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序章 問題の所在

2012年09月01日 | 戦後補償

『日本の戦後補償問題』、1996年執筆


 1991年12月6日、35人の韓国人が日本政府を相手取り、東京地裁に一人2000万円の支払いを求める提訴をおこなった。このなかには日本の元軍人・軍属とその遺族のほかに、三人の元従軍慰安婦が含まれていた。これを契機に従軍慰安婦問題は、広く世に知れ渡ることとなった。もちろんこの提訴以前から、従軍慰安婦問題めぐるいくつかの議論はなされていたが、一般に社会がこの問題に抱いていた関心は、それほど高くはなかった。提訴した元従軍慰安婦たちは、戦後50年近く守ってきた沈黙を破り、突如姿を現し、したがって日本社会にもたらしたインパクトは当然大きく、社会の関心を一気に高めたのである。
 しかも1990年代にはいってから、このような日本の戦争中の行為に関連した提訴が数多くなされ、注目を集めるようになっていた。強制連行、恩給、障害年金、BC級戦犯などに関する訴訟などがまさにそれであり、そのなかには韓国人によってなされた提訴も少なくない(1)。
 日韓両国は1965年の日韓基本条約締結に際し、「財産及び請求権・経済協力に関する協定」にも同時に調印している。この「財産及び請求権・経済協力に関する協定」の第2条1項は、「両締約国は、両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)項に規定れたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と述べている。これにより、両国政府間で議論すべき請求権問題はすべて解決されたというのが日本政府の立場であり、また韓国政府の立場でもある。
 しかし、最近のこうした多くの訴訟について考えるとき、日本の戦後処理が本当にすべて終わったのかの疑問を持たざるをえない。政府間レベルでの日本の戦後処理問題はたしかに解決したとはいえ、いまだ未解決のまま残されている大きな課題のひとつとして、「戦後補償」という問題が、いま提起されているからではないだろうか。
 ところで、この「戦後補償」問題に取り組むにあたっては、そもそも「戦後補償」とは何であるのか、どのようなプロセスで生まれた概念なのか、何を対象にすべきなのかなどがあきらかにされなければならない。日韓両国の関係でいえば、「戦後補償」と日韓基本条約との関係や、韓国人に対する国籍条項の適用措置などの具体的問題についても、検証されなければならない。さらには、ドイツナチズムに対する戦後補償との比較や、日本の戦後責任の解明なども必要とされる。そこで本稿では、日本の戦後処理問題としての「戦後補償」について、日本はどう取り組んでいくべきかという基本的な問題意識に沿って、必要と思われる点について検証しながら考察していきたいと思う。

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