常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

垢落としの2009年

2009年12月31日 | 自分

2009年も、あと数時間を残すのみとなりました。今年をあらためて振り返ってみると、自分なりには、「垢落としが終わった年」と位置づけてよいのではないかと思っています。

新しいことを実現するためには、余計なものを巻き込んではいけません。下手に余計なものを身の近くに置いてしまったら、それが後々災いとなって、自分の身に降りかかってきてしまいます。結果として、志を遂げることはできません。私としては、今年の総括として、これまで自分が成長していく過程の中で、どうしても必要だったもの、けれども「垢」に成り果てたものを整理することができた、とても貴重な一年であったと振り返ることができるのではないかと思うのです。

一応、念のため付け加えておきますが、「垢」はけっして悪ではありません。「垢」は、それが「垢」に成り果てる直前まで、紛れもなく自分の身体の一部だったものであり、それに対しては、大いに感謝しなければならないと考えます。したがって、「垢」が「垢」に成り果てたこと自体は、むしろ悲しむべきことなのだろうとも考えます。

しかし、それが自分の成長とともに、「垢」に成り果てた瞬間、それを自分の身体の一部として、置いておくことができなくなるのも事実です。これは、非常に悲しいことではありますが、ただやはり、どうしても新しい身体をきちんと動かしていくためには必要なことでもあります。

そういう意味で、2010年という大変貴重で大切なスタートを切るにあたり、今年はきっちりと「垢落とし」ができました。いよいよこれから、次の時代を共に切り開いていくことになる仲間たちが、順次、集い始めることになるのだろうと考えます。

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2009年アニメ&アニソン

2009年12月30日 | ランキング

いよいよ、今年も残すところ、あと2日足らずとなりました。今年は、アニメやアニソンに関しても、多くの出会いがありましたので、それらを振り返る意味で、以下、勝手にランキングをつけてみたいと思います。エントリーは、2008年から始まったものでも、放送期間が2009年にかかったものを含めています。

■アニメ作品

総合部門は、二つの作品を大賞に入れておきたいとも思いましたが、「君に届け」は、まだ現在放送中であることを鑑み、「けいおん!」をトップといたしました。深夜、あんなに笑わせないでくださいと言いたくなるほど、本当に大笑いさせていただきました。

総合部門 大賞 けいおん!
副賞 君に届け
シリアス部門 大賞 Phantom
入賞 CANAAN
東京マグニチュード8.0
戦場のヴァルキュリア
鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST
爽やか部門 大賞 とらドラ!
入賞 とある科学の超電磁砲
スキップビート
咲-Saki-
マリア様がみてる 4thシーズン
お笑い部門 大賞 にゃんこい!
入賞 GA 芸術科アートデザインクラス
夏のあらし!
まりあ†ほりっく
懺・さよなら絶望先生
アート部門 大賞 東のエデン
入賞 WHITE ALBUM
DARKER THAN BLACK 流星の双子
青い花
RIDEBACK

■アニメソング

エントリーは適当ですが、大体、こんな感じだと思います。今年の初めに聞かされて、強烈な印象を残した「深愛」が、年末になっても他を寄せ付けず、堂々の総合部門大賞に輝きました。その他、それぞれの曲に対して、いろいろとコメントを付したいところではありますが、字数の関係もあるので、ここでは割愛いたします。

総合部門 大賞 深愛 「White Album」、水樹奈々
副賞 Parallel Hearts 「Pandora Hearts」
片想い 「君に届け」
カッコイイ部門 大賞 RIDEBACK 「Ride Back」、MELL
副賞 mind as Judgment 「CANAAN」
片翼の鳥 「うみねこのなく頃に」
入賞 Don't say lazy 「けいおん!」
only my railgun 「とある科学の超電磁砲」
ゴールデンタイムラバー 「鋼の錬金術師 FA」
カナシミレンサ 「戦場のヴァルキュリア」
Free 「バスカッシュ!」
僕が僕のまま 「バスカッシュ!」
夢幻 「White Album」
おやすみパラドックス 「夏のあらし! ~春夏冬中~」
Maze 「Pandora Hearts」
again 「鋼の錬金術師 FA」
Arrival of Tears 「11eyes」
しっとり部門 大賞 恋焦がれて見た夢 「クロスゲーム」、絢香
副賞 舞い落ちる雪のように 「White Album」
M/elody 「東京マグニチュード 8.0」
入賞 透明な祈り 「うみものがたり」
violet 「うみものがたり」
くもりガラスの向こう 「マリア様がみてる 4thシーズン」
Dear My Friend 「とある科学の超電磁砲」
果てなき道 「テガミバチ」
Life and proud 「明日のよいち」
trust you 「機動戦士ガンダムOOセカンドシーズン」
Remedy 「鉄のラインバレル」
光と闇と時の果て 「空を見上げる少女の瞳に映る世界」
Centifolia 「青い花」
ノリノリ部門 大賞 HANAJI 「まりあほりっく」、小林ゆう
副賞 熱烈歓迎わんだーらんど 「咲-Saki-」
カラコイ~だから少女は恋をする~ 「ハヤテのごとく!!」
入賞 MY BOY 「しゅごキャラ!!どきっ」
お先にシルブプレ 「GA 芸術科アートデザインクラス」
YAHHO!! 「かなめも」
Cagayake!GIRLS 「けいおん!」
ワンウェイ両想い 「けんぷファー」
modern strange cowboy 「NEEDLESS」
本日、満開ワタシ色! 「ハヤテのごとく!!」
完璧ぐ~のね 「フェアリーテイル」
みらくるハッピーディ 「聖剣の刀鍛冶」
JAP 「戦国BASARA」
秘密推奨!うるとLOVE
   「乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪」
Super Driver 「涼宮ハルヒの憂鬱」
林檎もぎれビーム! 「懺・さよなら絶望先生」
良曲部門 時を刻む唄 「CLANNAD AFTER STORY」
ツキアカリのミチシルベ 「DARKER THAN BLACK 流星の双子」
赤い糸 「White Album」
Spiral 「アスラクライン」
彼方のdelight 「アスラクライン2」
Baby universe day 「キディ・ガーランド」
太陽と月 「キディ・ガーランド」
マジックjナンバー 「こばと。」
虹色ポケット 「ささめきこと」
キミシニタモウコトナカレ 「シャングリ・ラ」
はじまりの朝に光あれ 「シャングリ・ラ」
School Days 「しゅごキャラ!!どきっ」
しゅごしゅご! 「しゅごキャラ!!どきっ」
The fine every day 「タユタマ-Kiss on my Deity-」
キズナノ唄 「タユタマ-Kiss on my Deity-」
Free and Dream 「ティアーズ・トゥ・ティアラ」
masterpiece 「とある魔術の禁書目録」
Strawberry 〜甘く切ない涙〜 「にゃんこい!」
にゃんだふる! 「にゃんこい!」
nO limiT 「バスカッシュ!」
二人の約束 「バスカッシュ!」
Snow Fairy 「フェアリーテイル」
Princess Primp! 「プリンセスラバー!」
H@ppy Together!!! 「フレッシュプリキュア!」
You make me happy! 「フレッシュプリキュア!」
地図散歩 「マリア様がみてる 4thシーズン」
絶対カラフル宣言 「みなみけ おかえり」
マリーゴールド 「リストランテ・パラディーゾ」
君の知らない物語 「化物語」
キラリフタリ 「夏のあらし!」
泪のムコウ 「機動戦士ガンダムOOセカンドシーズン」
ホログラム 「鋼の錬金術師 FA」
鬼帝の剣 「鉄のラインバレル」
笑顔の理由 「明日のよいち」
Sympathizer 「黒神」
彩の無い世界 「黒神」
Glossy MMM 「咲-Saki-」
phosphorus 「神曲奏界ポリフォニカ クリムゾンS」
こいのうた 「神曲奏界ポリフォニカ クリムゾンS」
挑発Cherry Heart 「乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪」
青い花 「青い花」
アノ風ニノッテ 「戦場のヴァルキュリア」
明日へのキズナ 「戦場のヴァルキュリア」
止マレ! 「涼宮ハルヒの憂鬱」
きみにとどけ 「君に届け」
ありがとう部門 TORCH 「CLANNAD AFTER STORY」
君へとつなぐココロ 「かなめも」
ココロいろ Palettes 「GA 芸術科アートデザインクラス」
Summer rain 「クロスゲーム」
オルタナティヴ 「アスラクライン2」
Link 「アスラクライン」
KARMA 「Phantom」
あんりある♡パラダイス 「けんぷファー」
ジェリーフィッシュの告白 「こばと。」
悲しいほど青く 「ささめきこと」
Take It Easy! 「しゅごキャラ!!どきっ」
Bravo☆Bravo 「しゅごキャラパーティー!」
PARTY TIME 「しゅごキャラパーティー!」
わたしのたまご 「しゅごキャラパーティー!」
Ring My Bell FULL 「そらのおとしもの」
Blue sky,True sky 「ティアーズ・トゥ・ティアラ」
はじまりの日 「テガミバチ」
silky heart 「とらドラ!」
オレンジ 「とらドラ!」
Wonder Wind 「ハヤテのごとく!!」
経験値速上々↑↑ 「みなみけ おかえり」
宇宙は少女のともだちさっ 「宇宙をかける少女」
裸々イヴ新世紀 「宇宙をかける少女」
あたしだけにかけて 「夏のあらし!」
乙女の順序 「夏のあらし! ~春夏冬中~」
アネモイ 「空を見上げる少女の瞳に映る世界」
ヤサシイウソ 「鋼殻のレギオス」
Brave your truth 「鋼殻のレギオス」
bloooomin' 「咲-Saki-」
四角い宇宙で待ってるよ 「咲-Saki-」
Treasure 「生徒会の一存」
JUSTICE of LIGHT 「聖剣の刀鍛冶」
Light of Dawn 「戦う司書」
堕天國宣戦 「戦う司書」
ユメ・ミル・ココロ 「大正野球娘。」
浪漫ちっくストライク。 「大正野球娘。」
Super Noisy Nova 「宙のまにまに」
Falling Down 「東のエデン」
futuristic imagination 「東のエデン」
キミノウタ 「東京マグニチュード 8.0」
Perfect World 「狼と香辛料Ⅱ」
蜜の夜明け 「狼と香辛料Ⅱ」
絶望レストラン 「懺・さよなら絶望先生」

クリエイター、アーティストの方々、今年一年、本当にありがとうございました。また来年も、多くの素晴らしい作品に出会えることを楽しみにしております。

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資本主義君からのお手紙

2009年12月29日 | 社会

以下、私の知り合い、資本主義君からのお手紙です。他人からの手紙をネットに上げるのはどうかと思いましたが、問題が問題ですし、資本主義君の言い分も分かるので、ひとまず世に知らしめるという意味で、こちらに掲載することにいたしました。

============================
こんにちは。いつもお世話させていただいています、資本主義です。

今までは忙しすぎて、なかなかテレビなどを見る時間がなかったのですが、最近、ちょくちょく時間が空くようになりました。そこでこの間、久しぶりにテレビを見ていたら、とあるコメンテーターの方が、私のことについて話していました。まあ、社会全体が大変だという話だったのですが、そのなかで「歪んだ資本主義」って言ったんです。正直、耳を疑いました。

-えぇ?何でそんなことを言うんですか?!-

そりゃ、たしかに私は、完璧ではないと思います。いろいろと問題もあるでしょう。しかし、それでも昔、共産主義さんと私と、どちらが良いかっていう話のなかで、「私の方が良い」って言って選んでくれたじゃないですか。それに何だかんだ言いながら、今日の人間さんたちの繁栄は、それなりに私が頑張ったからだという自負もしていました。それなにの・・・それなのに・・・。

そもそも、私を生み出したのは人間さんたちです。そして、私を使うのも人間さんたちです。「歪んだ資本主義」という話が出るに至る議論をじっくり聞いていると、単純な話、私を利用している人間さんたちの方が歪んでいるだけで、私はちっとも悪くないのではと思うのです。ただ残念なことに、私には、言い分を主張するだけの口がありません。それをいいことに、人間さんたちが自分たちの問題を棚に上げて、私ばかりを一方的に悪者扱いしているような感じを受けてしまい、それが悔しくて、悔しくてたまらないのです。

ごめんなさい。こんなことを愚痴っても仕方ないですよね。でも今、社会で起こっている問題を「歪んだ資本主義」などといって、私のように、人間さんたちが生み出した仕組みのせいばかりにするのではなく、人間さんたちが自分自身を見直してくれたら、もっときちんと良い答えが見つかるのではないかと思うのです。

生まれてきた以上、私は私なりに、これからも精一杯、人間さんたちのお役に立てるよう頑張っていきたいと思っています。なので、もしできれば、人間さんたちにも、もっともっと頑張っていただくようにお伝えください。よろしくお願いします。

資本主義より

追伸、今年も残り僅かとなりましたが、来年もお互いに良い年になるといいですね。
============================

うん?あ?こんな手紙、届くはずありませんか・・・。いやでも、もし資本主義君に口があったら、こんなことを言うのではないかと思ったのです。自分たちのことを棚に上げて、物申す口がないもの(仕組みや制度)へ責任をなすりつけるのは、けっして良くないことなので、それを自分自身への戒めともしつつ、今後の新しい社会作りに励んでいきたいと思います。

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若者だからこそ真剣

2009年12月28日 | 社会

先日、私の親世代の方から学生運動の話を伺いました。今の時代では、到底、考えられないような思考で、学生たちがエネルギッシュに活動していたことがよく分かります。ところで、こんな話と一緒に言われたことは、現代の若者に対する嘆きでした。

-最近の若者はだらしないんじゃないか?-

おっしゃる意味は、よく分かります。とくに私たちの親世代は、間違いなくひとつの時代を作り上げてきました。そうした方々からすれば、今の若者たちが情けないと感じることは、十分に理解できます。また私自身、そんな若者を全面的に弁護するのは、難しく、若者も若者なりに変わっていかなければいけない部分があるだろうと考えています。

しかし、そうは言っても、今の若者ばかりが悪いと思っているわけではありません。むしろ現代の若者は、今の親世代よりも敏感、且つ真剣に社会の未来像について、思い悩んでいると言うことができるような気がするのです。

当然のことですが、親の世代よりも、若者の世代の方が、この社会に長く留まって生きていくことになります。より多くの未来を残していると言っていいかもしれません。私は、そんな若者たちが、社会の未来に対して真剣にならないわけがないと思うのです。否、真剣になるからこそ、「最近の若者はだらしない」と言われるほど、塞ぎ込んでしまうのではないかとも思うわけです。

おそらく、親の世代が若者として暮らしていた時代、社会の仕組み(世界の価値観と言ってもいいかもしれません)は、今ほど固まっていなかったのではないかと思います。まだまだ成長していく余地が残されていたし、それがどういう方向に転じていくか分からない世界において、若者たちが学生運動で何かを変えられるという可能性が残されており、またそう思えた時代だったのではないかと思うのです。そうしたなかで、昔は若者たちの「社会を変えよう」とする活力が、学生運動というかたちで表現されたのではないかと考えます。

ところが、現代社会の成熟度は、かつてのそれとは比較にならないほどのレベルに達し、その仕組みはこの上なく強固、且つ硬直的なものへと変貌しました。もはや、学生運動などということは、自殺行為以外の何物でもなく、かと言って、個人でいくら頑張っても、何も変わらないという絶望感を味わうしかないというのが、現代の若者が抱える悩みのような気がしてならないのです。もちろん私は、このままで良いとは思いません。しかし、それだけ強固で硬直的になった社会の仕組みを前にして、その本質を見抜いてしまったが故に、動けなくなっているような若者がいることも、また事実ではないかと思うのです。少々、違った話ですが、「真面目な人ほどうつ病にかかりやすい」と言います。塞ぎ込んでしまっている若者たちには、これに通ずる真面目さがあるのではないかと思えてならないのです。

「現代の若者がだらしない」という指摘は、これはこれとして、率直に受け入れる必要があるでしょう。しかし、上の世代よりも未来を多く残している若者が、未来に対して真剣でないわけがないということも、また揺ぎない事実だと考えます。

私としては、そうした未来に対して真剣な若者たちが、「やればできる」と信じられるような仕組み、インフラを整えることで、これからの時代を大きく変えていくことに貢献していきたいと考えます。

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すべては君のためにある

2009年12月27日 | 歌詞&台詞

普段から、アニソンばかり聞いておりますが、「しゅごキャラ!!どきっ」のEDテーマだったBuono!の「MY BOY」に、こんな歌詞があります。この歌詞、相当深いと思うのです。

-すべては君のためにあるってことならどうする?-

こうした自己中心的な思考は、私が考える「自分こそが神である」という自分教とも通じるものがあり、大変、重要なことではないかと思います(「「自分教」の薦め」参照)。

一方で、「こんな自己中心的な考え方はけしからん!」というご意見もあるでしょう。たしかに、この世のすべてが例外なく自分のためにあるなど、究極の自分勝手であり、勘違い甚だしいとも言えます。しかし私は、この言葉が持つ意味を、そんなに生易しいものと捉えていません。そしてまた、万が一、こうしたご指摘をされる方がいらっしゃるならば、その方自身が、この言葉の意味の重さを、きちんと理解していないだけなのではないかと逆に問い質したいと思います。

ここでは、「すべて」と言っています。

良いことと悪いこと、嬉しいことと辛いこと、楽しいことと悲しいこと、得ることと失うこと、愛されることと憎まれること・・・。これらすべてが、自分のためにあると考えたら、それがどれほど大変なことか、想像に難しくないだろうと考えます。

現世の快楽ばかりを追い求めてしまうような人間は、自分にとって都合の悪い事象を「他人のせい」であったり、「自分とは関係ないこと」として、整理しがちになるものです。こういう人の場合、都合の悪いことは、自分とは切り離して、消し去ってしまうのであり、言い方によっては手のつけられない「自己チュー」とも言えるでしょう。

そういう意味で、「すべては自分のためにある」という言葉に対して、「けしからん」とおっしゃる方の場合、その方自身が、自分が考える「すべて」において、都合の悪い事象を日常的に消し去っているのであり、それこそ自分勝手で、都合の良いようにしか生きていない「自己チューな人」である可能性がある点、注意が必要です。

良いことも悪いことも、何もかもが「すべて」、自分のためにあるとしたら、それは結構大変なことなのです。そして、この世のあらゆる事象に対して、それが表面上、どんなに良いことでも、あるいはどんなに悪いことでも、一旦、自分のためにあると思ったら、人生、そんなに退屈しないはずです。

-何故こうなった?このことは、自分にどんなメッセージを送っている?-

多くの人々が、常にこうした自問自答を続けられるようになったら、人間という存在はもっと変わっていけるでしょうし、世界全体も、もっと良い方向に動いていくことになるでしょう。

そんなことを思いつつ、あらためて問いかけてみたいと思うのです。

-すべてが自分のためにあるとしたら、あなたはどうします?さ、どうします?-

ま、ゆっくり、時間をかけて考えていきましょう。

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笑いすぎてごペンなさい

2009年12月26日 | 政治

ペンギンの問題」、いつも楽しく見ています。くだらないと言えば、くだらないのですが、主人公・ベッカムの人を小バカにしたようなところが、可笑しくてたまらないのです。

一方で、最近の民主党による政権運営が、可笑しくてたまりません。総理大臣を含めて、政府関係者の方々は、彼らなりに一所懸命やられているのでしょうし、努力されているのでしょうから、安易に笑うようなことがあってはいけないと思います。

しかし、あまりにも酷すぎるというのも事実でしょう。最高責任者の政治資金の問題、財源不足と国債発行の問題、脱官僚を目指した人事の問題・・・。まだ、新内閣発足から100日余りしか経っていないにも関わらず、公約されていた事柄について、これだけ見事にボロボロと問題が出てきてしまうというのは、決定的に何かがズレていると言わざるを得ないと思います。

元はと言えば、何もかも公約に掲げてしまったが故の問題です。こうした公約を掲げたことによって、政権を取ったのであれば、当然、それらの事項について、堂々と説明できるような結果、あるいはそれに向けての歩みを進めていかなければなりません。しかし、これまでの成り行きを見る限り、それらを示せていないどころか、逆に裏切っているのではないかという疑念を抱かせるような問題が、短期間に噴出しているわけです。約束をしておいて、それをこれだけ見事に破ってくれると、約束した相手、即ち国民をバカにしているという謗りを免れないということにもなりかねません。この点、公約を掲げてしまっている以上、細心の注意が必要です。

繰り返しですが、私としては、現政権に関係している方々が、それなりに一所懸命やられていると思うので、とにかく頑張っていただきたいというエールを送りたいと思います。しかし一方で、私は私なりに、国や世界のために努力しているつもりですし、その範囲外において起こっている政治の問題については、もはや私の力ではどうすることもできないというのは事実です。これを前向きに捉えようとすると、もう笑うことくらいしかできませんし、問題に対する向き合い方として、こうした向き合い方も許されるのではないかと思っています。

昨日、政治問題(国債発行額)について、大笑いしたことをTwitterに書いたら、ある方に「笑えません」と言われてしまいました。たしかに、そういうご指摘は、もっともだと思います。ただ、私としては、現時点における自らの実行能力や責任範囲をわきまえた上で、 「もはや笑うしかない」という思いで、笑い飛ばさせていただきました。それはある意味、私自身の精神衛生を保つための問題解消法程度に考えていただけると幸いです。

ところで、こうした問題があまりに深刻化して、「国民をバカにしている」という風潮が、いよいよ高まってしまったとき、私の笑い方は少し変わってきてしまうかもしれません。

-ベッカムみたいに、人を小バカにしているあたりが最高に可笑しい-

現在、政権運営に携わっている方々におかれましては、私ごときにこんなことを言われぬよう、課せられた責務に対して真摯に向き合われ、国民の皆様から信頼していただける言動をなさることを切に願うばかりです。

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旧時代政治終焉のシナリオ

2009年12月25日 | 政治

日本の高度成長は、戦後の大型ベンチャーを中心とした経済界を背景とし、それを力の源としたビジョンある政治家たちが成し遂げたのだと考えます。高度成長を成し遂げる過程においては、今日、癒着と揶揄されるような構造的問題もありますが、それは、今でこそ問題として論じられるものであり、当時、日本を大きく成長させるための仕組みとして、立派に機能していたと考えるべきでしょう。そういう意味で、自民党というのは、かつて力とビジョンを兼ね備えた政党であったと言うことができると思います。ここでいう力とは、組織力という言葉に置き換えても良いかもしれません。

そう考えた時、現在の自民、民主の二大政党に所属している政治家、それ以外の政治家は、以下のように分類できるのではないかと思います。そして私は、古くなったパラダイムを整理し、旧時代の政治に幕を下ろす役回りは、この上から順番に担当していくのではないかと考えています。

第一段階:力があってビジョンを失った人々(自民党)
第二段階:それなりの力があってビジョンがない人々(民主党)
第三段階:力もビジョンもない人々(その他小政党、無所属)
 ※「力」については、時を追う毎に無力化していくと思われますが・・・

この整理のなかで、現在は第二段階にあたります。

ただし、このように整理すると、民主党の方々から、「ビジョンがないとは何事か!」というお叱りを受けるかもしれませんので、一言付け加えておきます。

民主党の方々は、これまでまともに政権を取ることがなく、政権運営に携わった実績がほとんどありません。したがって、たとえ何らかのビジョンがあったとしても、それを実現したとは言えず、それは単なる「絵に描いた餅」に過ぎないとも言えます。現状、政権与党ですので、もし確固とした正しいビジョンがあるのならば、かつての自民党の方々が成し遂げたような、新しい日本をきちんと作り出していくことになるでしょう。そういう意味で、民主党の方々には、きちんと結果としてお示しいただきたいと思うのです。もし、かつての自民党の方々の実績に比して、見劣りしないような結果を残された場合、私は、率直にお詫び申し上げなければなりません。ただし、この点、私は極めて懐疑的に見ております。それが、上記において、民主党の方々に対して、「(どっちにしても大した)ビジョンがない人々」としている理由です。

話を元に戻しますが、現状は、第二段階に過ぎません。民主党政権によっても、大した前進が期待できないと分かったら、この国の政治は、いよいよ第三段階に移行していくことになるでしょう。もちろん、最終的な第三段階に移行する前に、政権が自民と民主を行ったり来たりするような、多少の「揺り戻し現象」があるかもしれません。しかし、たとえそうした局面があったとしても、それは一時的な現象に過ぎず、どちらにしても第三段階が最終段階になることには変わりないと考えます。

第三段階は、もっと悲惨です。ビジョンがないだけでなく、そもそもの力の源泉すら持ち合わせていない、ほとんど口先だけの政治家ばかりになってしまいます。もちろん、ここで言う「ビジョンがない」という表現についても、もし現職の政治家の方々から反論があるようであれば、是非結果でお示しいただきたいと思います。少なくとも私は、彼らが大した結果を残せるとは思っていません。然したる力を背景に持たない政党や、個人だけで動くだけの無所属議員に、新しい日本をリードできる力はありませんし、次の時代は担えないというのが私見です。

そして私は、そうした意味での第三段階において、ようやく国民の多くが気付くのではないかと思うわけです。

-自分が政治家をやってもいいんじゃないか?-

こうなった時、いよいよ国民一人一人が政治家になるくらいの責任感を持って、政治に参加する時代になると言えるでしょう。第三段階のような悲惨な状況に陥るまで、新しい時代が訪れないと考えると、それはそれで大変なことではあります。しかし、日本という国の行く末について、国民一人一人がきちんと責任感を持てることができるということは、とても素晴らしいことだと思います。そして私は、それこそが、新しい時代における正しい政治の姿ではないかと思うのです。

昨日の鳩山さんの政治資金に関する会見に対して、いろいろと不満を述べられる国民の方々もいらっしゃるようです。それはそれで、心情としては非常によく理解できます。しかし、今起こっていることを、上記の整理に基づいて考えると、新しい時代に至るまでの第二段階の始まりに過ぎず、まだまだもう少し時間がかかりそうであることを指摘せずにはいられません。そして、私としては、自らが為すべき事を淡々と進めつつ、次の時代の到来に備えておきたいと考えます。

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アイディアと魔法の共通点

2009年12月24日 | 歌詞&台詞

「発想が面白いですね」とか、「そんなアイディア、どうやって思いつくんですか?」などと言われることがあります。こうした質問に対して、きちんとお答えするのは、なかなか難しいのですが、一応、私なりの感覚から言えば、アイディアというものはふと降ってくるものだと思っています。別の言い方をすると、ヒラメキということになるのでしょう。それは必ずしも考えに考え抜いて、「どうしよう」とか、「こうしてやろう」とかいう発想の延長線上に、アイディアが存在するわけではないということです。

そして、それが降ってくる原理を考えてみると、以下のように表現できるような気がします。

-愚痴を言わずに悩みを溜めると、アイディアは降ってくる-

以前の会社で、「貴方が真面目にやらないから、EC市場が政府の予測通りに立ち上がらないんだ」と叱られたことがあります。当然のことながら、私はその予測を行った当人ではありませんし、それを立ち上げる責任を負っている人間でもありません。今から、冷静に考えてみると、ずいぶんと理不尽なお叱りを受けたものだと思いますが、当時の私としては、そうしたお叱りに対して、素直に「そうですか、すみません」と返していましたし、実際、それを自分の問題として考えていました。そしてまた、今日現在も、それを自分の問題として考えています。

私にアイディアが降ってくるようになるまでには、こうしたことの積み重ねが大きく影響しているのではないかと思うのです。そして基本的に、そうした生き方を続けていくことで、アイディアというのは適宜、絶妙なタイミングで、降り続けてくるのではないかと思っています。

常日頃、そんなことを思っているなか、先日の「うみねこのなく頃に」にこんな台詞が出てきました。なかなか興味深いものだったので、少々長いですが、引用しておきます。

=============================
右代宮家の長女としての様々な苦しみを味わってきた絵羽おばさんは、その鬱憤を妹の楼座おばさんにぶつけた。楼座おばさんは、自分の鬱憤を娘の真里亞お姉ちゃんにぶつけた。そうしなければ、その苦しみから逃れられなかったから。

だからこそ、真里亞お姉ちゃんの魔法はすごかった。

彼女は、自分の怒りや悲しみを誰にもぶつけようとしなかった。すべて魔法で癒し、溶かしたのだ。右代宮家に続いてきた悲しみと苦しみ。いったいどれほどの長きに渡って受け継がれ、押し付けられてきたか分からない。その苦しみと悲しみの連鎖を真里亞お姉ちゃんの魔法は断ち切ったのだ。
=============================

「あれ?ここで言う魔法は、私が言うアイディアと同じだ」と思ったのです。しかも、その苦しみや悲しみが大きくなればなるほど、背負えば背負うほど、魔法がすごくなっていくというところもポイントです。

これをアイディアと表現するのか、魔法と呼ぶべきなのかは分かりません。ただ、もしかすると、この両者にはとんでもない共通点があるように思ったのでした。

皆さんも、試されてはいかがでしょう?

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宇宙人実在論へのスタンス

2009年12月23日 | 科学

テレビに出てきて、宇宙人の実在を主張される方の議論が、本当に信頼に足るかどうか、信憑性があるかどうかの問題は大いにあるだろうと思います。実際、そういう方々の議論が、突拍子がなく、あまりに飛躍した論理になっていることも認めざるを得ないと考えます。

しかし、宇宙人の実在を主張する方々に対して、嘲笑するような風潮は、あまり感心できません。さらに、そうした態度をとる方々が、あたかもインテリであるかのように振舞うことだけは、けっして許されるべきではないと思います。

そもそも「実在を証明できない=実在しない」ではありません。それにもかかわらず、「実在を証明できない=実在しない」と決め付け、「実在を証明しよう」とされる人々をバカにするような方々は、自らのレベルの低さをさらけ出しているだけかもしれないことに注意が必要です。特に私としては、そうした「実在を証明しよう」とする方々に対して、それを完全に否定し、自分こそが正しいというような態度をとる方が、未知の分野を追求すべき科学者のものであるとしたら、それこそ言語道断であると考えます。

ただし、それでも嘲笑されたり、バカにしてみたりということを止められないという方々については、それはそれで仕方がないと思います。それぞれ人の信じるものが違う以上、そうしたことがあっても当然なのでしょう。しかし、時が経ち、自分が信じるものがひっくり返ったとき、常識が覆ったときには、自らの言動に対して、深く反省する必要があることも間違いないと思います。そういう意味で、宇宙人の実在を唱える人々を嘲笑したり、バカにしたりする場合には、少なくともご自分が生きている間、「宇宙人の実在が証明できない」という状態が、絶対にひっくり返らないことが必須要件でしょう。

ちなみに、私の場合、宇宙人実在論をとります。したがって、私自身、「宇宙人実在論」を唱える方々が、多少、突拍子のない議論を展開したとしても、ひとまずそれらをきちんと受け止めたいと考えています。ただし、私が考える宇宙人については、いわゆる「グレイ」と呼ばれるような、頭でっかちの生命体のイメージではありません。宇宙人は、もっと身近な存在だと思うのです。

というか、私たちと切っても切れない、とても縁深い関係にあるような・・・。

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自らの意思で追い込む人

2009年12月22日 | 人生

-社会も自分も、こんなに変わると思いませんでした-

世の中が不況であると言われるなか、テレビのインタビューで、こんなコメントを述べられる方がいらっしゃいます。仕方がありません。残念ながら、大きく変わるものなのです。私は、今の不況は、まだまだほんの序章に過ぎず、これからの数年、数十年が、もっととんでもない変化の時代になるのだろうと思っています。したがって、冒頭のようなコメントを述べられている方々は、これからの時代、さらに本格的な規模に増えてくるのではないかと考える次第です。

こうした変化の時代におけるポイントは、社会が大きく変わることをイメージして、先んじて自らを変えていけるかというところにあろうかと思います。これができずに、現実から目を背け続けていると、変化した社会によって、強制的に自分が変えられてしまう人間になってしまいます。

どちらも、「自分が変わる」という意味では、辛い経験になり得ますが、前者は自らの意思が働いているため、それを喜びとすることができる余地が多く残されているのに対して、後者の場合、自分の意思に関わらず強制的な力が加えられてしまうため、苦痛ばかりが際立つ結果がもたらされる可能性が高いように思います。これを、もう少し別の表現で言うならば、「自ら追い込めるか」、「周りに追い込まれるか」の違いがあるということであり、どうせならば「自分を自ら追い込める人間」になるべきだろうということです。

そういう意味で、「社会も自分も、こんなに変わると思いませんでした」というのは、反省の弁として、非常に重みのある言葉だと思います。そして例えば、テレビを通じて、こうしたコメントに触れた人々は、これを自分たちの問題としても考え、真摯に受け止められてはどうかと思うのです。

「自分は、自ら辛い道を選択している」と自負しているような方がいらっしゃいますが、実際のところ、そうでもないことも多々あるように考えます。辛い道を選択してきたはずなのに、さらに辛いことが続いているような方々は、まだまだ自分の追い込み方が足りなかったと思って、まず間違いないように思います。

-社会は大きく変わる、故に自分も大きく変える-

これからの社会は、多くの方々が思っている以上に、大きく変わっていくと考えられます。それをいかに真剣に考え、自分の問題として受け止め、さらにそれを「自己変革」に繋げていけるのかが、これからの社会を生きていく上で、大変重要なポイントになろうかと思うのです。

《おまけ》
このような時代にあって、私としては、「うつ状態」がないことの方が異常であると思っています(「「うつがない」という病気」参照)。もしそうであるならば、それを認めずに周囲の環境変化によって、後々になって「うつ」に追い込まれて、その結果としての「うつ病」になるよりは、自らの意思によって進んで「うつ状態」を作り出し、そこに自分を追い込み、それ自体を楽しむことの方が、より健全ではないかと思ったりします。意識的な引きこもり・・・これはこれで、けっして悪いことでもないと思うのです。

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夢を持った学生が集う場所

2009年12月21日 | 教育

先日、母校・慶應義塾で「准教授」なる肩書きをお持ちの方とお話をしました。その方曰く、「最近の学生は無反応でしょ?夢もないみたいです」ということで、大変びっくりしました。

私も、慶應義塾の学生たちとは、しばしば会って話をすることがあります。そして、私と会って話をしている彼らは、けっして無反応ではありませんし、夢がないわけでもありません。彼らは彼らなりにきちんと問題意識を持っていますし、こうなって欲しいという思いも抱いているようです。しかし今、教育機関で「先生」と呼ばれる方々が、彼らに希望や夢を与えられるような話をできていないケースが多く、特にそういう「先生」に対しては、学生側が無反応にならざるを得ず、また夢を語ることもできないというのが現実ではないかと思うのです。

即ち、学生を無反応にしてしまい、夢を語らせることができないということ自体が、この激動の時代の中で、次のパラダイムを示せていない「先生」の無能さを示していると思うわけです。冒頭の「准教授」の発言は、学生側の問題ではなく、逆に慶應義塾の教員や教育レベルの低さを露呈している可能性があるという意味で、きわめて深刻に受け止めるべきではないかと思う次第です。

そもそも慶應義塾というのは、幕末から明治にかけての激動の時代にあって、藩校のような社会制度の枠組みの中に育った教育機関ではありません。福沢諭吉という一人の教育者によって創始された私塾です。そしてまた、彼自身も適塾という私塾に学びました。説明するまでもなく、当時の私塾というのは、それを開いた個人の資質によって、新しい時代に必要な教育を施していくものでした。そこに多くの若者が集った理由は、私塾を開いた「先生」が夢とビジョンを持っており、そこでそれに相応しい知識や概念を学ぶことができたからでしょう。こうした私塾に集う学生たちは、「先生」たちと同じように大いに夢を持っていただろうし、またそれらを語り合えたのだろうと推察します。

かつて私塾の雄とも呼ばれた慶應義塾の教員から、冒頭のような言葉を聞くと、いよいよ同塾も、そうした私塾としての歴史的役割を終えてしまうのではないかと思えてなりません。それはいよいよ、さらに新しい時代において、さらに新しい私塾が生まれるのではないかという予感でもあります(「私塾の時代」参照)。

もう少し踏み込んで言えば、「師への最高の恩返しは、師を越えることである」とすると、慶應義塾で学んだ者が為さなければならないことは、師・福沢諭吉の慶應義塾を越える私塾を創始することなのかもしれません(「先人たちへのご恩返し」参照)。

以下、私が中学時代に暗唱させられた慶應義塾の目的です。

=======================
慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり
=======================

新しい時代において、本当に新しい私塾を創設しなければならないかどうかについては、まだ結論を出す必要はないだろうと思います。しかし、師が唱えた慶應義塾の目的を常に念頭に置きつつ、それを達成するためには、一切の妥協をするべきではないと考えています。それが結果として、全く新しい私塾の創設に繋がるとしても、それは上記の慶應義塾の理念に反するとは思いません。

これからの時代において必要なことは、きちんと夢を持った学生が、それを実現できるという希望を持って集える場所だと思うのです。そして、それが時代の要求であるならば、自ずとそうした教育機関が生まれることになるでしょう。

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恒例の初島旅行

2009年12月20日 | 日常

初島に行ってきました。毎年恒例となっている年末の家族旅行です。


熱海港を出発


伊豆半島を眺める

クリスマスムードのロビー

特に、何があったというわけではありませんが、毎年、同じところに行っているため、子供たちの成長を定点観測できるような感じがします。

昔は、何かと注意ばかりしていた食事で、おとなしく食べられるようになっていたり、付き添っていなければいけなかったプールで、勝手に遊んでいられるようになったり、抱っこをしなければいけないような移動シーンで、逆に荷物を持ってくれたり・・・。

ずいぶんと成長してくれたものです。いやいや、まだまだ育ち盛りですから、これからもっと、大きな変化を感じるようになるのでしょう。そんなことを楽しみながら、ひとまず今日、無事に旅行から戻ってきました。

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勝つ秘訣

2009年12月19日 | 短編

勝つ秘訣は、ルールを熟知することです。

それと同時に、何に勝ちたいかを考えなければいけません。

遊びだったら、遊びのルールを熟知すること。
金儲けだったら、金儲けのルールを熟知すること。
人生だったら、人生のルールを熟知すること。

さて、何に勝ちたいと思います?

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人材が豊富な時代

2009年12月18日 | 社会

今の世相を見る限り、社会が低迷し、リーダーシップが失われ、人材も不足していると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私は、けっしてそうは思いません。

むしろ私からすると、今日に至って、ものすごく優秀な人材がきちんと出てきてるように思いますし、幸い私は、そうした多くの人材と繋がっているような気がしてなりません。

かつての幕末から明治にかけての時代、それまでの社会の仕組みが限界を迎え、次の時代を担うべく若者が、次々と繋がっていきました。その結果として、彼らは社会に大きなうねりを作りだし、見事に次の社会の仕組みを構築しました。もちろん、その仕組みについては、いろいろと限界があったことも事実でしょう。しかし、当時の西欧列強がひしめく中で、日本が植民地化されることもなく、近代国家の体を保つことができたというのは、やはり見事だったと言うべきだろうと思います。

今日の社会情勢は、幕末のそれに似ており、その状況に危機感を持ち、且つ将来のビジョンを実現するための実行力を持ち合わせた人材が、たくさん動いていると思うのです。当然のことながら、現時点で彼らは無名の集団であり、形成しているコミュニティーも微小なので、ほとんど社会で目につくことはありません。しかし、私の目からは、そうした人材たちが、着実に社会を変えるだけの力を蓄えてきており、次の時代において、確実に社会の中軸を成すであろう器に近づいてきていると思えてならないのです。

そういう意味で、リーダーシップが失われ、人材がいなくなったというのは、嘘だと思います。もし、今の社会で、それを感じることができないのであれば、それはその人自身が、そうしたコミュニティーに参加できていないからであり、それはその人自身に、彼らと交わるに足る危機感とそれに見合った実行力が欠けているだけかもしれません。

自分自身が変わるだけで、この時代、いかに人材が豊富になってきているかを感じることは、十分にできると思うのです。

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子供たちへのバトンタッチ

2009年12月17日 | 自分

Twitterをやっていて、面白いと思うことは、普段、なかなか目にしないような価値観や考え方について、他人のつぶやきから感じ取ることができる点です。

親バカというのも、そのひとつです。少なくとも、私の場合、普段の生活をしていて、あまり親バカぶりをさらけ出すという人には会いませんが、Twitterの中には、四六時中、子供のことを考えて、それについてつぶやいてばかりいるような方もいらっしゃるわけです。

私は、子供の愛し方にはいろいろあって然るべきだと思うので、それ自体に関して、とやかく言うつもりはありません。ただし、こうした諸々の変化が激しく、社会的に不安定要素が満ち溢れるような時代にあっては、その愛しい子供を守るのに、相当の覚悟と実行力が求められるということも、また事実だろうと思います。

これまでの私の人生において、いくつか転機と呼べる時がありました。そのうちのひとつが、5年ほど前に子供を抱いている時でした。当たり前のことながら、自分の子供はとても可愛く、その瞬間の幸福感というのは、言い知れぬものだといって良いと思います。一方で、その子を抱きながら、テレビを見ていると、暗いニュースの数々が放送されており、社会の行く末に暗澹たる気持ちになっていくのです。そこで思ったことは、その瞬間、自分が胸に抱いている子供のことでした。

-将来この子は、今の自分と同じように子供を抱く幸せを感じられるだろうか?-

国の財政問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題・・・。どれをとっても30年、60年の単位で考えた時、この子が大変なことになると思えてなりませんでした。もちろん、その時の自分にできることは、大変限られていますが、それでもできることはたくさんあると思うほかありませんでした。

-この子たちの世代に、将来の希望を残してバトンタッチするのが親の仕事だ-

子供を愛し、子供を守るということには、いろいろなかたちがあろうかと思います。常に彼らの傍らに寄り添って、十分な愛情を注げることができるのであれば、それに越したことはありません。しかし、それだけでは、子供たちの将来を守ることができないかもしれない時代、しばし子供から離れることがあっても、やるべき事をやる覚悟と実行力が求められるのではないかと思うのです。

親から子供へのバトンタッチというのは、きっとそういうものなのでしょう。おそらく、歴史とは、そうした世代交代を繰り返しながら成り立っているのであり、私自身、そういう繋がりの中に存在しているのだろうと思います。

いずれにせよ、そんなことを踏まえつつ、今、親をやっている方々にとっては、これからが頑張り時だと思うのです。

《おまけ》
「北斗の拳」のケンシロウにとって、ラオウとの決戦までの間、リンとバットはただ守るだけの対象でした。しかし、ラオウとの戦いの後、リンやバットと再会したケンシロウは、彼らを共に戦う仲間として受け入れました。

今、私にとっての子供たちは、ラオウ決戦前のリンとバットなのです。彼らに望むことは、ただ生き延びてくれること、そして自分がやるべき事は、彼らに希望を繋ぐことです。彼らを守り抜き、希望を繋ぎ、共に地球の未来を切り拓くための戦いができるようになった時、私は彼らに堂々と言えるようになるでしょう。

「ここまではパパが頑張ったんだから、あとはお前たちも頑張ってみろ」ってね。

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