ネットでニュースを見ていたら、「天皇陛下が帰京」なんていう見出しがあったので、てっきり京都にでも戻られたのかと思いました。いやいや、そりゃ違ったです。
そこで、あらためて、ウィキペディアで「東京奠都」などという項目を読んでみたりしました。ウィキに記載によると、「東北の平定が未だに行き届かないこと、諸国の凶作、国費の欠乏など諸々の理由で京都への還幸を延期することが京都市民に発表された」らしいですが、未だに延期されている理由は、なんじゃろか・・・。
ある方に対して、明治維新時にあったとされる南朝クーデターの話をしたら、足利氏こそ逆賊だと叱られた・・・という話も聞きます。たしかに義満あたりでは、だいぶいろいろあったみたいですが、歴史とはなかなか面白いものです。
このブログでも、一時期、議論を重ねた話でもありますが、私自身、どうしてもこうした説を否定することができんのです(「責める前に学ぶこと」参照)。
明治初期の遷都やら奠都には、大久保利通が深く関わっているらしいですが、麻生さんは、このあたりの真相をどこまでご存知なんでしょうかね。
ま、私としては、どっちでもいいと思っています。もし、明治維新時の南朝クーデターを論って逆賊云々の話をするのなら、大化の改新という一大クーデターまで遡るだけのことなので・・・(「日本建国史の再考」参照)。
慶應と学習院では、決して、明治以降の歴史は教えない。何故なら、関係者が多いから。
天皇家は、過去も現在も南朝であるのは、常識。本当に知りたければ、右翼と直接話せ。
そうなんですよね。私も、そのように考えたほうが、自然だと思うのです。文献を読み込むことも大切ですが、私自身も、実際にいろいろな方々とお会いして、お話するなかで、南朝クーデターを「常識」にした方が良いのでは?と思うわけです。
でもま、否定したい人も、たくさんいらっしゃるらしいので、それはそれで良いのでしょうね。
情報戦で負けているというご指摘、その通りかもしれません。ただひとつ情報については、それを捉えた人の主観で判断するので、情報の量や質だけでは、全体の情勢は決定し得ないだろうと考えます。結局は、どのような主観を持ち得るかという、その人の力で情報は活かすことも、殺すこともできるのでしょう。そこに、まだ可能性が残されているように思います。
ちなみに、「足利氏は逆賊である」を否定するつもりはまったくありません。ただ、そうならば藤原氏は?それを作った中大兄皇子は?というところまで、きちんと考えていく必要もあろうかと思います。
勉強はできるし、知識もあるが、金や権力や暴力に弱い。目上にへつらい、目下に威張る。
頭が良いばっかりに、信じれば、安全だと思って、上から与えられる嘘を信じている。本当は弱虫なくせに。
権力者ほど、自分の地位に固執している様は、実に醜い。