真価は逆境にこそ発揮される。
今が逆境の底だとは思わない。
むしろ始まりかもしれない。
まだまだ深まるかもしれない逆境の中で、
日本人は、その真価をますます発揮していくだろう。
そして、世界を大きく変えていく・・・。
真価は逆境にこそ発揮される。
今が逆境の底だとは思わない。
むしろ始まりかもしれない。
まだまだ深まるかもしれない逆境の中で、
日本人は、その真価をますます発揮していくだろう。
そして、世界を大きく変えていく・・・。
死に方も決めていない人間に、迫力などあろうはずもありません。
現世にのみ囚われた人間の虚勢は、その薄っぺらさを雄弁に語ります。
どうせこの世界に生きるのなら、真の迫力を持っていただきたいと願います。
それが、仲間として共に歩む人間でも、敵として向き合うことになる人間でも・・・。
《参考》
「生き方の裏にある死に方」、「各人が定義する「成功」」等
太陽が南中してから、最高気温に達するまで、約2時間。
夏至を迎えてから、真夏の気温が上がりきるまで、約2ヶ月。
生き方を定めてから、それが結果として顕れるまで、約2年間。
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私の経験則から、こんなことが言える気がします。
何かを変えても、それが即、結果として顕れることは極めて稀なことです。こうしたタイムラグをきちんと認識し、それを自在に操ることが、人生の歩みを進めていく上でとても重要なことなのだろうと思います。
勝つ秘訣は、ルールを熟知することです。
それと同時に、何に勝ちたいかを考えなければいけません。
遊びだったら、遊びのルールを熟知すること。
金儲けだったら、金儲けのルールを熟知すること。
人生だったら、人生のルールを熟知すること。
さて、何に勝ちたいと思います?
小さな夢しかない人は、小さな成功で驕るものです。
小さな夢しかない人は、大きな夢の前で卑屈になるものです。
小さな夢しかない人は、自分の価値を小さく評価するものです。
小さな成功で驕らぬためにも・・・
仲間と大きな夢を語り合うためにも・・・
自分自身の価値を高めていくためにも・・・
大きな夢を持つべきだろうと思います。
ただし、大きな夢を持つにはそれなりの時間がかかります。
そして、夢を持たぬこと自体、小さな夢で満足するよりも良いかもしれません。
「夢がない」と非難される若者たち、まだまだこれからだと思います。
夢は、じっくり時間をかけて、大きく大きく育てていけば良いのです。
強面の人が恐いというのは、物事の一面に過ぎないと思います。
人が恐い顔をしているのは、何かを守ろうとしているからであり、そこにこそ弱点があるとも言えるでしょう。強面を見たら「恐い人」と怖じ気づくのではなく、「弱い人」と見ることもできるはずです。
すごく恐い顔をして、常に怒鳴り散らしているような人に至っては、ツッコミどころ満載の「弱点だらけの人」かもしれません。
逆に言うと、相手を強面にさせてしまっているのは、その人に「弱点を隠さなければ」と警戒させてしまっている貴方自身の問題でもあります。強面の人をニッコリ笑わせることが、一番平和的であり、最も望ましいかたちでしょう。
《参考》
「他人は自分の鏡」
「正中線を保つことの重要性」
「抜かせてはならぬ最強の剣」等
カオスを「複雑」に捉えれば、限りなく複雑になるでしょう。
カオスを「単純」に捉えれば、極めて単純になるでしょう。
どちらも真だと思います。
これを読み解くには、複雑であることを知りつつ、単純な思考をすることです。
《参考》
「カオス世界の読み取り方」
自らを「悪魔」と称する人々がいます。
もちろん、そんな事は各人の自由です。
ただし、それは最初から言い訳をしているに等しい行為でもあります。
-どうせ、自分は悪魔だから・・・-
神と悪魔は紙一重。
自らを追い込める人は、その努力によって報われていくものです。
自らを追い込めない人は、他人から追い込まれ、それが代償となっていきます。
自称悪魔さんたちには、生涯をかけて、たっぷりと代償を支払っていただきましょう。
そして、それはきっと自称悪魔さんたちのためにもなるのだと思います。
《参考》
「「888」と会社ロゴ」
可視化されていて計算できる世界があり、
見ることができない想像に近い世界がある。
見せられている世界で生きる人がいて、
想像を繰り返す世界で生きる人がいる。
人は、自分の生き方を決め、世界を創ることができる。
大きな壁の向こうに広がる未来の世界。
そこで、その人が必要な存在かどうかは、その人自身が決めている。
《参考》
「アキレスとカメの行方」
「妄想と現実の狭間」
「限りなく想像し、創造せよ」等
公人とは、単に公職にある人間を指す言葉に非ず。
公人とは、公を思い、公を憂い、公のために生きる者。
その人間が公人たるかどうかは、純粋に自らが決する事也。
皆のこと、社会のこと、全体のことを考え、そのために生きていこうと決めた瞬間、その人のことを「公人」と呼ぶのだと思います。
世界で、救世主の出現を信じていると言う人々がいます。その言が、どれだけの真剣味を持って発せられているのかは分かりませんが、本当にそう思っているとするならば、そのように願っている間は、救世主に救われるのは難しいかもしれません。
自助努力というのは、非常に大切なことです。困っている人がいるとして、その人を助けたい、何とかしてあげたいと思っていても、まず当の本人が「何とかしよう」と思ってくれていなければ、救ってあげることはできません。まず「自らを助ける努力」、自助努力をしてくれなければ、真の意味で、救ってあげることはできないのです。
救世主等に頼らず、むしろ、自ら進んで「救世主たらん」と思うくらいの方が、結果として救われるのにはちょうどいいのではないかと思うのです。
《参考》
「欲するものへの心持ち」
「全員が真のリーダーたれ」
「「自分教」の薦め」
A:この日本人の名前は、何て読むんだ?
B:さあ、漢字の読み方は難しいんです。
A:何?お前、日本滞在が長いのに、名前の読み方も分からないのか?
これは実際に、日本に長期滞在している外国人の方が、日本に出張で来た外国人の方との間で交わされた会話です。出張者の方からすれば、日本滞在が長い人から「分からない」という言葉を聞くのは、少なからず不思議な感じがしたのではないかと思います。あるいは、その長期滞在者のことを「日本語を勉強していない不真面目な人」と思われたかもしれません。
しかし、日本人の私たちは、その長期滞在者の方が、大変よく日本語を知っている人かもしれないことを理解できるのではないかと思います。
私自身、その場に居合わせつつ、たしかに複数通りに読める、その日本人の名前を見ながら、それが非常に「適切な答え」であると思いました。むしろ、複数通りの読み方があるにもかかわらず、あるひとつの読み方が全てであるかの如く答えてしまう人の方が、「それしか知らない」くせに、「知っているフリ」をするという意味で、日本語を勉強していない不真面目な人であると言えるでしょう。
そして、こうした「よく知る者の振舞い」は、あらゆることに通じるように思えてなりません。
-真に武術を知る者は、むやみに剣を振るわない-
※「抜かせてはならぬ最強の剣」参照
-真に科学を知る者は、むやみに可能性を否定しない-
※「仮説と検証のすすめ」参照
-真に教育を知る者は、むやみに知ったかぶりをしない-
※「教育は共育なり」参照
そして、真に人間の本質を知り、また真に人間たらんとする者は・・・。
そういうことなのだろうと思います(「分からないことは言わない」、「他人は自分の鏡」等参照)。
こんなコメントをいただきました。
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世の中、頭が良いバカが多すぎる。
勉強はできるし、知識もあるが、金や権力や暴力に弱い。
目上にへつらい、目下に威張る。
頭が良いばっかりに、信じれば、安全だと思って、上から与えられる嘘を信じている。
本当は弱虫なくせに。
権力者ほど、自分の地位に固執している様は、実に醜い。
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よく分かりますし、実際、その通りだとも思います。
私自身、頭が良いとされる人は、それほど頭が良いとは思いません。
また逆に、頭が悪いとされる人が、それほど頭が悪いとも思いません。
以前、日本の最高学府とされるところの出身の方が、私の学歴と経歴に目を通して、「この学歴と経歴じゃダメだ。何をやっても無理だ」とおっしゃられたことがあります。私は心底、面白いものだと思いました。日本の最高学府が、どんな背景で生まれたものなのか、科学とは何かを知らぬまま、そんな言われようをされても何の迫力も感じません。もちろん、日本の最高学府に限らず、世界においても科学の限界とは何たるかをわきまえず、ただ学位のみを重ねる方々には、何の迫力も感じ得ないのです。
何の取り得もない反面、コンプレックスもない人間として言っておきます。
-頭が良いとされる人、驕ることなかれ-
-頭が悪いとされる人、卑屈になることなかれ-
《参考》
「万能でない科学」
「脳力の可能性」
「人間の優劣と競争社会」