常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

新経済システムの試み

2012年06月13日 | 会社

今の経済システムというのは、本当によくできていると思います。自分たちの仕事の価値が数値として表れ、それらをお互いに交換することで、無数の人々が効率的な役割分担ができるようになりました。

しかし、それを手放しで褒め称えるわけにもいきません。たくさんのお金を持つということは、たくさんのモノを得る、つまり幸せになるという考え方が蔓延り、お金を稼ぐこと自体が、人生にとっての最大目的とするような人々が生まれてしまいました。お金儲けの成否に一喜一憂し、その結果次第では、自分や他人の命を奪うということが、何度となく繰り返されてきています。また、情報化が進んだことで、本来、需要と供給をバランスさせることが目的だった市場が、投機目的の場として使われてしまったり、一部の限られた人々にとって都合のいいツールになってしまうということも起こってきています。

それだけではありません。

現代社会は、高度に情報化が進み、多くの技術革新がなされたことで、これまでの経済システムでは、正当に評価できない(あるいは数値化できない)事象が増えてきました。例えば、インターネットの普及により、多くの著作物に対する著作権や、それらの流通や利用に伴う利用料の類は、ほとんど数値化できていません。インターネットが究極のユーザー参加型メディアであるにもかかわらず、ほとんどのビジネスが「広告モデル」であったり、ユーザー間でのコンテンツ評価が、「いいね」ボタンで済まされているということが、その現状を見事に表していると言えるでしょう。

こうした問題を踏まえたうえで、私なりに、次の時代に向けて、新しい経済システムを立ち上げる試みを始めています。そして最近、それを共に立ち上げようという仲間たちと一緒に、聖神社や和銅遺跡を訪れてみました。そこは、日本最初の通貨の場所です。

和同開珎を祀る聖神社

和同遺跡

日本通貨発祥の地

私にとって、ここへの訪問は、大変感慨深いものでした。

今、私が仲間たちと共に動かし始めた経済システムは、既に動いているそれとは比べようもない、とても微小なものです。それを喩えるならば、「子供と大人」というにも程遠く、「細胞と人間」というくらい、大きな開きがあると言えるでしょう。しかし、無数の細胞の集まりである人間も、最初は一つの細胞から始まっているわけです。そのたった一つの細胞から、2つ、4つ・・・と分裂を繰り返し、ついには一人の人間となっていくというのは、全ての人間に対して、例外なく当てはまる事実です。つまりは、どんなに立派なものでも、最初は一つの細胞から始まるしかないということです。

聖神社や和同遺跡では、あらためてそのことを感じさせてくれました。それまで、中国銭で動いていた経済システムのなかで、日本独自の通貨を使っていくというのは、当初、とても微小な動きだったことでしょう。いや、実際には、そうでもなかったのかもしれませんが、「発祥の地」という言葉の響きのなかに、そういうものを強く感じずにはいられませんでした。

これからの細胞分裂、ますますもって楽しみになってきました。

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