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3.3 従軍慰安婦への補償

2012年09月01日 | 戦後補償

『日本の戦後補償問題』、1996年執筆


 日韓条約の締結交渉過程において、従軍慰安婦に関する件についての議論は一切されなかった。韓国側が日韓会談期間中、日本側に提議したいわゆる「8項目請求権要綱」には、1945年8月9日現在の日本政府の対朝鮮総督府債権の返還、韓国から振替または送金された金品の返還、韓国に本社・本店または主たる事務所があった法人の在日財産の返還、韓国人(自然人、法人)の日本政府または日本人に対する個別的権利行使に関する項目などが盛り込まれていたが、そのいずれも従軍慰安婦問題まで視野に入れたものではなかった。条約締結後に制定された請求権に関する韓国内の諸法律のなかにも、従軍慰安婦問題の請求権についての規定はなかった。
 それが今日になって「戦時中の従軍慰安婦に関する状況は、当時よく知られておらず、この問題についての請求権が主体として認められるようになったのは、戦争が終了した後の時期であるため、日韓間の「請求権協定」で解決された請求権とはいえない」といういような主張がなされる(79)ようになってきた。1991年12月6日には、従軍慰安婦問題に関する訴訟が日本政府に対して初めてなされ、それ以降、様々な集会や出版物を通して、数々の元従軍慰安婦の証言が飛び出すようになった。こうした動きにともない、日本政府は本問題に対する具体的な対応を求められるようになったのである。
 だが本稿ではこれまで繰り返し述べてきたとおり、日韓両国の請求権問題は「財産及び請求権・経済協力に関する協定」によって「完全かつ最終的に解決された」のであり、従軍慰安婦問題に関する請求権を協定で定めた請求権とは別個にして認めることは、この協定の規定に違反することになる。したがって日本政府は、この問題に臨む際にまず、両国間の「請求権協定」締結の事実を十分に踏まえる必要がある。
 韓国政府が補償を求めない理由として「本問題は金銭だけで解決するものではない」、「(韓国政府は)真実が証明されないままに補償がなされれば、犠牲者が職業的売春婦とみなされることを恐れている」などの指摘(80)もあるが、韓国政府からの実質的な補償請求がないのは、韓国政府側もこの協定締結の事実を十分に認識しているからであるとみるべきだろう。
 ところで、当時日本が加入していた国際条約は、日本軍の従軍慰安所制度にある一定の制約条件を与えていた。
 1910年5月4日にパリで締結された「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際条約」第1条は、いかなる事情があっても未成年に売春をさせてはならない旨を規定している。ここでの未成年とは満20歳未満を指しており、また第2条ではたとえ成年であっても強制連行(強制手段による勧誘・誘引・拐去)をした場合は犯罪になると規定されている(81)。1921年9月30日、ジュネーブで締結された「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」の規定でも、日本は婦人及び児童の売買に従事した者を捜査し、その処罰をするために必要なすべての措置をとるよう義務付けられていた(82)。これらの国際条約は、戦時中の従軍慰安婦の強制的な動員を到底許すものではなく、日本の当時の政策決定に対する少なからぬ制約要因となりえた。
 しかしながら、両条約は植民地に対して適用されるものではなかった。前者では第11条で植民地などに実施される際は文書をもって通告するとあり、後者では第14条において植民地などを除外する場合は、それを宣言することができることになっていた。日本は調印時に、朝鮮・台湾・関東租借地をその除外地域とすることを宣言している。つまり日本は国際条約の制限を受けることなく、朝鮮・台湾などから慰安婦を徴集することができたのである(83)。
 また本問題について、これをニュルンベルク国際軍事裁判所規約第6条C項に規定されている「人道に対する罪」を根拠に違法化しようという立場があるが、それはドイツ・ナチズムと日本の従軍慰安婦問題との比較・検討のうえで主張されなければならない議論であるといえる。この点については前に論じているので、重複する説明を避けるが、従軍慰安婦問題に関連してひとこと触れておくならば、ドイツ・ナチスのユダヤ人虐殺が「政治的、人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為」であることは明白だが、日本人女性も含まれていた本問題を果たしてそのようなかたちで違法化することが可能かどうかは甚だ疑問である。
 ただし元従軍慰安婦の請求権については、日本の国内法上の国家責任という観点からひとつの問題提起がされうる。
 1991年8月の参議院予算委員会における、外務省条約局長の答弁については先に紹介した。それは「(「財産及び請求権・経済協力に関する協定」については)日韓両国が国家として外交保護権を相互に放棄したということで、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」というものだった。すなわち国内法的な日本政府に対する請求権は、協定のいう「完全かつ最終的に解決された」ものではなく、国内法にもとづく国家責任を論じる余地はいまだに残されているというのである。
 金明基氏は、国内法上の国家責任と従軍慰安婦問題について「『国内法上の国家責任』とは、日本の国家機関が日本の国内法に依拠し、挺身隊を設置・運営した行為により被害を被った個人が、国家である日本を被告として日本法院に損害賠償を請求する場合、日本がこれに対し、日本の国家法により負わなければならない賠償責任をいう」としてる。また金氏は、国内法上の国家責任の成立条件として、国家機関すなわち「公務員」の行為があること、公務員の「職務上の行為」があること、職務上の行為が「違法」であることなどをあげている(84)。そこで以下、当時の日本の国家機関の従軍慰安婦問題への関与とその違法性について考えてみたい。
 陸軍省兵務局兵務課によって立案された「軍慰安所従業婦など募集に関する件」なるものがある。これは1938年3月4日、陸軍省副官通牒とし北支那方面軍・中支那派遣軍宛に出されたものであり、その要旨は「従業婦などを募集するにあたり、軍部の威信を傷つけ且つ一般民の誤解を招く虞のあるものや、誘拐に類し警察当局に取り調べを受けうるものなどがある。今後の募集には派遣軍が統制し、人物(業者)を選び適切に実施させる。関係地方の憲兵及び警察と連絡を密にする」というものである(85)。この文書は陸軍省が強制徴集の事実をつかんでおり、それを防止しようとしていたことを示す資料だが、このような指示は朝鮮・台湾になされていなかった。それを陸軍省の重大な義務違反であるとみる立場もある(86)が、当時の朝鮮・台湾においてそうした指示をすることが、陸軍省の義務であるというには根拠が乏しい。したがって、そこに重大な義務違反が存在するとは到底いえないだろう。またたとえその行為が義務違反だとしても、上記の国内法上の国家責任の成立要件としての「職務上の行為が「違法」であること」には該当せず、これを国家機関の国内法上の責任としてとりあげることはできない。
 さらに内務省警保局長が1938年2月23日に、各都道府県長官宛に通達した「支那渡航婦女の取扱に関する件」というのがある。その内容は「最近、支那の料理店、飲食店の営業に従事することを目的に支那に渡航する婦女が少なくなく、軍当局の了解を得たというような言辞を弄するものが各地に頻出している。婦女の渡航は現地の実情に鑑み、やむを得ずという特殊な考慮を要することが認められるが、婦女売買に関する国際条約や、その他軍の威信に影響を及ぼすようなことがあってはならない」といものである。さらに同文書には、「華北・華中方面に向かう者に限っては当分の間黙認する」一方、渡航婦女に対する一定の制限、取締を指示する内容が含まれている(87)。この資料についても「軍慰安婦などの「醜業ヲ目的トスル婦女」の渡航は、華北・華中に渡航する場合に限って、これを「黙認」するとの指示を出し、(内務省は)軍慰安婦送出に加担している」のであり、また「この文書は強制徴集を防止しようとしたものとみることができるが、同様の通牒が台湾・朝鮮で出されなかった」ということを問題視する立場(88)がある。しかしこの資料によって、日本の国家機関としての国内法上の責任論を展開することは到底できない。その理由は陸軍省の資料についてと同様、それを成立させる要件がそろっていないからである。
 千田夏光氏は『従軍慰安婦・正篇』のなかで、関東軍の後方担当参謀原善四郎少佐という人物との対話によって、1941年の北満における従軍慰安婦二万人動員計画についてあきらかにしようとしている。記述によれば「慰安婦募集は軍は総督府に依頼され実施された」、「七十万人の兵隊に二万人の慰安婦という数字は、日中戦争時の経験によって算出されたであろうものであり、しかし実際には八千人程度しか集まらなかった」など(89)、そこには慰安婦の募集過程での軍の関与が見え隠れする。しかしこの記述の信憑性には、大きな問題があることを指摘しないわけにはいかない。たとえばここに登場する原という人物が、自らを「関東軍司令部第三課所属」と紹介しているが、彼の経歴のなかにはそのようなものはなく、彼の任務からも総督府にまで慰安婦募集の依頼に出向くなどとても考えられない(90)。また慰安婦二万人(実際には八千人程度であっても)動員となれば、それなりの慰安所設備とそのための予算が必要となるが、当時の予算担当者は「当時の満州には慰安婦関係のことは業者がやっており、軍は関係しなかった」と述べているという(91)。
 ところで1993年8月4日、政府は慰安婦関係調査報告書とともに、次のような官房長官談話を発表した。

 「慰安婦の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲などが直接これに加担したこともあったことが明らかになった」(92)

 政府は慰安婦の募集について、主として軍の依頼を受けた業者がおこなっていたとしながらも、公務員である官憲の直接的な関与を認めている。またその募集は「甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して」なされたケースが数多く存在していたという。
 1910年の「醜業を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際条約」第二条では「他人の情欲を満足せしむる為醜業を目的として詐欺により又は暴行、脅迫、権力濫用其の他一切の強制手段を以て成年の婦女を勧誘し又は誘引し又は拐去したる者は(後略)」となっている。これは婦女の強制連行を暴力、脅迫などによるものにのみ限定するのではなく、詐欺その他の強制手段によるすべてのケースが強制連行にあたると規定しているのである(93)。当然これに照らし合わせれば、政府のいうところの「甘言、強圧による」募集は強制連行であったことになる。日本は同条約に加入していたわけではないので、これを日本政府の責任を立証する根拠として扱うことはできない。
 しかし、こうした行為の存在を日本政府が認めるというのは、契約を一方的に強要し成立させたこと、つまり日本の国家機関の国内法上の責任を認めることにほかならない。すなわち日本は、この点について元従軍慰安婦側の請求権を否定することができないのである。
 しかし現実には、これにもとづく元従軍慰安婦側の勝訴は困難であると思われる。なぜなら、過去に従軍慰安婦が存在したことは事実であっても、原告をその従軍慰安婦であったかどうかの判断は、原告自身の証言によるしかなく、それを裁判所に認定させるのは至難であろうからである(94)。元従軍慰安婦たちの証言は、それぞれに悲痛な叫びであり、どれも真剣に耳を傾ける必要があるが、なかには誇張・偽証と思われるような部分もみられ(95)、これを法廷において、彼女たちを従軍慰安婦として規定する唯一の証拠とすることには、相当の困難がともなうであろうと考えられる。
 1995年7月、「女性のためのアジア平和友好基金」が発足した。この機関は、元従軍慰安婦への償いを行うための資金を民間から募金する目的で設立されたものであり、日本政府は事業費などについて一部を負担している。
 戦時中の軍隊の慰安所設置によって、悲劇を強要された人々がおり、その人々がいまだに過去を引きずってい生きているという事実を我々日本人は真摯に受けとめる必要がある。しかし上述のとおり、そのための政府の補償もしくは賠償という問題解決の手段は、いまや残されておらず、、ここにこのような機関が発足した意味は非常に大きい。この機関の設立について、日本政府が補償の責任を一方的に回避しようとするものであるとの非難の声もあるが、そうした見方ではなく、日本国民が民間で発足させた同基金の積極的な意味についてもう少し論じられるべきであろう。1995年6月14日、この基金の設立構想を受けた韓国外務部は「この間の当事者たちの要求が、ある程度反映された誠意ある措置」と評価する声明を発表した(96)。今後日本側としては、本問題に対する韓国側のさらなる理解を得るべく、真相の究明と、それを歴史の教訓として残すための一層の努力を払っていかなければならない。

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