常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

値下げ以上の知恵

2009年04月30日 | 産業

高速道路が値下げされて、それなりの経済効果はあるのだろうと思います。ただ、これが切り札のような言い方をされても困ります。問題の解決には、もっと高速道路を使いたくなるようにするための観点が必要でしょう。

最近、新任の知事が、ある高速道路の値下げを高らかに主張していましたが、本当に高速道路を使ってもらいたいと思うのなら、もっと知恵を働かせる必要があるのではないかと思えてなりません。もちろん、料金が安くなったという理由で、高速道路を使うようになる人がいることは確かだろうと思います。しかし、それはあくまでも一時的なものであり、それによって持続的に高速道路がバンバン使われるようになるというのは、幻想に過ぎないように思えてならないのです。

せっかく知事になられたのであれば、高速道路の出口、あるいはそこからちょっと先のところに、多くの人々を呼び込める「何か」を造ること等を考えてはどうかと思います。そして、そうした方策こそが、本来、この問題の解決に求められるものではないかと考えます。料金を安くして、高速道路の通行量を増やすということもひとつの解決策にはなり得ますが、本来的には「そこに行きたくなる」、「高速道路を使わなければいけなくなる」理由を作ることのほうが、より重要であり、また生産的な解決策になるのではないかと思うのです。そういう意味で、あまりに料金論ばかりが論じられることに対して、私としては、少なからぬ違和感を覚えてしまいます。

特に同県では、ディズニーのコンテンツを活かして、あれだけ大層なものを造って、大勢の人々を呼び込んでいるのですから、日本のコンテンツが持つ可能性に対して、きちんと目を向けられていないことについて、とても不思議、且つ残念な気がするのです(「別世界の演出ができる国」参照)。

もちろん、日本のコンテンツ業界に問題があることも否めません。テレビやDVDといった既存のメディアや流通に縛られている現在の業界にあっては、そうした不動産的なサービスへの展開が、極めて困難であるということも事実でしょう。

しかし今後、インターネットというメディアが、ますます成熟していく過程において、既存のメディアや流通の役割や業界の仕組みは、大きく変化していくことになると思われます。インターネットがどのように成熟していくかについては、もはや論じる段階ではなく、実践のフェーズに入っているため、ここで殊さら取り上げるつもりはありません。端的に言えば、単に無法地帯と化しているインターネットが、責任を自覚できるユーザーたちが集い、きちんとマーケットとしても、メディアとしても機能するようになるということです。

テレビを中心とする既存のメディアが限界を迎えていくなか(「広告業が直面する問題点」参照)で、コンテンツ業界は、これまでの枠組みに縛られなくなってくるでしょう。そして一方で、インターネットのようなメディアが台頭してくることで、コンテンツの活用方法は、より広がってくるはずです。

その時に、高速道路等の交通インフラをいかに活用するかという観点はもとより、世界中から日本という国に観光客を呼び込むような方策としても、コンテンツを不動産のような分野で展開していくという発想は、今後、非常に重要度を増していくように思います。

ひとまず国際的な観光事業としての観点はさておいたとしても、単に高速料金の引き下げばかりを叫ぶのではなく、こうした計画の実現に向けて活動を展開する方が、多くの雇用が生まれたり、たくさんの人々が楽しめたり、クリエイターの方々が潤ったり・・・そしてもちろん、高速道路の通行量も上がったり、いろいろと経済の活性化を伴いつつ、きちんと未来が開けていくようなプロジェクトになると思うのでした。

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唯世君の決意

2009年04月29日 | 歌詞&台詞

=====================
世界には争いや悲しいことがたくさんあって、
ひとりの力なんて、ほんのちっぽけで。
でも、そのひとりの小さな世界を幸せにすることが、
始まりになるのなら、僕は僕の世界の王様になる。
=====================

これは「しゅごキャラ!!どきっ」の唯世君の言葉です。あっぱれ!いいこと言った!

ただ、ひとつだけ注意点。ここには、きちんと重い前提がついています。それは「そのひとりの小さな世界を幸せにすることが、始まりになるのなら」という部分です。

分かるでしょうか?逆に書きましょう。

つまり、「始まりにならないのなら、そのひとりの小さな世界を幸せにしてはダメ」なのです。ここでのポイントは、そのひとりの小さな世界の幸せが、「始まりになる」かどうかということです。これは即ち、その世界の王様になるためには、そのひとりの「小さな幸せ」が「全体の幸せ」に繋がっていなければならないということです。

-自分の幸せは、間違いなく全ての人々にとっての幸せに繋がる!-

こう言い切るには、それなりに自己を磨いていなければいけません。

そう。結局は、そういうことなのです。

《おまけ》
「幸せ」には、いろいろな考え方があります。あるがままを「幸せ」と呼ぶとも言えるので、実際、どのような事象をもって、「幸せ」と捉えるかという問題はあるでしょう。ただし、自らの意思決定や選択について、その覚悟や決意といったものは、すべて自らの「幸せ」のためのものであり、それらは全体の「幸せ」のためでもあると信じられれば、それは極めて強固であり、また重いものになると思います。

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2009年4月期のアニソン

2009年04月29日 | ランキング

4月から始まったアニメも、ほぼ1ヶ月が経過して、だいぶ落ち着いてきたような気がします。既に、今期のアニメタイトルについては、短い感想などを書き記しています(「今期のアニメタイトル」参照)が、ここでは主題歌について、まとめてみたいと思います。

順位 タイトル アーティスト 元作品名
一言感想
1位 恋焦がれて見た夢 絢香 クロスゲーム
第一話の印象で、泣けてしまうのです
2位 Cagayake!GIRLS 桜高軽音部 けいおん!
「唯」の楽しさが伝わってくる!
3位 Parallel Hearts FictionJunction パンドラハーツ
ちょっと哀しげで不思議なメロディーです
4位 again YUI 鋼の錬金術師
FULLMETAL
ALCEHMIST
冒頭の歌詞が印象的です
5位 free 山田優 バスカッシュ!
EDアニメと合ってる感じ!リズムがバスケっぽいよね?
特別賞 ステキな果実 コミネリサ リストランテ・パラディーゾ
ぬいぐるみのダンスが・・・
ダブル賞 Don't say "lazy" 桜高軽音部 けいおん!
OPもいいけどEDもグーッ!

今回は、前回の「深愛」(「個々人の音楽ランキング」参照)のように、「ダントツでこれっ!」というような印象の曲はないように思いますが、「けいおん!」は、本編も音楽も楽しいですねっ!

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ディズニーアニメとの違い

2009年04月29日 | 日本

日本には、本当に数多くのアニメコンテンツがあります。80~90年代に生み出された日本を代表するようなアニメタイトルはもちろんのこと、近年において制作されるものは、あまりにも数が多く、とても一般の人が24時間という限られた時間のなかで、キャッチアップするには無理があるほどです。

ところで、もちろんアニメは日本だけでなく、世界中で制作されています。そのうちの代表的なもののひとつが、アメリカのディズニーアニメでしょう。ディズニーアニメといえば、ミッキーマウスやドナルドダック等、世界的な超有名キャラクターを抱えており、世界一のアニメであると言うこともできると思います。私としては、それをまったく否定するつもりもなく、またディズニーランドのような展開をすることで、より多くの人々が、そうしたコンテンツを楽しめるように努力している点、素晴らしいものがあると思います。

しかし一方で、日本のアニメには、ディズニーアニメにない素晴らしい良さがあることも確かだろうと思います。それは、人間の内面性表現という点においてです。

お気づきの方も多いかと思いますが、ディズニーアニメのキャラクターは、実に表情が豊かです。喜怒哀楽を表すとき、彼らは文字通り顔をクシャクシャにします。「俺は怒っている!」、「私は悲しい」、「サイコーに楽しいっ!」・・・。これらのキャラクターの表情は、見ていて爽快ですし、また実によく描かれていると感心してしまいます。

一方で、日本のアニメでは、時に背景等において、非常に写実的な表現があるにせよ、こうしたキャラクターの表情における「豊かさ」は、ほとんどありません。もちろん、喜怒哀楽の表情はありますが、ディズニーアニメで描かれるそれとは明らかに異なります。どちらかというと平面的で、表情の起伏が少ないといった印象は拭えないと思うのです。

私は、ここに日本アニメの「視覚に囚われない良さ」があるように思います。キャラクターの「表情の起伏」が少ないというのは、「感情の起伏」が少ないこととは明確に違います。キャラクターの感情は、ストーリーのなかで、大きく動いていくのであり、「感情の起伏」は厳然と存在するのです。そのなかで、「表情の起伏」が少ないという、キャラクターの視覚的要素に囚われず、視聴者が自由にその裏に潜むキャラクター内面を読み取る幅が残されているということでもあります。これは、奥深さという言葉で表現できるかもしれません。

こうした内面の奥深い表現は、キャラクターの感情を表情に出し切ってしまっているディズニーアニメでは難しいことです。そして、それはある意味で、日本らしい文化の表れであり、日本アニメの特徴であると言うことができるのだろうと思います(「日本人の大切な「ゼロ」」、「「No」と言えないことへの誇り」参照)。

若干、話は逸れますが、私はそういう事情があるが故に、そうした平面的なキャラクターに魂を吹き込む声優さんの役割というのは、極めて重いものであるとも思います。つまり、視覚では表現しきれない微妙なキャラクターの感情の動きや溢れ出る思いは、声優さんの演技に託されているといっても過言ではないからです。

いずれにせよ、こうしたことからも、日本はとてももったいないことをしているように思います。そしてまた、こうした文化をきちんと世界に対して発信していくことが、日本の世界における貢献に繋がっていくのではないかと思えてなりません。

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洗脳失敗?!

2009年04月26日 | 日常

今年、小学生になった息子が、スポーツチームに入りたいと言い始めました。もちろん、大歓迎です。できれば、週末に付き添ってもらいたいということなので、自分も一緒に体を動かせるかもしれないと思うと、二重の意味で歓迎です。

ところが、彼がやろうとしているのはサッカー。別にサッカーが悪いわけではないですが、一応、学生時代を含めて、10年近く野球をしてきた私としては、息子とキャッチボールをしたいと思うわけです。

そこで、「野球をやろう」と誘ってみました。すると、彼から返ってきた答えは「野球はよく分からない」でした。

なるほど。昔、我々が幼い頃は、毎日のように野球中継をやっていて、それを見るのが当たり前でした。けれども、今の子供たちは、ほとんど野球中継など見ていないのです。まずもって、ルールが分からない。「ストライクって何?ボウリングにあるよね?」という具合で、野球は、子供たちにとって、かなり難しいスポーツのようなのです。

これはいかん!ということで、今日早速、神宮球場の六大学野球に連れて行きました。久しぶりである上、息子をサッカーから野球に引きずり込むための野球観戦という意味で、私としても、それなりの気合を入れて臨みました。特別指定席で、応援する側の前から二番目の内野席。正直、こんないい席で、野球観戦するなんて、過去に一度くらいしか記憶がありません。

球場に入って席に着くなり、いろいろと説明を始めるのですが、これがなかなか難しい。ストライク、ボール、アウト、回、点、内野、外野、ゴロ、フライ、ベース・・・。私なりに、ベストを尽くして説明してみるのですが、明らかに、分かってもらえていない様子。

試合が終わって、帰り際、昼食を取りながら、「どうだった?」と聞いてみましたが、「野球は難しいから、サッカーにする」とのこと。どうも、今回の野球観戦で、「野球は難しい」が決定的になってしまったみたいです。

嗚呼!!息子の野球小僧化計画は、早くも挫折なのだろうかっ!?

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投票の権利と責任

2009年04月19日 | 政治

政界にいろいろな問題が浮上するたびに、内閣の支持率が下がったり、上がったりということが起こります。実際、現状においては、そうしたことが起こっていますし、今後も起こり続けるでしょう。

もちろん、新しい事実が発覚したときに、それに応じて、意見を変えるということはとても重要なことです。有権者である国民が、そうした思考の柔軟性を持つということは、新しい社会作りをしていくうえで、とても大切なことだと思います。

しかし、そのことの重要性を一旦認めたうえで、私としては、そのようにして意見を翻すことの問題点についても、きちんと指摘しておきたいと思います。

それは即ち、そのようにして意見を翻すということは、意見を翻す前の自分は、政治家や政党を見る目がなかったと謙虚に受け止めるべきではないかということです。例えば、新しい事実が出る前から、いろいろと自らの力で情報をとることは可能です。マスメディアによる報道に惑わされず、それらをあくまで参考情報に留めながら、自分自身の力できちんと考え抜ければ、マスメディアの報道を含めて、新事実がどうだの、それによってどのような問題に発展したのといった類の話で、自分の意見が右往左往するようなことはなくなるかもしれません。

もう少し突っ込んで言えば、意見を翻した方々は、それ以前の自分が、その政治家や政党を支持(あるいは不支持)してしまったことで、そうした人々に力を持たせてしまった(あるいは持たせられなかった)、あるいはそれに加担してしまったということを自覚しなければならないということです。もちろん、こうした政治に対する責任の自覚については、所詮一国民としての影響力の小ささや、政治システムの問題等を理由に、ほとんど感じることができないという意見もあろうかと思います。もちろん、それはそれで結構です。しかし、わが国の政治について、国民がほとんど責任を感じられないということと、まったく責任を感じない(あるいは持たない)ということとは、似て非なる話だと考えるべきでしょう。

日本の政治システムは、いろいろな問題を抱えながらも、主権在民の大原則によって成り立っています。したがって、そうした制度のなかにあって、一国民として、政治に参加する責任やその自覚が皆無というのは、その大原則を否定することであり、これは現在の政治システムを理解するうえでも、全くの誤りであると言わざるを得ないのです。

支持・不支持を明確にすることは、とても大切なことです。繰り返しですが、国民がそれまでの判断に対して誤りを認めて、意見を翻すこと自体、それほど悪いことではないと思います。ただし、意見を翻すこと自体が、手放しで賞賛されるのも筋違いであり、まずそこには、意見を翻した国民・有権者の反省がなければならないことも事実だろうと思うのです。

そういう意味において、既出の政治家や政党のなかでは選択肢がなく、途中で意見を翻すくらいならば、敢えて支持・不支持を明らかにせず、「分からない」というスタンスを取るということも、十分に評価されるべきでしょう。

私は、無党派というのは、単に「政治に無関心なバカ」というような位置づけで論じるべきではないし、むしろ積極的な無党派というのがいてもよいのではないかと思っています。つまり、既出の政治家や政党には、もはや新しい国づくりをするだけの力がなく、積極的に選択肢がないことの意思表示をするということも、重要ではないかと思うのです(「分からないことは言わない」参照)。

今年は、衆議院議員選挙がある年でもあります。投票に行くということは、国民にとって、とても大事なことであることは間違いありません。しかし一方で、投票に行かない人たちが、「投票権を行使しない」ということは、それはそれとして、何かしらの大きな意味があるのではないかと思います。

権利の行使には、必ず責任が伴います。そういう意味で、有権者の方々は、よく考え抜いて、責任ある投票行動を取られるべきだと思いますし、そうすることは、自ずとより良い社会作りにつながっていくことになると思うのです。

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今期のアニメタイトル

2009年04月17日 | ランキング

4月からたくさんの新番組が始まっています。当たり前のことながら、これらは新番組なので、基本的な世界設定をはじめとして、キャラクターを覚えていかないと楽しめません。さらにタイトルによっては、前話までを記憶していないと、ストーリーを理解できなくなったりすることもあるので、かなり真剣に見ていないと、話についていけなくなります。

さらに、私の場合、どうしてもキャストが気になってしまうため、キャラクターを覚えると同時に、演じている声優さんまでチェックしなければなりません。視聴しているタイトルが少なければ、さほど問題はないのですが、これが結構なボリュームになると、最初の数週間、自分の記憶力を総動員して、アニメを見ていなければならなくなります。そういう事情から、最初の数週間、新しいアニメを見ながら、インターネットでそのアニメの公式サイトを確認したりといういうこともしばしばです。

それはさておき、今期のアニメのうち、これまでの感触で、自分なりにひとまずのベスト5を選んでみました。

順位 タイトル
寸評
けいおん!
主人公・唯のキャラがグーッ!緩い平和な世界観にも好感が持てます。
クロスゲーム
一話目からの悲劇で虜に・・・。さすが「あだち充」さんです。
東のエデン
記憶を失った「救世主」の正体が気になります。背景のできばえは芸術の域です。
咲-Saki-
麻雀はまったく知らないのだけれど、なぜか面白いのです。
Phantom
生と死の狭間、命のやり取りをどのように扱っていくのかに注目です。

この他、「ハヤテのごとく!!」、「バスカッシュ!」、「戦国BASARA」、「アスラクライン」、「神曲奏界ポリフォニカ」、「戦場のヴァルキュリア」、「鋼の錬金術師」、「タユタマ」、「夏のあらし!」、「ティアーズ・トゥ・ティアラ」、「蒼天航路」、「リストランテ・パラディーゾ」、「シャングリ・ラ」、「パンドラハーツ」を見ています。

それぞれ、いろいろと思うことがあるのですが、今回はとくに、「戦国BASARA」や「蒼天航路」のような、実際の歴史を舞台にしたものも、なかなか良いものだと感じています。史実がどうかという観点よりも、その歴史をアニメの舞台として活用してしまうというのは、それはそれで良いものだと単純に思うのです。

上記のように、多くのアニメを見ていると、そのアニメの世界設定やキャラクターを必死になって覚えていかなければならず、それにはそれ相応の労力を要します。これが苦痛であるとは言いませんが、その世界設定に入り込んでいくまでには、それなりの時間がかかってしまうというデメリットがあるのは事実です。戦国BASARA」や「蒼天航路」のように、実際の歴史を題材にしてくれている場合、そうしたことを大幅に省くことができるという意味で、大変ありがたいと思うのです。

そして、一旦これを「良し」と認められれば、たとえ伊達政宗が英語でシャウトしていても、そのことの史実とのギャップや不自然さよりも、「ま、そういう世界設定のアニメだから」と流せてしまえることに気付きました。

それともうひとつ、女性声優さんたちの男役というのも、毎度、本当に驚かされます。今回の場合では、「ハヤテのごとく!!」の白石涼子さん、「夏のあらし!」の三瓶由布子さん、「パンドラハーツ」の皆川純子さん・・・。女性声優さんたちの男役というのあは、当たり前のことですけれども、他の女性役を演じているときとはまったくの別人で、つくづくすごいものだと思います。

「シャングリ・ラ」では、男性声優の女性役(正確にはオカマ役)がありますが・・・、ね?

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次フェーズへの移行

2009年04月15日 | 自分

去年から勤めていた職場ですが、本日を最後に辞めることになっています(「生活の変化」、「さらなる生活の変化」参照)。私を雇っていただいた方はもちろん、その間、本当にいろいろな方々のご協力に支えられ、今日という日を迎えられたことに対して、心から感謝の念で一杯です。

「もう次は大丈夫なの?」

こんな質問も受けるのですが、そんなものが大丈夫なわけがありません。次が確約されて、現職を整理するという生き方もありますが、逆に私の場合、次が確約されていないからこそ、現職を整理するという側面があるように思うのです。

-大切なものを拾うには、今、持っているものを手放す-
※「欲するものへの心持ち」、「矛盾との付き合い方」参照

新しいフェーズに移行する時というのは、そんなものでしょう。

はてさて、どうなりますか・・・。

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頭が良いバカ

2009年04月04日 | 短編

こんなコメントをいただきました。
===================
世の中、頭が良いバカが多すぎる。
勉強はできるし、知識もあるが、金や権力や暴力に弱い。
目上にへつらい、目下に威張る。
頭が良いばっかりに、信じれば、安全だと思って、上から与えられる嘘を信じている。
本当は弱虫なくせに。
権力者ほど、自分の地位に固執している様は、実に醜い。
===================
よく分かりますし、実際、その通りだとも思います。

私自身、頭が良いとされる人は、それほど頭が良いとは思いません。
また逆に、頭が悪いとされる人が、それほど頭が悪いとも思いません。

以前、日本の最高学府とされるところの出身の方が、私の学歴と経歴に目を通して、「この学歴と経歴じゃダメだ。何をやっても無理だ」とおっしゃられたことがあります。私は心底、面白いものだと思いました。日本の最高学府が、どんな背景で生まれたものなのか、科学とは何かを知らぬまま、そんな言われようをされても何の迫力も感じません。もちろん、日本の最高学府に限らず、世界においても科学の限界とは何たるかをわきまえず、ただ学位のみを重ねる方々には、何の迫力も感じ得ないのです。

何の取り得もない反面、コンプレックスもない人間として言っておきます。

-頭が良いとされる人、驕ることなかれ-
-頭が悪いとされる人、卑屈になることなかれ-

《参考》
万能でない科学
脳力の可能性
人間の優劣と競争社会

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