新年に入って、現在、私たちが構築を進めているIZMOシステムの立ち上げ祈願をしてまいりました。
IZMOシステムとは、出雲(いずも)をもじったものであり、これからの産業インフラとして機能することを想定して作っているものです。ここには、次の時代の世界における日本の役割、その日本の源流としての出雲の位置づけを強く意識しています(「全国民のための建国記念日」参照)。さらに、日本建国には竹内宿禰という人物も深く関わっており、私なりに、その重要性を鑑みて、本ブログのアカウント名も、彼にちなんで「sukune888」としています(「竹内宿禰の魂」参照)。
今回は、そんなことを思いつつ、出雲を含む山陰地方への挨拶回りをしてきました。
まずは、竹内宿禰さんが姿を消したという宇倍神社への参拝です。宇倍神社は、因幡国一宮となっています。ここには、「武内宿禰終焉の地」という石碑があり、竹内宿禰さんが双履を残したところとされる双履石なるものがあります。
こちらでは、自分なりに竹内宿禰さんを感じたくお参りしてきました。あまり知られていませんが、竹内宿禰さんは、紙幣の肖像画にもなられている方で、日本の大臣の祖とも言われています。せっかくなので、紙幣を模ったお守りを購入させていただきました。
宇倍神社での参拝が終わると、いよいよメインの出雲へのお参りです。
ただ、出雲に入ったからといって、すぐに出雲大社へお参りするわけでなく、まずは松江市にある出雲国二宮の佐太神社、エビス様の総本山でもある美保神社、竹内宿禰さんを祀った平濱八幡宮・武内神社へご挨拶をさせていただきました。
これらの神社は、きっと出雲の国造りに大きく貢献した方々をお祀りしているのでしょう。とくに美保神社のご祭神は、出雲大社の大国主大神の后である三穂津姫命、息子の事代主神になっておりますが、それだけでなく、美保神社がある美保関は、大国主大神が建国パートナーである少彦名神と出会った場所であるということで、なかなか興味深いところでした。個人的には、少彦名神と事代主神というのが、とても重なったイメージで見えているので、そういう意味でも美保神社には大きな関心を覚えました。
その後、出雲市に入って、出雲大社をはじめとして、その近隣の神社へのご挨拶をさせていただきました。
それぞれのご祭神は、日御碕神社(天照大神、素戔男尊)、出雲手斧神社(手置帆負命、彦狭知命)、恵美須神社(エビス様)、須佐神社(素戔男尊)となっていました。このうち、出雲手斧神社というのは、出雲大社の西にある奉納山の山頂にあり、そこに祀られた神様は、出雲大社を造営した建築業者の守護神とのことでした。
そして出雲大社への参拝です。
出雲大社の大国主大神は、縁結びの神様として有名ですが、読んで字のごとく、元々、国を作られた神様です。日本で最も有名な神様としては、現在、日本の神社を束ねている神社本庁の総本山、伊勢神宮の天照大神かもしれません。それは、今の日本の神社制度の仕組みで言えば、日本の神様のトップということになるのでしょう。
巨大な宇豆柱
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出雲大社の 大きさを示すイメージ図
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大量に出てきた銅剣 |
しかし、元々、国を作ったのは、この出雲の大国主大神なのです。出雲の特殊性については、本ブログでも度々言及しています(「始まった神在祭」等参照)が、今回はそれを再確認してきました。「雲太、和二、京三」という口遊(くちずさみ)にある通り、50m近かったとも推定される本殿の巨大さ、それまでの全国銅剣出土数の合算を上回る、358本という銅剣が一箇所から大量出土したという事実、全国において「神無月」と呼ばれる時期を「神在月」とする特異性・・・。どれも古代日本における、出雲の突出した重要性を示していると言えるでしょう。
伊勢の天照大神は、その特殊な出雲の大国主大神から国を譲り受けたことになっているわけです。これが、いわゆる「出雲の国譲り」神話です。しかし、ここには、「国譲り」という平和的な側面だけでなく、伊勢の天照大神による高圧的な「国獲り」という観点も外せないだろうと考えます(「国譲り」の二面性」参照)。
これらを鑑みたとき、私は、日本が真に「和の国」であるとするならば、国を作っておきながら、国を譲れという者に国を譲る決断ができる大国主大神にこそ、和を尊ぶ日本のあるべき精神が宿っているのではないかと思います。逆に、国を譲れと迫った天照大神側には、どのような「和」の精神があったのか、きちんと見極める必要があるでしょう。少なくとも、それに対して、明確な答えが見つからないまま、安易に伊勢の天照大神を「和の国」、「大和の国」である日本において、最高神のように崇め奉るべきではないと考えます。
※ただし、記紀に登場する天照大神の姿は、歪曲された可能性があり、実際、私個人は伊勢に祀られている天照大神が、「国獲り」をしたとは考えていません(「東国の神々へのご挨拶」参照)。
2003年、皇后・美智子さんが出雲大社に参られ、以下のように詠まれたといいます。
- 国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず -
天皇家といえば、天照大神からの男系の血を受け継いできているとされる方々です。大国主大神から国を譲り受けた(あるいは国を獲った)とされる家の方が、このような歌を詠まれるというのは、とても意義深いことだと思います。日本が「和の国」としての姿を追求し、またそれを世界に示していくにあたっては、大国主大神の精神が、極めて重要であると言えるでしょう。
今回は、そうしたことを考えながら、出雲をはじめとした各地にご挨拶ができて、とてもよかったと思います。