常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

批判対象を持つ国民の実力

2011年04月14日 | 社会

福島原子力発電所での災害について、政府や東京電力に対する批判が強まっています。

そのなかには、原発で何が起こっているのか、正確な情報が開示されていないのではないかという疑念の声が多く聞こえてきます。つまり、「真実を教えてもらえないから不安になり、一層混乱をきたすのだ」という指摘です。たしかに、例えば放射能が人体に与える影響というのは、「影響がある」、「ない」とはっきり言えるようなものではなく、確率論的、統計論的な情報から、各人がそれを判断すべきものではないかとも考えます。そうした意味で、十分なデータの提供がないまま、「ただちに影響はない」とだけ言うのは、問題であると言えるでしょう。これのみならず、建屋の爆発や汚染水に関することなど、原発で起こっている事象に関する発表のタイミングや報道されてくる内容を見る限り、「情報がきちんと開示されていない」という批判には、それなりの正当性があるように思われます。

私としては、こうした批判によって、災害対応に関わる政府や東京電力の責任者の方々が、誠実に対応していただけるようになるのであれば、それは大変結構なことではないかと考えています。

ただし一方で、情報が正しく開示されることによって、パニックを起こす人々がいるのも事実でしょう。震災直後、被災地から離れた場所で起こった買い占め現象など、まさにそれを証明しています。ショッキングな情報によって、パニックが起こるのであれば、それを回避するために、極力ショッキングな情報を伏せようとし、結果として正しい情報が開示されなくなるということは十分に考えられます。

冒頭の政府や東京電力に対する批判については、彼ら自身の保身という側面があるかもしれません(そうだとしたら、十分に責められるべきです)が、社会を混乱させないようにという彼らなりの気遣いもあるような気がしてなりません。

実際のところ、政府や東京電力の真意がどこにあるかは分かりません。しかし少なくとも、私自身、国民(あるいは消費者)の一人として、同じ国民のなかに、「パニックを起こす人々」がいる以上、(あくまでも可能性の問題だとしても)それに気遣ったかもしれない政府や東京電力の関係者の方々ばかりを、一方的に責めるのは難しいと思っています。逆の言い方をすれば、国民一人一人が、パニックを起こさぬように自らを律することは極めて重要であり、その結果として、国民全体が律されていなければ、政府や東京電力ばかりを一方的に責めることはできないだろうということです。

けっして、無批判を推奨するわけではありません。

批判することも非常に大切なことです。繰り返しですが、そのことよって政府や東京電力の責任者の方々が、きちんとした対応をとってくれるようになるかもしれませんので、それ自体を否定することはできません。

ただ、批判をする以上、政府や東京電力の対応が、自分たち国民の言動によって決定づけられている可能性についても、十分理解しておく必要があるのではないかとも思うのです。今日の政府や東京電力の対応を巡る議論や批判は、買い占め現象が発生してしまうような、今日の国民レベルを示しているのかもしれません。それが今の日本国民の実力であるという可能性です。

私は一人の国民として、上記から誰かを批判するつもりはありません。一度批判を始めたら、全てを批判しなければいけなくなります。むしろ、今回のこうした一連の議論は、現在の国民、国家の姿を映し出しているものと謙虚に受け止めたいと思っています。大切なのは、それを受け入れた上で、次の時代に求められる国民の資質とは何か、国家ビジョンとはいかにあるべきかについて考えることではないかと思うのです。

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力の源泉たるソフトパワー

2011年04月08日 | 日本

地震によって、多くの命が奪われました。このことは大変悲しいことであり、また残念なことでもあります。昨晩も大きな余震があるなど、被災地の方々には大変厳しい状況が続いています。

こうした状況のなか、被災地から離れた場所で経済活動を営む日本人には、一日も早い復興のため、産業界を再び隆盛させる使命が課せられているのではないかと考えます。

ただし、現実的な問題として、その産業界も非常に大きな打撃を受けています。今後の停電の見通しや原発の状況などから察するに、事態を好転させるには、大変な時間と労力を要することが予見されます。多くの工場が動かなくなったりで、製造業の機能が海外に移ってしまうような事態も想定しなければなりません。こうしたことにより、世界における日本のプレゼンスが低下することは、十分考えられることです。

しかし、それをあまり悲観することもないと思います。

私は、日本が世界のリーダーたるべきということを繰り返し述べてきました(「世界のリーダーたるべき日本」等参照)。このことは、日本の産業界が世界をリードするということも含まれますが、こうした事態になっても何ら変わりません。

焼け野原のなか敗戦を迎えた日本が、経済大国と呼ばれるようになった背景には、さまざまな要因が考えられます。そこには内的要因、外的要因を含めて、挙げていったらきりがないと思いますが、私なりには、日本人のソフトパワーを挙げないわけにはいきません。「経済大国日本」を作り上げたという目に見える結果の裏側には、日本人の勤勉さや発想力、文化など、目に見えない多くのソフト的な要因が働いたのだろうと思うのです。

そして、そのソフトパワーは、今の日本人のなかにも生き続けています(「日本人の大切な「ゼロ」」等参照)。

震災直後、落ち着いて秩序を守りながら行動する日本人の姿は、海外メディアでも大きく取り上げられました。こうしたことも、日本人が持つソフトパワーのひとつの表れと言えるでしょう。このソフトパワーが日本人に宿る限り、何度でもやり直しがきくと考えます。いやむしろ、そのソフトパワーによって、これまで以上に大きく飛躍することができるのではないかと考えています。

ソフトパワーこそが、日本を日本たらしめている力の源泉なのです。

今回の震災は、大変不幸な結果をもたらしました。これによって、非常に多くのものを失いましたし、これから先も失い続けるものがあるでしょう。しかし、未来を生きる私たちは、それらをすべて前向きに捉えていかなければなりません。そういう意味で、この震災をバネにして、日本人はそのソフトパワーによって産業を大きく成長させなければいけませんし、また日本人にはそれができると思っています。

日本という国の真価、ソフトパワーの威力が発揮されるのは、まだまだこれからだと思います。

《おまけ》
ソフトパワーは、それを伝播させることで非常に大きな力を発揮します。インターネットやコンピューターが発達した現代社会は、ソフトパワーが威力を発揮するうえで、とても都合よくできていると言えるでしょう。そういう意味でも、インターネットやコンピューター産業をさらに隆盛させるということは、日本を再興させるためにも大変重要なのではないかと考えます。

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