政治家の方々の言に、時折、違和感を覚えることがあります。それは、政治家の方々こそが、日本という国を変えていくかのような、あるいは救っていくかのような発言に対してです。日本という国は、国民ひとりひとりのものであり、自分たちが変えていく、あるいは救っていく国でなければなりません。政治家の方々が、頑張られるのは結構なことですが、国家のありようというのは、本質的に国民ひとりひとりにかかっているものであり、政治家は、そのお手伝いとみなすこともできるように思います。逆に、あまり政治家の方々ばかりが気張ってしまうと、国民ひとりひとりの責任感が薄れ、かえって国をダメにすることにも繋がりかねません。
そういう意味で、政治家は、ただ国家を変えたり、国民を救ったりというのではなく、自らが一国民としての手本を示すという存在であってもいいのではないかと思うのです。以下、「Fate/Zero」での台詞回しを聞いて、あらためてそう思いました。
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《セイバー》
私はわが故郷の救済を願う。(中略)ブリテンの滅びの運命を変える。
《ライダー》
なぁ、騎士王。貴様、今、運命を変えると言ったか?それは過去の歴史を覆すということか。(中略)貴様、よりにもよって、自らが歴史に刻んだ行いを否定するというのか。
《セイバー》
そうとも。(中略)王たる者ならば、身を挺して治める国の繁栄を願うはず。
《ライダー》
いいや、違う。(中略)自らの治世を、その結末を悔やむ王がいるとしたら、それはただの暗君だ。(中略)余の決断、余に付き従った臣下たちの生き様の果てにたどり着いた結末であるならば、その滅びは必定だ。(中略)けっして悔やみはしない。ましてそれを覆すなど、そんな愚行は余とともに時代を築いた全ての人間に対する侮辱である。
(中略)
《セイバー》
力なき者を守らずしてどうする。正しき統制、正しき治世。それこそが王の本懐だろう。
(中略)
《ライダー》
ただ救われただけの連中が、どういう末路をたどったか。それを知らぬ貴様ではあるまい。貴様は臣下を救うばかりで、導くことをしなかった。王の欲のかたちを示すこともなく、道を見失った臣下を捨ておき、ただ一人ですまし顔のまま、こぎれいな理想とやらを思い焦がれていただけよ。
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以上の台詞、私なりに「王」を「政治家」と読み替えて、国家のありようなるものを考えてみました。
政治家が、政治家の本分として、自ら与えられた職務を全うすべきであることは言うに及びません。しかし、その職務たるものは、ただ国民を救う、国民の生活を改善することではないでしょう。国民自身が、いかにこの国を良くしていくべきか、その道と手本を示し、導いていくことこそが、これからの時代において、真に求められることなのではないかと思うのです。
国民にもいろいろといるはずです。自らの至らぬ点を認め、それを他人のせいにせず、ただひたすら懸命に生きようとする国民と、自分で歩く力があるにもかかわらず、責任を他人になすりつけ、自らの足でまともに歩こうともしない国民・・・これらを一緒くたに救おうといのが、土台、無理な話です。前者は救う必要があるとしても、後者はそれに値しないとも言えます。そういう意味で、新しい時代の政治家の姿勢を考える上で、上記のような台詞回しに、大きなヒントがあるように思うのでした。