常識について思うこと

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2.1 敗戦責任論、被害者意識

2012年09月01日 | 戦後補償

『日本の戦後補償問題』、1996年執筆


 第二次大戦中の行為に対してドイツが負うべき責任は、ナチズムに集約された。したがってドイツの戦後処理において、ナチスに対する責任追及は非常に重要だった。戦後まもなく開かれたニュルンベルク裁判でも、「人道に対する罪」の適用によるナチズムの犯罪性を根拠に、多くの戦犯が裁かれた。
 一方、日本における戦争責任をめぐる事情は、ドイツのそれとあきらかに違っていた。日本にはドイツ・ナチスのように戦争責任を一手に帰結させうる対象はなく、戦争裁判における両国の戦争指導者に対する裁かれ方にも、いくつかの相違点があった。戦争責任そのものの意味についても、両者のあいだには少なからぬ違いがみられ、日本の場合、戦争に対する国民意識も非常に特徴的である。
 1946年5月、東京裁判(極東国際軍事裁判)が開廷した。東京裁判について、米国務省情報調査局極東調査課の「A級戦犯裁判に対する日本寺院の反応」は「日本人の多くは、東京裁判を敗戦による宿命的なものとして受け入れているのであり、被告に対しては、彼らの戦争犯罪による戦争責任ではなく、敗戦責任を問題にしている」と報告している(24)。日本の戦争責任は、敗戦によって生じたものであり、それについて当時の指導者が責任をとるべきであるという戦争に対する意識は、当時の多くの日本国民にみられたものであった。戦後まもない1945年9月4、5日に開かれた臨時議会でも、敗戦の経緯が報告され、関係大臣が敗戦に対して謝罪しているが、ここでも問題となった戦争責任は、開戦責任や戦争中になされた行為に対する責任ではなく、結果として日本を敗北に追いやった敗戦責任だった(25)。
 この日本の敗戦責任論は、戦争に対する国民の被害者意識に連結している(26)。戦争指導者にだまされた日本国民としての被害者意識が、少なくとも戦争における日本の加害者としての責任受認を妨げているのである。戦争に対する日本の被害者意識は、戦後の平和、護憲運動などにもはっきりとあらわれている。世界で唯一の原爆被爆国という立場からの核兵器反対運動はもちろん、日本各地で展開された空襲に関する記録を進める運動や、戦争体験を語りつぐ会の組織化など、戦後日本社会に繰り広げられた反戦平和のための数々の運動は、戦争被害者としての日本国民という社会的風潮のなかで生まれてきた(27)。
 日本には、戦争終結から継続して、過去の戦争に対するいわゆる「敗戦責任論」や「被害者意識」が存在していた。そしてこれが以降、アジアに対する加害者意識の欠如となってあらわれ、戦争認識をめぐるアジア諸国との摩擦の一因として残ることになったのである。

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