『日本の戦後補償問題』、1996年執筆
1993年11月、『朝日新聞』によって戦後補償に関する世論調査が実施された。質問内容は戦後補償の必要性や従軍慰安婦問題、恩給法の国籍条項に関するもので全部で七項目である。このなかの「政府は、戦争に伴う国家間の賠償問題は決着したとしていますが、いま問題になっているのは個人に対する『戦後補償』です。政府は、事柄によっては『戦後補償』の要求に応じるべきであると思いますか」という質問に対し、半数以上の51%が「事柄によって応じるべきだ」と回答している。この数字を受けて荒井氏は「若い世代に積極的な意見が多いのが特徴」であり、「予想以上に高い数字」であるとしたうえで、「政府は慰安婦問題以外のケースも決着済みの姿勢を改め、新たな対応策を探るべきだ」と指摘する(117)。
一方、自民党の小杉隆外交部会長は、この調査結果に対し「補償に応じるべきだという人が多いのは、この問題の難しさをまだ感じていないからではないか。若い人に補償をという考えが多いのは、経緯をよく知らないまま人道的考えから単純に答えたのあろう」と述べている(118)。事実この世論調査で、「『戦後補償』の問題について、あなたの気持ちに近いものをあげてください」という問いに対して、「非人道的なことをされた人たちは救ってあげたい」という回答が2番目に多かった。
ドイツの戦後補償には、現ドイツ政府や国民の被害者に対する直接的な「謝罪」や「反省」といった概念を含んでいないが、純粋に人道的見地から被害者に対する補償が必要であるとの認識をもって、着実に実施されている。つまり人道的見地からナチ被害者への救済が、ドイツの戦後補償理念の根幹なのである。しかし、ドイツと日本における非人道的行為の性質が根本的に異なる以上、こうした理念をそのまま日本に移植するわけにはいかない。この点については、すでに述べた通りなので繰り返さない。
また日本の場合、「アジアでの発言力をねらう」(119)ため、あるいは「アジアで大きなリーダーシップを発揮する」ためといった考え方が、戦後補償に対する意識に少なからぬ影響を与えているようであるが、こうした主張に依拠して実施されるような戦後補償も断じてあってはならない。
日本政府には、過去に対して負うべき数々の責任があった。しかしそのなかには、すでに解決済みのものもあり、また政府レベルではいまや解決不可能となってしまったものもある。補償をおこなう以上、それを実施するための明確な根拠が必要であるが、それは提起され項目ごとの検証にもとづいていなければならない。結果的にこの作業が、現在提起されている補償対象を制限することになるであろうが、これは今日、日本の戦後補償問題を解決していくにあたり絶対に必要であると考えられる。
ここで求められるのが、ほかでもないその基準となる戦後補償の原則である。筆者はこれを、「日本の責任によって、かつて与えられるべきだった『補償を受けるための機会』を与えられなかった被害者に対する措置」と定義付ける。条約締結後に新たに問題化したというのは、法的に「日本の責任によって」生じた補償義務の根拠とはなりえない。戦後補償の対象事項として論じられるのは、元来日本側に責任がありながら、条約でその対象から排除されたものに限られる。その他のケースとしては、日本政府の国内法的責任論にもとづく補償論議がある。これに関しては、国内法的責任を成立させる要件がそろえば、「日本の責任によって」の部分が裏付けられるため、それにより日本の補償義務を問うことができる。
こうした論理は、日本独自の戦後補償の基本原則として、ドイツのケースとはまた異なる「過去の克服」のひとつのパターンを提示することになるであろう。今後日本が、戦後補償問題を処理していくにあたっては、なによりもまず、このような基本原則の確立が必要である。
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