言葉は、その人間の生き方を雄弁に語る。
正々堂々と生きている人間の言葉は、
自ずと迫力を持ち合わせ、人の心を大いに動かす。
コソコソと物陰に隠れるような人間のそれは、
どんなに鋭くとも、迫力はなく人の心は動かせない。
バレ切った嘘を通しつくような人間の言葉の力など論外である。
私は、常に前者でありたいと思う。
言葉は、その人間の生き方を雄弁に語る。
正々堂々と生きている人間の言葉は、
自ずと迫力を持ち合わせ、人の心を大いに動かす。
コソコソと物陰に隠れるような人間のそれは、
どんなに鋭くとも、迫力はなく人の心は動かせない。
バレ切った嘘を通しつくような人間の言葉の力など論外である。
私は、常に前者でありたいと思う。
「裏切られた」と思う時、きっとその相手は、自分に対しても「裏切られた」と思っているのでしょう。
最近、とある人と話をしていたら、そんなことを思いました。
-なるほどぉ、そういう思考があるのかぁ-
話の中で、相手の思考が分かる気がしました。そして、その相手の思考で自分の言動を考え直したら、それが裏切り行為に見えただろうという気がしたのです。もしそうだとしたら、相手が自分を裏切ることにも、とても納得ができます。
要は、お互い様ということです。
でも、自分自身の言動には、何の悔いもありません。自分の相手に対する言動が、自分なりの善意であり、誠意であり、その瞬間にできる最善を尽くした結果だと胸を張って言い切れる以上、その相手と自分との関係は、そういうかたちにしかなり得なかったのだろうと、潔く諦めることができます。仕方ありません。
結局、裏切りの本質は、単なる誤解や勘違いなのかもしれません。そう考えたら、裏切り行為それ自体については、あまり深刻に考えることがないようにも思うのでした。
逆に、こういうところが、非常に人間らしくていいのではとも思います。
プリキュアのMAD動画が消されたぁ・・・(涙)。
「ふたりはプリキュア Splash Star」の動画に、妖精帝國の「Valkyrja」をBGMに加えた作品でした(「個々人の音楽ランキング」参照)。
あのMAD動画は、とってもとっても愛情に溢れていた作品だったのです。どこのどなたかは存じませぬが、音楽に合わせた細かいカット割り等、あの手間暇のかけ方は、ちょっと見ているだけで、プリヲタ総統にも負けない作者の溢れんばかりのプリキュア愛を感じたものです。
それなのに、それなのに・・・。
今のネットシステムでは、著作権の問題でどうしようもないことは理解します。既存の著作権者の方々からすると、許されざる事情があるのでしょう。しかし、それを甘受したままでは、インターネットの未来はありませんし、この問題を解決しない限り、次のインターネットの時代は来ないと思います。
書きながら思い出しましたが、以前、ブログでも書いたアンパンマンのMAD動画も消されています(「熱くカッコイイアンパンマン」参照)。
今の仕組みでは、MAD作品の類は著作権者の方々にとって、単なる害悪に過ぎないのかもしれません。しかし一方で、そうしたMAD作品を作る方々が抱く、その素材作品に対する愛情は、とても深いのではないかと思えてなりません。それは本来、もっときちんと評価され、ポジティブな方向で活かされるべきだと思うのです。
私は、この問題の原因が、今のインターネットの仕組みにあると考えています。そして、MAD作品が、原作者のためにもなり得るし、それがきちんと感謝や感動のかたちとして、収益に繋がるような仕組みは構築できると信じています(「次世代インターネット」等参照)。
作り手の愛情を、踏みにじるような仕組みだったら、もう要らないっ!・・・そーだ!作品に対する愛を自由に表現できる仕組み、それらが守られる仕組みを作らないといけないんだっ!
よーしっ!愛をとりもどせぇ~っ♪
あ、独り言カテゴリーなので、少々油断して、若干壊れ気味になりました・・・失礼。
「知恵の実」、ずいぶんと景気が良さそうですなぁ。
まぁ、「知恵の実」が悪いとは思いませんし、ちょっとかじる程度はあって良いだろうと思います。ただ一方で、これに頼り過ぎると足元を掬われるとも思います。
仏教的には、「知恵」よりも「智慧」なるものを重要視するそうですが、この意味、大変よく分かる気がします。
食べ過ぎると、楽園追い出されちゃうぞぉ・・・きっと。
正しく生きる人間のスイッチは必ず入る。
世界は、正しく生きている人間に都合よくできている。
ただし、そのスイッチが何なのかは分からない。
これが分からないから、人生楽しいのだ!・・・と思うであります。
あ、分かった時は分かった時で、それはそれなりに楽しいんだけどね。
PC、一応直りました。
まだ、ブログやTwitterを本格的に再開するつもりはありませんが、今日はあまりにも可笑しくて・・・。
それと言うのも、今日、久しぶりにネットで動画を見ていて、文字通り腹を抱えながら、涙が出るほど笑ってしまったからです。その原因は、ニコニコ動画にあります。ニコニコ動画は、残念ながら私が思っていた通り、昔、面白いと思っていた動画の大半が消されていて、ずいぶんと面白みに欠けるサイトになってしまったように思います(「同時に見える限界と始まり」参照)。ただそれでも、ここ一年以上、まともに見ていなかったので、その間の蓄積で、ずいぶんと面白いものが残っていたのも事実で、その中には傑作もあるわけです。
プリキュア絡みで言えば、総統閣下が相変わらずご健在だったことが、とても喜ばしいことだと思います。プリヲタの総統閣下から溢れるプリキュア愛、もうたまりません。「閣下は、そんなにプリキュアを愛されていたのですか!?」、「そんなにミユキさんに思い入れがあったのですね!?」、「スターリンって、そんなに凄かったのですか!?」等等等・・・もう可笑しすぎます。
ただ、それでも相変わらず著作権の問題で、こうしたメディアの仕組みはまったくお話になりません。このままでは、どんなに腹を抱えて笑えるほどの名作ができたとしても、所詮、アウトローの素人遊びにしかならないからです。
そういう意味で、そろそろ私の方で何とかしなければならないように思います。涙が出るほど笑える動画を作るような方に対して、何かしら報いられるような仕組みを創出することは、とても大切なことでしょう。
そして、そういう仕組みがない今日、私からできる精一杯のことは、そんなプリキュア愛に溢れる総統閣下に敬意を表することくらいだと思います。
ということで・・・
-そんなプリキュア愛に溢れる総統閣下に敬礼!-
・・・うん?こんなんでいいのかな?!
鳩山首相が、政治資金問題でずいぶんと苦しんでいるように見えます。
これについて、「ブーメラン効果」等という言葉を使う人もいます。野党時代、当時の与党の方々に対して、ずいぶんと責め立てていた鳩山さんの言葉が、そっくりそのまま、ご本人に返ってきてしまったことを表現しているそうです。
ただ、これは鳩山さんに限らず、あらゆる人にも言えることでしょう。
人間はとかく感情的になったり、目先の利益に惑わされた発言をしてしまったりしますが、本来、何か言葉を発するときには、将来、自分が言われても構わないと思える言葉を選ばなければなりません。
-お手並み拝見いたします-
基本的に私は、私とは違うやり方に対して、全てこれで返すようにしています。相手が間違っていれば、それはいずれ、結果として明確に出るでしょうし、また一方で、将来的に私が言われる分には一向に構いません。むしろ私は、他人から「お手並み拝見します」と言われるのは、本望であると考えています。
言葉を発するときには、冷静に自分を見つめなおし、あらゆる可能性を考慮した上で、「将来、自分が言われたらどうなのか」を、よくシミュレーションしてからにすると良いのではないかと思うのです。
きっと鳩山さんは、それを教えてくれているのでしょう。
自動車の良さは、馬車の時代があったからこそ、認められたのだと思います(「過去への感謝、未来の創造」参照)。
これは、インターネットにも当てはまるでしょう。今のインターネットは、まだまだお遊びの道具に過ぎず、これから先の世界を支える社会インフラになるだけの力はありません。謂わば、今のインターネットは馬車であり、本命となる自動車の新しいインターネットの時代は、まだまだこれからやって来るのです。
それを見誤って、今のインターネットで、これからの世界も変わり続けると信じるプレイヤー、自分たちが世界を変えた等と驕ってしまっているプレイヤーには、確実に退出していただくことになるでしょう。
一応、言っておきました。あとは、実物を見せて証明することになるのだと思います(「インターネットのリアル化」、「責任を伴う「場」の提供」、「携帯電話システムの強み」等参照)。
三食、きっちり食べられています。
仕事は、やりたい仕事だけしています。
寝たいだけ寝て、起きたい時に起きています。
会いたい時に、会いたい人に会うこともできます。
変に拘束されず、一人でぶらりと旅行することも可能です。
いやぁ、これは正直、幸せ以外の何物でもないでしょう。
あ、もちろん、まだまだやり残している事もたくさんあります。
だからこそ、こういう幸せを感じてしまっている時が、転換期だったりもするのです。
最近、何かと麻薬の問題が話題に上がります。麻薬は、一度その味を知ってしまうと、その感覚が脳に刻み込まれて、なかなか抜け出せなくなるというのが、怖いところだと言います。ところで、こうしたことは麻薬に限らず、いろいろなものについて当てはまることでしょう。
-おカネは麻薬だ-
こんな言葉を耳にすることがあります。おカネは便利なものですが、その力に魅せられ、それが忘れられなくなると、逆に振り回されることになるのです。その危うさを認知し、きちんとコントロールできるかは、非常に重要です(「道具の目的化の危険性」参照)。
先ほど、テレビを見ていたら、オリンピックは1984年のロサンゼルスから商業主義が始まったと言っていました。おカネの力を活かした商業主義というのは、そういう意味で、本来、慎重に始めなければならないものです。
ただし、残念ながらオリンピックについては、軽重はともかく、既に中毒症状は出ていると思います。オリンピックに限らず、何かと商業主義に走ってしまう社会、資本主義に依存しきった仕組みの中には、そうしたものが蔓延っていると言えるでしょう(「お遊びが過ぎたら」、「力技は続かない」、「仮面ライダーと商業主義」等参照)。
しかし私は、そうは言っても、人間には正しく生きようとする力、キレイになろうとする精神がきちんと宿っていると思います(「性善説と性悪説の決着」参照)。そうした意味で、私としては、オリンピックを含む諸々の動向を見守りつつ、人間が持つ自浄能力というものが、どのように働くものなのかについて、じっくり注目していきたいと思うのでした。
自民党を「タイタニック号」に喩えた方がいらっしゃいました。言わんとすることは、よく分かります。そして、そのような表現を借りるのならば、簡単な話、自民党に限らず、民主党を含めて、両方沈むのだろうと思います。
単純に、自民党が言うように、民主党は無責任だと考えます。現実的な条件が厳しいからと言って、「何とかなる」と言い張るのは良くありません。ただ、ご本人たちは「根拠がある」とおっしゃるのだし、いくら言っても聞かないでしょうから、政権をとった暁には、ひとまず、「そう思うのなら、やってごらんなさい」と言うほかありません。
ただ一方で、自民党も、今のような「景気対策」程度の話では、日本経済は盛り返しません。世界不況も治せません。あまりにも知恵が働いていないと思います。今の政治を含めた、社会全体の閉塞感を打ち破るには、具体的な経済成長戦略が必要です。ただ、肝心の後ろ盾となる財界にも、もはやそれだけの気骨や知恵がある人々もいないように思います。
結局、無い物尽くしで、大変な状況です。
ただそれでも、一点、大切なことがあります。それは、まだ二隻とも沈んでいないという事実です。両方とも沈み始めていることは確かだと思いますが、まだ完全に沈み切るまでには時間があるのです。これは、沈んでいく二隻が与えてくれている貴重な時間です。この時間を利用すれば、きっと次に繋がる第三の船で、新しい航海が可能になるでしょう。
二隻のタイタニック号に敬礼!
そして、「ありがとうございますっ!」
ある記事の中に、こんな一文を発見しました。
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米Googleは、「YouTubeの目的は、コンテンツクリエイターがオンラインで効果的に収益を上げることだ」と主張している。
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これが本当だとするならば、今のところYouTubeは、ほとんど目的を達成できていないように思います。「効果的」という言葉の解釈の幅もあるでしょうが、少なくとも、今のままでは全く話にならないでしょう。これで「ある程度できている」等と言うようなら、もう底が見えてしまったことになりますが、さすがにそんなことはないはずです。
これを真面目にやるためには、少なくとも「著作権管理システム(「「ウェブで管理する」ということ」参照)」と「認証/課金システム(「携帯電話システムの強み」参照)」が必須だと考えます。そのことは、今のインターネットとは別に、新たな「第二インターネット」を構築するのと同じことですが、本当にそこまでやるのでしょうか。やらないのなら、それはそれで「効果的」の意味が、そこまでということなのでしょう。
さてさて、お手並み拝見です。
八王子市にある了法寺というところが、萌えキャラを採用して、話題になっているようです。仏教の関係者の方々からすると、いろいろと思うところもあるのでしょうけれども、仏教に留まらず、本来的な宗教の意義から考えたら、大いにあり得ることでしょう(「偶像崇拝とフィギュア」参照)。
この調子だと、そのうち、我が家の神棚のように、神社にも萌えキャラが進出するかもしれませんね(「ナギ様のご降臨」等参照)。
・・・うん?ないかな?
先日、子供から「パパは逆コナン」だと言われました。
理由を聞いたら、名探偵コナンは「見た目は子供、頭脳は大人」だけど、パパは「見た目は大人、頭脳は子供」だそうです。
「失礼な!」と思いながらも、なかなか、うまいことを言うものだと感心いたしました。
ギョーカイの人と食事をしました。
「この店、この間、白石美帆ちゃんが来てました」
「先日、ここで新垣結衣ちゃんと会ったんですよ」
知らないわけでもないので、普通は、ここで響くのでしょうが、どうも響かない自分がいました。これが、こうだったら間違いなく反応していたでしょう。
■「白石」違い
「この店、この間、白石涼子ちゃんが来てました」
-ま、まじっすか!?-
■「ゆい」違い
「先日、ここで堀江由衣ちゃんと会ったんですよ」
-えっ!?お友達なんっすか?-
ギャップってあるもんね、仕方ないよなぁ・・・。