常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

ルイスの復讐の果て

2009年03月02日 | ヒーロー&アニメ

「機動戦士ガンダムOO」が佳境に入ってきました。いろいろとあるのですが、ひとつ注目しているのが、ルイス・ハレヴィの復讐劇です。

前期までのルイスは、本当に愛らしくて明るい女子学生でした。ガンダムという作品が、戦争をテーマにしているだけに、どうしても暗い部分が多い中、ルイスの明るさがものすごく光って見えたものです。彼女が思い描くように、恋人と共に幸せな人生を送ることができたら、どんなに良いだろうかなどと考えるわけです。

しかし、そうした彼女の人生はガンダムによって、大きく変えられてしまいます。ガンダム(と言っても、主人公たちが乗り込むガンダムではないですが)に両親を殺され、自らも腕を失い、それがきっかけとなって大好きな恋人とも別れてしまうのです。その結果、彼女は、ガンダムに対する憎悪をエネルギーに変えて、軍人として生きていくことを決めます。そういう意味で、後期のルイスは、前期とは全くの別人です。

昨日の放送で、ようやくその仇を討ちました。

憎悪に支配された生き方を、まったく否定するつもりはありません。そもそも、人の命を弄ぶかのように振舞ったガンダムが許されて良いはずがありません。正直、問題のガンダムのパイロットであるネーナが、ルイスの両親を殺したときのシーンは酷かったです。それこそ無意味に、「面白くないから殺してみた」と言わんばかりの酷い殺し方でした。

ただそれでも、憎しみに対して憎しみで返す、やられたらやり返すというネガティブな連鎖の果てに何が残るのかという点については、私たちが真剣に考えなければならないというのも事実だと思います。それは、これからの世界のあり様を考えるうえでも、とても大切なことだと思うのです(「四次元戦争の時代」、「感情の主人たれ」等参照)。

昨日の回で、仇を討ったルイスは、コックピットの中で、両親に褒めてほしいと泣き崩れていました。もちろん、仇を討ったところで、両親が生き返るわけではありませんし、褒めてくれるはずもありません。仇を殺すことで、気が晴れたかもしれませんが、ルイスが求めていたものが戻ってくるわけではないのです。

さてこの後、ルイスは何を生き甲斐にして生きていくのでしょうか。復讐の果てに残るものの虚しさが、この作品の中でどのように描かれるのか、注目していきたいところです。

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