ニートという言葉は、日本ではもともと「若年無業者」と定義されていた人々を指すようです。本来働き盛りで、職業を通じて社会に貢献することを期待される若い人々のうち、定職に就かず働こうとしない人たちが増えています。メディアでは、このような人々にフォーカスを当て、彼らの問題点を指摘します。
しかし、ニートの問題は、ニート自身の問題であると同時に、全体で取り組まなければならない社会的な大問題でもあります。ところが、社会の仕組み作りを任されている政治家や政党には、社会全体としての問題意識が欠落しているようにみえるのです。
以下は、元首相を含む日本を代表する政治家たちのニートに対する発言例です。
- その気になれば、いくらでも仕事はあるはずなのに働こうとしない。
- ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のことです。
- 今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ。
- フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは。
- ニートとは就職活動もしない、また就職してから生かせる勉強もしないという無気力、無関心状態に陥ってしまった若者のことの総称で、生きる気力もないのに親が毎日御飯を出している。そういうことを社会問題にして認め出している風潮自体が、ニートを増長させている。
このように社会の仕組みづくりを担う人々が、ニートの問題をニート側ばかりに押し付けて、この問題はけっして解決し得ないでしょう。この問題は、言うまでもなくニート側に改善すべき点があります。しかし、彼らの問題ばかりを指摘しても始まりません。問題は彼らだけにあるのではありません。社会の仕組みそのものにも、大きな問題があることを認識せずして、この問題の解決はあり得ないのです。
現代社会は資本主義に基づいた競争原理により、幸せの価値が崩壊し、多くの人々に社会に生きる希望を失わせてしまっています。人間の幸せの本質は「金」や「名誉」などにはありません(「幸せは一人では築けない」参照)。人間は、そのことを直感的に理解しています。しかし、それにもかかわらず、現実社会の価値観は、資本主義に基づいた評価軸によって成り立っており、多くの「金」を稼いだ人が成功者と言われ、「名誉」を得て、より幸せであるかのように評されています(「人間の優劣と競争社会」参照)。「金」や「名誉」に、幸せの本質があるように信じ込まされ、それを得るように競争させられ、求められ、そのなかで「勝者」と「敗者」が決まっていくようにできているのです。
しかしこのことは、幸せの本質が「金」や「名誉」にはないことを直感的に知っている人々にとって耐え難いことです。ニートというのは、こうした直感に忠実であり、現実との矛盾を目の前にして、本来あるべき社会と自分の姿に妥協できない人々ではないかと思うのです。ニートが働かないのは、単に怠けているということではなく、こうした直感が働いているが故に、社会で働くことへの意欲を失ってしまっているのであり、本来、社会のあるべき姿に対して、より敏感で、それに忠実な人々でないかと思えてなりません。
したがって、逆に現代社会において、働くということは、見せかけの幸せを幸せと信じ込まされ、矛盾に満ちている社会の価値観にあわせて、自分の人生の時間を捧げるということになります。どんなかたちにせよ、働くということが労働の価値を「金」に換算して、その対価を得るようにできている以上、仕方のないことです。これを受け入れることは大切ですが、この仕組みに何の疑いもなく無条件に受け入れて、見せかけの幸せを幸せと信じきって働く人と、どちらが良いかというのは、簡単に決められることではありません(「道具の目的化の危険性」参照)。少なくとも見方によっては、ただ「金」や「名誉」のために働くという人々よりも、むしろニートの人々の方が、人間や社会のあり方に対して安易に妥協せず、真剣で真面目な人々ということができるということは確かだろうと思います。
ニートの問題について、こうした認識をしたうえで、少なくとも、未来を切り開いていく責任ある大人として、ニートの問題をニートの側だけに押し付けることはできないはずです。そもそも現代社会は、すべての人間が人間らしく生きていけるほど、立派に整っているわけではなく、そうした社会を変えていく責任、あるいは明るい未来を創造していく責任は、社会の構成員である我々一人一人にあることを忘れてはなりません(「「大人」の責任」参照)。
特に、政治家とは「社会を変える」、あるいは「明るい未来を創造する」ことを職業として担うことを期待されている人々であり、彼らが政治家たる自らの本分を忘れ、ニート問題の責任をニート側に擦り付けるなど、断じてあってはならないと考えます。政治家という地位に就く人間こそ、己の責務に対して厳しくなければならないはずです(「打ち克つべき相手」参照)。 問題はニートに留まりません。引篭もりや登校拒否、うつ病・・・。現代社会特有の問題を抱えている人々はたくさんいます。これらの問題は、直接的にそれらの悩みを抱えている人々の問題であると同時に、そういう人々を受け入れることができない社会の仕組みの問題でもあることを忘れてはなりません。
社会の仕組みは変わらないと諦めてはなりません。諦めてしまっては何も変わらないのです。結果として、明るい未来は訪れないし、地球の問題も解決しません。目前の大きな問題から目を反らし、諦めてしまった我々を待っているのは、破滅でしかないでしょう。明るい未来を切り拓き、人類が生き続けていくためには、現代社会に生きる我々一人一人が社会の仕組みに対しても妥協せず、あるべき姿を追求していく努力をしていかなければならないのです。