常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

ブラックホールと未来旅行

2012年02月18日 | 人生

「Newton」2012年3月号に、タイムトラベルの特集をがありました。そのなかの「ブラックホールを使うことでも、未来へのタイムとラベルは可能」という見出しで、以下のような記述があります。

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宇宙にはもっと極端な時間の遅れをもたらす天体が存在します。その代表は「ブラックホール」です。ブラックホールとは強力な重力をもつために、光すら飲みこむ天体です。ブラックホールに近づくほど時間の進み方は遅くなり、ブラックホールの表面(事象の地平面)では、何と時間の流れが完全に止まってしまいます。

ブラックホールの表面とは、地球の表面のようなものではなく、「それ以上、内部に入ると光ですら二度と出られなくなる境界面」のことです。つまり境界面に、何か物質があるわけではありません。ブラックホールとは光を吸い込む”真っ暗な空間”のことなのです。
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この記述をそのまま受け止めれば、仮にブラックホールに吸い込まれることがなかったとしても、ブラックホールの表面まで行ってしまったら、そこで時間が完全に止まってしまうため、その状態が永遠に固定されることとなり、二度と戻れなくなるということになるのでしょう。したがって、効率よくタイムトラベルをするためには、けっしてブラックホールの表面には到達することなく、しかしながらそのギリギリの距離まで詰めるというのがよいということになります。つまり、ブラックホールのギリギリのところ、淵まで近づけば近づくほど、限りない未来にまで行けるということになるのです。

上記特集では、タイムトラベルの可能性について、科学的見地から論じられていました。将来的に、タイムトラベルが実現する可能性に関しては、誰も否定することができません。私自身、タイムトラベルは実現可能だと思っています。ただし、今、私たちが認識しているこの宇宙に限って言えば、ある特定の物体が、時空を意のままに越えることができるようなタイムトラベルは実現しないと考えます(「タイムトラベラーはいてもいい」参照)。

一方で、こうしたタイムトラベルについては、人生に関しても同じようなことが言えるようにも思います。即ち、ブラックホールとは、一度入ったら出られない「死の世界」です。つまり、死の世界ギリギリのところまで行ってきた(そういう経験をしてきた)人には、それ相応の生きるべき道が見える、生きるべき未来が見えると思うわけです。人間は、ある意味、そういう死の世界を垣間見ることで、「未来のビジョンを得る」というタイムトラベルができるのではないかという気がしてなりません「死の淵から得られるもの」参照)。

精神や魂というのは、この宇宙の法則に従いながらも、物理的制約を越えて存在することができるものとも言えます。そう考えると、科学の分野で論じられるような物理的な意味でのタイムトラベルとは別に、精神や魂の世界において、ブラックホールの淵ギリギリ、即ち「死の淵」まで行って帰ってくるようなタイムトラベル、あるいは未来旅行というものも、十分可能なのではないかと考えられるのです。私なりには、精神世界には精神世界なりのブラックホール(のようなもの)があり、その力をうまく使いこなすことで、ある種の未来旅行ができるような気がするのでした。

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「自分教」神社の復活

2012年02月16日 | 日常

先日、部屋の掃除をしていたら、だいぶすっきりしたので、2年ほど前に片付けた「自分教」神社を引っ張り出してみました(「「自分教」神社の撤収」参照)。

神棚を使って、こんなことをするというのに対しては、不謹慎という意見もあろうかと思います。しかし、宗教には限界があり、神とは何かについて考えることに、タブーがあってはならないでしょう。こうした遊びのような活動を通じ、八百万とも言われる多神教的思想の日本において、神という存在がどのように定義づけされているのか、神社がどのような過程で生まれてきたのか等、少しでも明らかにできればと思っています(「偶像崇拝とフィギュア」等参照)。

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2012年1月期のアニメ

2012年02月12日 | ランキング

2012年第1クールのアニメも、各々どういう作品なのか、そろそろはっきりしてきたように思います。とあるサイトでのランキングでは、「男子高校生の日常」がトップとの記事がありましたが、ここではあらためて、自分ランキングとして、私なりの順位付けをしてみたいと思います。

順位

タイトル
コメント

キルミーベイベー
毎回大爆笑してます。やすなのボケっぷり、最高です。

あの夏で待ってる
常に次の展開が楽しみな作品です。戸松さんの演技も大好きです。

男子高校生の日常
はい、面白いです。そして、意外と「女子高生は異常」も好きだったりします。

Another 
気味の悪い話ながら、最近、ようやく話の外枠が見えてきました。今後の展開が楽しみです。

エリアの騎士
あちこち惹きつけるものがあるサッカーアニメだと思います。

この他、「夏目友人帳 肆」、「アマガミSS+ plus」、「戦姫絶唱シンフォギア」、「偽物語」、「探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕」、「モーレツ宇宙海賊」、「BRAVE10」、「輪廻のラグランジェ」、「アクエリオンEVOL」、「ゼロの使い魔F」、「パパのいうことを聞きなさい!」、「テルマエ・ロマエ」、「妖狐×僕SS」、「ブラック★ロックシューター」などを見ています。とくに、ミルキィーホームズやテルマエ・ロマエなどは、毎回バカバカしいと思いつつ、それなりに楽しんでしまっています。

さらに前期から引き続き見ている「ちはやふる」、「未来日記」は、とてもよくできていると思います。この二作品は、時間さえあれば、もう一度ちゃんと見直したい感じです。

何にしても、やはりアニメは良いものです。

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政治家と官僚の役割分担

2012年02月02日 | 政治

官僚主導の体制を害悪として、「脱官僚」、「政治主導」を標榜する人々がいます。これはこれで、ひとつのかたちなのでしょう。しかし、官僚との協業ができない政治家・政権は、ひとつ間違えれば、単なる傲慢に成り下がります。重要なのは、役割分担でしょう。

「脱官僚」、「政治主導」をスローガンに、国会答弁には政治家のみで対応するという試みもなされました。しかし、この結果透けて見えてくるのは、政治家たちの力量不足でした。

国会の議論を眺めていると、時折、野党から重箱の隅をつつくような質問がなされることがあります。当然、細かいことを把握できていない大臣は答弁に窮し、それをみた野党が、鬼の首をとったかのように騒ぎ立てるということが起こります。これでは、建設的な議論が進みません。

元来、大臣がすべての案件について、詳細まで把握している必要はないものと思われます。国の根幹に関わる重大な意思決定を行うための情報さえ、きちんと把握できていれば、適切な判断はできるはずです。その重大な意思決定をするために必要な情報を大臣が把握しているのか、野党が問いただすのは重要なことです。しかし、それに当たらない質問、あるいは詳細な数字を求めるような質問については、いちいち大臣ではなく、各担当者(官僚)が答えればいいはずです。

そうした官僚と政治家の役割分担(あるいは、官僚の方々の能力)を無視して、安易に「脱官僚」などというスローガンを掲げてしまっては、それらの質問について、大臣をはじめとした政治家が全て答えなければいけないということになります。これができない場合、それはもはや「脱官僚」を標榜した政治家の自業自得と言うほかありません。

そういう意味で、政治家は官僚の方々と、大いに協業しなければいけないのです。そのなかで、政治家が成すべきことは、官僚の方々を惹きつけるだけのきちんとしたビジョンを示すことでしょう。官僚の方々も、官僚である前にそれぞれが一人の国民です。国民を惹きつけるビジョンをもたずして、政治家が、その職責を果たせるはずがありません。ここにこそ、本来あるべき「政治主導」のかたちがあるのではないかと思います。

「脱官僚」、「政治主導」が間違っているとは言いません。戦後からの高度成長時代が過去のものとなり、多くの人々が国の行く末を見失っているなか、何か新しい試みをしようというのは大切なことです。その試みのひとつが、「脱官僚」、「政治主導」という言葉に表れているのでしょう。ただ、そうした大変な国情であるからこそ、なおのこと政治家は、自分たちのビジョンを明確に示し、多くの官僚の方々を巻き込んでいかなければならないのだろうと思います。重要なのは、両者の役割分担なのでしょう。

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