盆に返らず」という言葉がありますが、起こってしまったことはけっして元に戻すことはできません。人間は、時に後悔をしたりします。それは人間の弱さゆえに、どうしても仕方のないことなのかもしれません。しかし、時間を遡らせることができないというのは、普遍的事実でしょう。そして、どうやってもそれを覆すことができないのであれば、現在を生きる人間がするべきことはただひとつです。それは後悔している事柄を教訓にして、前を向いて生きていくことです。

くよくよしていても仕方ありません。次々に訪れてくる時間の波、現在のなかで、二度と後悔をしないように生きていくということしかないのです。そのことをもう少し積極的に解釈するならば、今後、後悔しないように一瞬一瞬を命がけの覚悟で生きるということでもあるでしょう。

これは、あくまでも個人的な話ではありますが、私には後悔をするという感覚がありません。言い方を変えれば、単なる鈍感なのでしょう。しかしいずれにしても、過去にあった諸々の事象が、現在を生きる私にとって、全てプラスのエネルギーとして作用しているように感じるのです。それは、私が一瞬一瞬、命がけで生きているというような大げさな表現が適切ではないかもしれません(ただ、私自身はそのつもりでおります)が、少なくとも常に「死」と向き合っていたこととは関係しているように思います(「死の淵から得られるもの」、「無意識の記憶の力」参照)。

②「時間は永遠に流れ続ける」から読み取ること

時間が流れ続けるなどということも、あまりに当たり前すぎて、さほど深く考える必要がないと思われるかもしれません。そう思われる方々に対して、私から深く突っ込んでお話しする必要はないでしょう。しかし、何かしらのきっかけがあって、せっかくこの文章を読んでいただいている方々に対しては、敢えてひとつのメッセージを伝えておきたいと思います。

それは、「あなたは必ず死ぬ」ということです。

命は有限です。時間が永遠に流れ続ける以上、どこかで果てるはずなのです。その当たり前のことと向き合わない限りにおいては、命とは何かを真剣に読み解くことは極めて難しいでしょう。そして、それは前項にあるように、後悔しない人生を送るために、現在を一瞬一瞬、命がけで生きることを実践する意味でも、非常に重要なことだと思います。充実した「生」を実践するためには、真剣に死と向き合わなければならないと考えるからです(「生き方の裏にある死に方」参照)。

死ぬことが分かってから、ジタバタするような生き方を否定するわけではありません。しかし、どうせ死ぬことが分かっているのなら、きちんとそれを受け止めることも大切です。自分の死を受け入れることができるようになったとき、人間はより多くのものを背負って生きることができるようになるでしょう。そしてそれは、その人の人生や言動に重みを加える作用を及ぼすことになると思います。現在を一瞬一瞬、命がけで生きるためには、そうした時間に対する概念の理解が、極めて重要ではないかと思うわけです。

以上、「時間はけっして戻ることがなく、永遠に流れ続けるものである」という言葉の意味について感じることを、簡単に書き記してみました。

時間との勝負という言葉がありますが、時間と勝負しても絶対に勝てません。時間とは常に友達、あるいは一体化できる感覚が大切です。時間を活かして、時間に乗って、時間を味方にしながら、上手にお付き合いされてはどうかと思うのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小手先では解決不能

2009年03月03日 | 独り言

どっちもどっち・・・。

何が起こったって、状況が大きく好転することはない。

まだもう少し、混迷の時代は続きますなぁ。

んま、エールくらい送っておきますか。
がんばれぇ~。

《参考》
二大政党制の本質
産業から始める理由

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイスの復讐の果て

2009年03月02日 | ヒーロー&アニメ

「機動戦士ガンダムOO」が佳境に入ってきました。いろいろとあるのですが、ひとつ注目しているのが、ルイス・ハレヴィの復讐劇です。

前期までのルイスは、本当に愛らしくて明るい女子学生でした。ガンダムという作品が、戦争をテーマにしているだけに、どうしても暗い部分が多い中、ルイスの明るさがものすごく光って見えたものです。彼女が思い描くように、恋人と共に幸せな人生を送ることができたら、どんなに良いだろうかなどと考えるわけです。

しかし、そうした彼女の人生はガンダムによって、大きく変えられてしまいます。ガンダム(と言っても、主人公たちが乗り込むガンダムではないですが)に両親を殺され、自らも腕を失い、それがきっかけとなって大好きな恋人とも別れてしまうのです。その結果、彼女は、ガンダムに対する憎悪をエネルギーに変えて、軍人として生きていくことを決めます。そういう意味で、後期のルイスは、前期とは全くの別人です。

昨日の放送で、ようやくその仇を討ちました。

憎悪に支配された生き方を、まったく否定するつもりはありません。そもそも、人の命を弄ぶかのように振舞ったガンダムが許されて良いはずがありません。正直、問題のガンダムのパイロットであるネーナが、ルイスの両親を殺したときのシーンは酷かったです。それこそ無意味に、「面白くないから殺してみた」と言わんばかりの酷い殺し方でした。

ただそれでも、憎しみに対して憎しみで返す、やられたらやり返すというネガティブな連鎖の果てに何が残るのかという点については、私たちが真剣に考えなければならないというのも事実だと思います。それは、これからの世界のあり様を考えるうえでも、とても大切なことだと思うのです(「四次元戦争の時代」、「感情の主人たれ」等参照)。

昨日の回で、仇を討ったルイスは、コックピットの中で、両親に褒めてほしいと泣き崩れていました。もちろん、仇を討ったところで、両親が生き返るわけではありませんし、褒めてくれるはずもありません。仇を殺すことで、気が晴れたかもしれませんが、ルイスが求めていたものが戻ってくるわけではないのです。

さてこの後、ルイスは何を生き甲斐にして生きていくのでしょうか。復讐の果てに残るものの虚しさが、この作品の中でどのように描かれるのか、注目していきたいところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウロボロスの尻尾

2009年03月01日 | 短編

自分は、自分にとってのみ自分。
自分は、他の全ての人々にとって他者。

私は、他の多くのウロボロスにとっての尻尾。

噛み付く?離す?

喰らうも、喰らわぬも自由也。

《参考》
ウロボロスの選択肢
他人は自分の鏡

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする