常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

矛盾との付き合い方

2007年06月27日 | 人生

世界は矛盾だらけです。矛盾は、現時点ではけっして解決しない問題です。人類が抱える難題は、こうした矛盾をはらんだ問題ばかりであると思います。

ところで、難しい問題について議論をするときに、よく出る言葉が「鶏と卵」です。

目の前に鶏と卵が存在します。このふたつの存在を説明するためには、鶏が先にいて卵を産んだと説明すべきか。あるいは、卵が先にあってそこから鶏が生まれたと言うべきか。いずれにせよ、どちらかが先になければ説明がつかないはずです。しかし、実際にはどちらが先という説明が極めて難しいため、解くことができないという意味で使われる言葉が、「鶏と卵」です。このことは、人間社会の本質を考えるときに、必ずぶち当たる難題を説明するときによく使われます。

しかし、人類はこうした矛盾を抱えた難題に対して、もはや避けていてはなりません。地球規模の問題が切迫している状況にあって、こうした問題から目を背け、解決しないことを説明するための方便として、安易に「鶏と卵」で片付けられるほど、我々に時間的な余裕はないのです。

これからの時代、人類は矛盾をはらんだ大きな問題に対して、真正面から向き合わなければならないと考えます。そのときの問題の解き方は、両方を受け入れることです。どちらかだけが正しいわけではありません。両方とも正しいと認めることです。「鶏と卵」のどちらかが先に生まれるのではないのです。両方同時に生む発想をすること。そのことこそが、今目前に横たわる矛盾に満ちた難題を解くコツであると思います(「欲するものへの心持ち」、「過去への感謝、未来の創造」参照)。

矛盾について、極めて身近な例で言えば、ベンチャー企業で働くということも、そういうことではないでしょうか。ベンチャーで働くことは、非常に楽しいことです。と同時に、極めて辛いことでもあります。その企業の理想が高ければ高いほど、その楽しさはその人を天国に導くし、その辛さはまさにその人を生き地獄に突き落とします。

ベンチャー企業で働く人には夢があります。実現させたいという希望や理想があります。その希望や理想は、現実社会とかけ離れているのです。現実とかけ離れているからこそ、ベンチャー企業でそれを実現する意味があるのです。社会のあるべき姿と現実とのギャップが大きければ大きいほど、それに向かってまい進するためのエネルギーを得ることができるのです。そういう意味で、ベンチャー企業は夢と希望に満ち溢れていて、そこに集う人々は生きがいがあり、豊かな人生を送ることができると言えるでしょう(「夢を持てる社会」参照)。

一方で、自分が抱く理想と現実とのギャップが大きければ大きいほど、目の前の現実に打ちひしがれ、諦めそうになります。そのギャップを克服できると思えなければ、ベンチャー企業で働くということは、限りなく辛いものであり、不幸なことにもなるのです。

このとき、ベンチャーで働く人の二つの心理。幸せと不幸せは、どちらが間違っているということではないのです。人間である以上、どちらも正しいことであると思います。そして大事なことは、それだけで終わらせてはいけないということだとも思います。これら両方を受け入れて、明日に向かって歩み続けるということが、人間が人間として生きていく意味であり、現代を生きる人類に課せられた生き方だと思うのです。

人間が幸せな人生を送るためには、究極に全体のために行動し、生きていかなければなりません(「生きがいと幸せ」参照)。自らの人生は、全人類、全地球のために捧げるつもりで生きる。このことは、世に起こる全ての事象を、自らの責任と捉え、それから逃げない人生を送ることを意味します。これは今、地球規模の問題が切迫している人類全体に求められている生き方なのです(「全員が真のリーダーたれ」、「妥協が許されない理由」)。

しかし、そんな哲学をもって生きていたって、みんなが命を捨てて賛同してくれるわけではありません。結果として、究極の自己責任で生きようとしている人間も、結局は他人の行動に頼らざるを得ません。そこで究極の自己責任で生きようとしている人が、ギリギリの状態になって最後に考えることは「こんな自分が死ななきゃいけない社会なら、きっぱり諦めて死ぬしかない」という究極の他人任せ。究極の責任放棄です。

究極の自己責任こそ、究極の責任放棄。これもまさに矛盾です。

世の中はこうした矛盾に満ち溢れています。そして、人々はその矛盾の狭間で迷い、苦しみながら生きているのです。どんなに苦しんでも矛盾は解決しません。解決しないから、矛盾なのです。

しかし、矛盾はいずれ解決します。解決しないと地球に未来は訪れません。「卵と鶏」の話は、「どちらが先」の議論ではなく、「両方いっぺんに」の議論で解決するのです。それは今すぐに起こらないだけで、永遠に解決しないわけではないと考えるべきです。ただ、時間が必要なだけです。

人生は忍耐なり。矛盾を矛盾として受け入れ、耐えて、耐えて、耐え抜いたその先に矛盾は解決され、新しい世界が開けてくるでしょう。そのとき、人は矛盾の苦しみから解放され、地球規模の問題にも、解決に向けた希望の光が差し込んでくるはずです。

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