常識について思うこと

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感情の主人たれ

2007年03月24日 | 人生

生きていれば、いろいろと感じるものがあります。喜怒哀楽。必ずしも、この4つに集約されるわけではありませんが、人間はさまざまな感情をもち、それをエネルギーにして生きていくことができます。

例えば、スポーツ選手が一所懸命に努力をするのは、勝利したときの喜びを味わうためであったり、屈辱的な扱いを受けたときの怒りであったり、ライバルに負けたときの悔しさであったり、賞金を手にしたあとの楽しみであったり、いろいろなものが入り混じった感情があるからでしょう。それが表に出る選手と出ない選手がいますが、それは内に秘めたものとしてコントロールしているかどうかの差であって、感情の有無の問題ではありません。人間には誰しも感情があり、それが大きければ大きいほど、大きなエネルギーとなって、人間を突き動かすわけです。

このことはスポーツ選手に限らず、この世に生きる人間にとって共通して言えることです。多かれ少なかれ、人間は日々の暮らしのなかで、さまざまなことを感じ取り、そこに感情が生まれ、その感情から欲望が生じ、行動を起こしているのです。したがって、感情は人間が生きるのに欠かすことのできない大切なエネルギー源とも言えるでしょう。

しかし、だからといって、感情に振り回されてはなりません。

喜びや楽しみといったポジティブな感情をもつことは大事ですが、現在の「良い状態」に酔いしれて、するべきことを怠ってしまうと、その現在の「良い状態」はたちまち過去のものとなり、未来における「良い状態」を失ってしまいます。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。喜びに我を忘れて、うつつを抜かすようなことがあってはならないということです。

反対に怒りや悲しみのようなネガティブな感情をもたざるを得ないこともあります。しかし、現在の「悪い状態」に暮れていては、明るい未来を迎えることはできません。現在の「悪い状態」は、次の瞬間には過去のものとなります。現在の「悪い状態」から発する怒りや悲しみといったネガティブな感情を乗り越えて、前向きに生きるからこそ未来は開けていくのです。

感情はあくまでも内に秘め、それをコントロールしながら、正しく生きる原動力に変えていかなければならないのです。感情が豊かなことは大事です。それは生きるためのエネルギーを生み出す大きなエンジンを持っているということに等しいと言えるでしょう。しかし、そのエネルギーは、常に正しく使われるようにコントロールされなければならないのです。

ところで、感情をコントロールするとはどういうことでしょうか。

それは「良い状態」も「悪い状態」も自分で決めよということです。それらを自分で決められるようになるということこそが、自分を取り巻く状態の捉え方をコントロールできるということであり、そのことにより感情をコントロールできるようになるということになるのです。

先ほど「良い状態」、「悪い状態」という言葉を使いましたが、そもそも「良い状態」、「悪い状態」というのは、その状態に置かれている人間の主観的価値基準で決めていることであり、実際にはすべて「良い状態」ということもできるし、すべて「悪い状態」ともいうことができるのです。本来、人間はいかなる状況においても、それが「良い状態」なのか「悪い状態」なのかを自分で決める力を持っており、そのことで感情をコントロールしながら、生きることができるのです。このことにより、すべてのことが自らのコントロール下に置かれた、いわば「制御された良い状態」となるのです。

このような「制御された良い状態」は、単なる「良い状態」ではないため、それに我を忘れて、うつつを抜かすということはありません。喜びは喜びとして感じつつ、それによって自分をひけらかしたり、他人を陥れたりするような、おかしな喜び方もすることなく、純粋なる幸福感を得ることができるのです。

また逆に「悪い状態」と思われるような状況にあっても、その環境に置かれている人間自身の考え方によって、「制御された良い状態」にすることができます。そもそも「悪い状態」というのは、望ましくない状態のことです。しかし、過去に何があったとしても、既に過去は過ぎ去ってしまっており、現在のその時点において、たとえ望ましくない状態に置かれていたとしても、それはそれとして受け入れていかなければなりません。そして次に考えなければならないことは、未来のために、現在の望ましくない状態を、どのように望ましい状態に変えていくかということです。このことは生きていく目的となり、生きる喜びに変わっていきます。この発想をすることで、「望ましくない状態」は、生きる目的や喜びを持てるという「良い状態」と捉えることができるようになるのです。これにより、人間は「望ましくない状態」のなかで、常に喜びを見出し、前向きでポジティブな人生を歩むことができるのです。

ところが人間は不完全で、弱く、未熟です。そして弱く未熟な人間ほど、感情のコントロールができず、感情が向くままに行動をとり、それを発散することで楽な生き方をしようとします。しかし、そうした生き方をしていくことは、周囲を陥れたり、傷つけたりすることとなり、同時に自分を貶め、傷つけるという結果を招くのです。

ときには感情を抑えきれず、我を忘れて喜んだり、泣き喚いたり、怒鳴り散らしたりするのが人間です。その姿は不完全な人間としての、人間らしい姿でもあります。しかし、感情の発散そのものでは、問題の根本的な解決には至りません。感情を持つことは非常に大切なことながら、それを爆発させ、発散してしまうということは、不完全な人間らしい行動ではありつつも、未来を生きる人間としては、恥ずべき行為であることに気付かなければならないし、そのような人間は猛省をしていかなければならないのです。

人間には常に未来のあるべき姿に思いを馳せ、その可能性を信じることにより、「制御された良い状態」を保持し続ける努力が求められています。そして、その結果として感情をコントロールできる、いわば感情の主人となっていけるのであり、人類は明るい未来を切り開くことができるようになると思うのです。

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