常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

総統閣下の愛情に敬礼!

2010年01月19日 | 独り言

PC、一応直りました。

まだ、ブログやTwitterを本格的に再開するつもりはありませんが、今日はあまりにも可笑しくて・・・。

それと言うのも、今日、久しぶりにネットで動画を見ていて、文字通り腹を抱えながら、涙が出るほど笑ってしまったからです。その原因は、ニコニコ動画にあります。ニコニコ動画は、残念ながら私が思っていた通り、昔、面白いと思っていた動画の大半が消されていて、ずいぶんと面白みに欠けるサイトになってしまったように思います(「同時に見える限界と始まり」参照)。ただそれでも、ここ一年以上、まともに見ていなかったので、その間の蓄積で、ずいぶんと面白いものが残っていたのも事実で、その中には傑作もあるわけです。

プリキュア絡みで言えば、総統閣下が相変わらずご健在だったことが、とても喜ばしいことだと思います。プリヲタの総統閣下から溢れるプリキュア愛、もうたまりません。「閣下は、そんなにプリキュアを愛されていたのですか!?」、「そんなにミユキさんに思い入れがあったのですね!?」、「スターリンって、そんなに凄かったのですか!?」等等等・・・もう可笑しすぎます。

ただ、それでも相変わらず著作権の問題で、こうしたメディアの仕組みはまったくお話になりません。このままでは、どんなに腹を抱えて笑えるほどの名作ができたとしても、所詮、アウトローの素人遊びにしかならないからです。

そういう意味で、そろそろ私の方で何とかしなければならないように思います。涙が出るほど笑える動画を作るような方に対して、何かしら報いられるような仕組みを創出することは、とても大切なことでしょう。

そして、そういう仕組みがない今日、私からできる精一杯のことは、そんなプリキュア愛に溢れる総統閣下に敬意を表することくらいだと思います。

ということで・・・

-そんなプリキュア愛に溢れる総統閣下に敬礼!-

・・・うん?こんなんでいいのかな?!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの目的と小休止

2010年01月10日 | 自分

PCがイカレテしまいました。一応、こうして書き込みをすることはできますが、あまり気持ちの良い環境ではありません。気乗りもしないことですし、しばらくの間、Twitterへの投稿を含めて、書き込みをお休みしようかと思います。自分なりに、ブログへの投稿は「1ヶ月に最低1回」と決めているので、質や量の問題はともかく、毎月、何かしらの投稿はしようと思いますが、私としては、このブログの当初の目的を達成したような気もしており、小休止もいいだろうと思う次第です。

このブログの目的は、当初、以下の二つでした。

1.「常識」とされるものが、あまりに脆いことを伝える

私にとって、このブログを始めたキッカケは、アイピーモバイルという会社にいた頃でした。その会社での仕事は、携帯電話の電波を使って、通信インフラを構築しようというものだったため、普通では味わえないような、様々な体験をさせていただいたと思います。

電波というのは、周波数帯ごとに免許が与えられたりするだけあって、無尽蔵にあるわけではなく、ある意味では、国が有する資源とも言えるものです。しかも、その与奪は、そんなに簡単ではない上、社会に与える影響力や事業規模が極めて大きいため、どうしても既得権益化しやすい側面があります。アイピーモバイルという会社は、小さなベンチャーながらも、そこに食い込んだ会社だったので、その中で、普通の生活をしていては、到底、お会いすることがないような、とても不思議な方々とも接触することになりました。

そこで感じたことは、この世界が大きく依存してしまっている仕組みや組織の危うさであったり、社会で「常識」とされていることの裏側に潜むものの姿でした。こうした類の話は、普通に周りに話しても、単なるバカ扱いされておしまいですが、私なりに何かをしなければならないとも思いました。しかし、当時の私の立場では、それを外に発信していく術はなく、できることと言ったら、(今でこそ、実名顔出しですが、当時としては)匿名のブログで何かを書くといったことくらいでした。それで何が変わるというわけでもありませんが、とりあえずは、それだけでもしておこうということで、「常識について思うこと」というタイトルで、このブログをスタートさせたわけです。

今日に至るまで、そのテーマに合わせて、いくつかの分野に分けて整理してきました。そして、当時想定していた一通りのことは言及できたのではないかと思います。

2.「成功」とされるものに、必要な本質を書き留める

これも、同じくアイピーモバイルという会社で経験したことです。私なりに真剣になって、窮地に追い込まれている仕事仲間にアドバイスをしていたときのことでした。

-それは、貴方が役員だから言えるんですよ-

この言葉を聞いて、唖然としました。この言葉を出されてしまった瞬間、私のあらゆる言葉は、全て死んでしまったも同然です。私にとっては、地位や肩書きを気にする人が、言葉というものを地位や肩書きから発せられるものだと考えるということを知った瞬間でもありました。同時に、冷静に考えてみたのですが、私は、たとえ役員でなくても、同じことを言っていましたし、逆に言うと、そうした思考をしたからこそ、役員としての責務を全うできているのだろうと思いました。そして、そこで痛烈に感じたのです。

-まず精神や思考法、その後に地位や肩書きが存在する-

これは、いまだに私にとって、揺ぎない信念でもあります。しかし、地位や肩書きが固まってからでは証明できないものでもあります。地位や肩書きが固まっている人間が、いくら偉そうなことを言っても、それはその地位や肩書きがあってこそだと思われてしまう余地があるわけです。それでは、全く面白くありません。

このテーマは、あくまでも地位や肩書きを失っている人間こそが、証明できるものなのではないかと思えてなりません。地位や肩書きもない人間が、精神や思考法を予めオープンにしておいて、その結果としての地位や肩書きが固まってきたときに、それを時系列で整理することで、はじめて上記の命題を証明することになるのではないかと思うわけです。

幸い、私はアイピーモバイルという会社を解任され、一度、きっちりと地位も肩書きも失うことができました。そういう意味で、それ以降、私が成すべきは、自分の精神や思考法を極力オープンにしてくることだったわけです。そして、それはこのブログを通じて、凡そ達成できたのではないかと思います。

このように、ブログを設定した当初の目的は、大体、達成できた感もあるので、今回起こったPCの不具合を機に、一旦の小休止に入りたいと思います。とりあえず最低限の月一ペースを守りつつ、また状況が変わって、いろいろと気乗りする環境になったら、再開するようにいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍馬がやり残した仕事

2010年01月08日 | 日本

今年のNHK大河ドラマの主人公が、坂本龍馬であるため、年初から何かと龍馬の話題が目につきます。坂本龍馬については、私もずいぶんと関心を持っていた時期があり、それなりに思い入れもあります。もう20年近くも前ですが、龍馬が襲われたとされる寺田屋(どうやら偽物だったようですが・・・)に宿泊して、彼が撃った弾丸の跡や、お龍が裸で抜け出したというお風呂等を目前にしたのは、当時の私にとって、非常に貴重な体験であり、今ではとてもいい思い出でもあります。そういう意味で、もしその頃に、「龍馬伝」が放送されていたとしたら、きっと噛り付いて見ていただろうと思います。

しかし、今の私からすると、幕末から明治にかけて日本で起こったこと、龍馬が成したこと、今日まで引きずっている問題等が、一応、一通り整理されており、その中で自分が成すべきことが既に定まっているため、特段、今更になって、「龍馬伝」を見なければならない理由を失ってしまったように思うのです。

この点、非常に重要です。歴史を学ぶ以上、それは活かしていかなければなりませんし、自分の生き方に反映していかなければなりません。貴重な時間を費やして、わざわざ番組を見るのであれば、そこにはそれなりの問題意識と理由を持って、臨む必要があると考えるのです。そういう意味で、今の私にとって、「龍馬伝」を見ることと、自分のミッションにおける龍馬という人物の位置づけや功績、限界を明確にすることは、とても重要なことなのです。そう考えた時、今の私は「龍馬伝」を見るよりも、むしろ私なりに結論が出ている、「龍馬がやり残した仕事」を片付けなければならないと考えるわけです。

それには、いくつかのポイントが挙げられるでしょうが、そのうちの大きなひとつが、薩長と幕府側勢力の和解です。

周知の通り、坂本龍馬の偉大な功績のひとつとして、薩長同盟が挙げられます。龍馬が仲立ちした薩長同盟によって、幕藩体制は綻びを見せ、それが後々の明治政府樹立へと繋がってくるわけです。しかし、彼はこれを見届けることなく亡くなってしまいました。龍馬暗殺の真相には諸説ありますが、少なくとも、彼が亡くなってしまったことで、明治政府の顔ぶれが、薩長の色合いを濃くしたことは間違いないと思われます。龍馬は、薩長同盟を成した後、徳川慶喜を副関白に据える人事構想を立てる等、幕府側勢力を明治の新体制に取り込もうと考えていた節があります。もしこれが成っていれば、幕府側陣営が軍事的に痛めつけられる戊辰戦争のような摩擦は生じなかったかもしれません。

翻って、現代の日本については、言う人に言わせると、かなり真面目な話として、「今も薩長体制は続いている」と言います。そしてまた、当時、幕府側に付いて死闘を演じた人々(例えば会津藩)の関係者の中には、今もなお薩長に対して、強い憎悪と警戒心を持っている方々がいることも事実です。この裏には、当時の薩長が、天皇の扱いなど、相当強引なことをしてきたらしいこととも関係していると思いますが、この際、ポイントはそこにはありません。

要は、そうした一世紀半近くも昔の薩長と幕府側勢力との間に生じたシコリが、今もなお残っているということです。これは、これからの時代において、日本が一致団結して世界の問題に取り組もうという時に、大きな障害になり得るという意味で、私にとっては看過できない問題でもあります。そして、それは紛れもなく、幕末から明治にかけての時代に端を発する問題であり、見方によっては、幕府側勢力を平和的に新政権へ取り込むことに失敗し、志半ばにして倒れた龍馬の残課題であるとも言えると思うのです。

実際のところ、こうした歴史的な問題は、日常生活を営んでいく上で、ほとんど関係のない世界の話とも言えます。しかし、私の経験上、巨視的な課題に取り組もうとすればするほど、けっして無視のできないものとなっていくものだと考えています。

いずれにせよ、私としては、上記のような問題意識から、薩長同盟を成立させ、明治維新に至る道筋をつけた坂本龍馬という人物の功績を大いに認めつつも、彼の限界を知り、彼がやり残した仕事についても、きっちりとこなしていく必要があるのだろうと思う次第です。

なかなか楽しみな時代になってきました。

《おまけ》
明治維新時の真相について議論を始めると、「そんなのはトンデモ話だ」等とおっしゃるような方々がいらっしゃいます。その方々は、その方々なりに勉強されており、そうした知識の裏付けをもって「トンデモ話である」と言われているのだろうと思います。それはそれで、そう信じるのは結構なことですし、それは各人の自由だとも考えます。しかし、もし余裕があるならば、こうした重い問題については、座学ではなく、是非、直接いろいろな関係者の方々とお会いになって、お話を伺ってはどうかとも思います。問題が核心に迫れば迫るほど、到底、座学では見えない部分があるものです。ただし、こうした問題は、極めてセンシティブな事柄でもあるため、ヒアリングをされる際には、それなりの覚悟と真剣味を持って臨む必要があることも事実です。そうでなければ、相手の方々はなかなか口を開かないでしょうし、また場合によっては、とんもない代償を支払うことになると思います。ご興味を持たれ、追求をされる場合には、その点、くれぐれもご注意ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目指すべき「強い円」

2010年01月07日 | 産業

財務大臣が交代になって、その大臣の最初の記者会見で、「円安期待」と取られる旨の発言があったという報道を目にしました。

-またやっちゃった・・・-

安易に自国通貨安を期待するのは、知恵や技術が枯渇し、価格でしか勝負できない人の発想です。製品やサービスの品質において、他とさしたる違いが見当たらず、いかに安く作れるかという労働集約型の競争を強いられているとき、円安が効くことは間違いありません。そしてまた、今日の日本産業が、そういう状況に陥りつつあることも理解いたします。しかし、ただそれを受け入れるだけでは、とても日本に未来があるとは思えません(「円安に期待するなかれ」参照)。単純な話、価格競争力だけを見て、人件費が安い諸外国に比べて、どれだけ戦えるかと言ったら、日本が圧倒的に不利になるであろうことは想像に難しくないはずです。

私としては、一国の財務大臣が「自国通貨が安くなることを願う」かのごとき発言をすることは、けっして許されないだろうと思います。今回の記者会見における大臣の発言は、正確に言うと、経済界の意見を代弁しているかたちになっているので、このあたりについて大臣なりの反論があるかもしれません。そういう意味で、今回の発言をもって、「大臣は無能だ」等と決め付けるつもりは毛頭ありません。しかし、自国通貨の為替水準に関する発言は、一国の大臣としての重みをもって、特に慎重を期されることを願うばかりです。

あらためて、ここで申し述べておきますが、「円安期待」というのは、「もはやわが国には、知恵も技術もありません」と言うに等しい、謂わば「白旗宣言」ではないかと考える次第です。そして私は、日本の実力がそんなものではないと信じています。

日本が世界のリーダーとしての役割を果たしていくためには、「強い円」でなければなりません(「世界のリーダーたるべき日本」参照)。強い通貨を持つことは、世界を牽引していく国の条件でもあると言えると思います。それはつまり、大きく「円高」に振れても、十分に世界に買ってもらえるだけの付加価値の高い製品やサービスを生み出していくことができる国であり、他国にはけっして真似できない知恵と技術が備わっていることの証でもあります。

簡単に白旗を揚げることなく、地道に「強い円」を実現できるように努力していくことこそが、これからの日本が進むべき道です。そして私としては、日本にはそれだけの実力があると信じ、また自分自身も、それを証明するための活動を進めていきたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方分権への道標を目指す

2010年01月06日 | 会社

普段、あまり地域振興などを意識することはありませんでしたが、最近、自分が拠点を置く地域について考えることが多くなりました。

政治の世界では、よく地方分権といったキーワードで論じられることがあります。これを主張する方々のお気持ちはよく分かりますし、私自身、地方でできることは、できる限り地方で解決するべきであろうと考えます。ただし、それは同時に、地方の側が、ある程度国から自立していかなければならないことを意味しています。端的に言えば、地方は地方なりに自らの経済を活性化させ、国に頼らず、独自の責任と裁量によって、様々な施策を打てるようにならなければならないということです。

権利を求める以上、それに相応しい責任能力を備えていなければならないのは、至極、当然のことです。

こうした地域経済の活性化については、よく「カジノ構想」の類が持ち出されるように思います。人の発想は自由ですし、それらはその方々が良かれと思っておっしゃられていると思うので、あまり否定的なことを言うつもりはありません。ただ、少なくとも私は、もっと違った方法を模索するべきではないかと考えます。それは、自分自身の事業を中心に描かれていく構想です。

先日、テレビを見ていたら、年末の大晦日の夜、東京都内の某所が、年越しを祝う群衆で荒れに荒れていたという内容がありました。通常、ビジネスを大きく展開するのであれば、東京に事業所を構えるのが一般的なのではないかと思います。それはそれとして、非常に合理的だと思われますし、そのメリットが多分にあることは否定しません。しかし、私としては、本当に社会に必要とされている事業を行うのであれば、そんなに荒れるような(あまり魅力的に映らない)東京にわざわざ出向く必要もないのではないかとも思います。それと同時に、地域経済活性化についての思いが頭をよぎったとき、「しっかり地元で足固めをしよう」とも思うのです。

地域に根付いた経営をして、世界有数の企業に成長していくという例は、世界中にあるのではないかと思います。日本の超有名な大手メーカーでも、こうした事例が数多く挙げられることも、また間違いのない事実です。

まだまだ、先のことかもしれません。しかし、私としては、自分の会社を育てていくにあたり、それを単に一所の事業体としてではなく、新しい時代における地方分権の実現に向けて、何か大きな道標になるような事例にできたらと思うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「関係図」可視化の重要性

2010年01月05日 | 産業

インターネットは、全員参加型のメディアです。したがって、インターネット上に出回る著作物は、多くの人々によって手が加えられながら、次々と無数に作られていくと考えておかなければならないでしょう。つまり、著作物の際限なき複次利用によって、さらに別の著作物が出来上がってくるという無限の連鎖があるということです。インターネットにおける著作物の扱いについては、よくコピーの問題が取り上げられますが、私は、むしろこの著作物の複次利用の問題の方が、「参加型」というインターネットの性質上、重きを置いて考えなければいけない問題なのではないかと思っています。

従来のメディアにおける著作物は、きちんと完成されたかたちで流通しており、そのなかでの著作権の権利関係は、それぞれの貢献度に応じて、予め取り決めがなされています。契約形態には、いろいろなかたちがあるでしょうから、一概には言えませんが、基本的に、何らかの売上が上がれば、予め定めておいた取り決めにしたがって、各著作権者に収入が入るというかたちになります。ただし、この取り決めは、あくまでも業界の中で定められているものであり、一般のユーザーが意識することは、まずありません。つまり、そうした「権利関係図」、あるいは「貢献関係図」が、一般の人々からはブラックボックスになっているわけです。

しかし、インターネットが参加型メディアである以上、この「関係図」に一般のユーザーが参加できるような仕組みになっていない限り、著作物の際限なき複次利用には対応できないことになります。これは、著作物の「関係図」が、現在のようなブラックボックスのようなかたちではなく、きちんと可視化させた上で、誰もが自由に入り込める仕組みになっている必要があることを意味しています。

このことは、実力ある創作者にとって、大いに歓迎すべきことになるでしょう。つまり、「関係図」が可視化されれば、実力ある創作者であればあるほど、その中でいかに自分が貢献しているかが目に見えるかたちとして表れるわけです。当然、実力ある創作者たちのモチベーションは、上がってくることになるはずです。

一方で、既存のメディアの仕組みの中で、実力以上の評価を得ていたり、創作活動そのものに大した貢献をせず、ただ仕組みに乗っかっているだけのような人々には、大変迷惑な話となります。「関係図」の可視化は、それらの人々が不当に甘い汁を吸っていることを白日の下に晒すわけです。これは、とてもよろしくないことでしょう。

私個人としては、インターネットで流通する著作物の「関係図」の可視化は、間違いなく時代の要求であろうと考えています。そして私自身、その仕組みの構築を積極的に進めていこうと思っています。ちなみに、この「関係図」の構築には、従来型のRDBでは対応できないことが予想されるため、新しい概念を取り入れたDB技術を取り込む予定でいます。こうした可視化された「関係図」が存在する仕組みの中で、創作者たちは、どんなかたちであれ、その著作物を作り上げるにあたって、堂々と「貢献している」と言えるだけの仕事をすることがポイントです。

インターネットやコンピューターは、著作物の強力な流通ツールです。このことは、これまでの流通の仕組み自体が、大幅に価値を失っていく(ゼロになるわけではない)ことを意味しています。創作活動にろくな貢献をせず、ただ流通の仕組みに乗ってばかりで甘い汁を吸おうとする人々は、自ずと滅んでいかざるを得ないでしょう。そして私は、こうしたことを通じて、インターネットやコンピューターといった分野における技術革新が、いよいよ本格的な生産性の向上と結びつき、世界の経済全体を押し上げる活力になっていくのではないかと考えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コミケとディズニーランド

2010年01月04日 | 産業

昨年末にはコミックマーケット(以下、「コミケ」)、今年のお正月にはディズニーランドに行ってきました。そのなかで感じたことから、総じて言えるのは、以下の3つです。

■アメリカが教えに来てくれている

幕末から明治にかけての時代、「脱亜入欧」という言葉があったとおり、日本はアジアを抜けてでも、欧米に学んでいかなければなりませんでした。そのため、当時から今日に至るまでの多くの日本人は、そうした最先端の文化や文明を学ぶために、一所懸命外国語を学び、海外へ留学していくことになったのだろうと思います。しかし、その状況は現代に至り一変し、欧米に向かって、それほど積極的に学びに行く必要はなくなったのではないかと考えます(「脱亜入欧の終焉」参照)。

世界の最先端を行く国の人が何を良しとして、何を楽しみ、何に喜びを感じているのか、150年前のほとんどの日本人には、まったく想像がつかなかったでしょう。しかし、現代においては、アメリカ人がわざわざ大量に出張をしてきて、彼らの文化を日本語に変換してまで、その価値観や世界観を日本人に教えてくれているのだと思うのです。


お馴染みのピーターパン


世界のハリウッドを背景に

ディズニーキャラクターたち

アメリカには行ったことがなくても、こんなにも簡単にアメリカ的な文化に触れることができるというのは、150年前では到底考えられなかったことであり、とても有難いことです。現代の日本人は、ここから多くのことを学ばなければならないと思います。

■「プチコスプレ」で楽しみの幅を広げる

日本人というのは、とても生真面目な人々が多いような気がしてなりません。そうした日本人に対して、アメリカ人はもっと気軽に楽しむことを、教えてくれているように思うのです。

それは、コスプレ文化についても言えるのではないかと考えます。

日本のキャラクターを使ったコスプレの特徴は、「それなりに本格的」であり、「それなりの場所」で楽しむことが要求されるということです。日本のキャラクターでコスプレをしようとなると、基本的に全身で、しかもそれなりの「なりきり度合い」でなされるのが一般的です。したがって、その格好のままで行動するには少なからぬ問題が予想されるため、大体においては、ある程度のスペースにおいて、楽しむことが要求されるのです。

コミケでコスプレをする人々は、基本的に「コスプレ広場」なる場所にて、コスプレを楽しむことが求められます。しかし、これは大変、窮屈な場所です。当然のことながら、コスプレをしながら、(写真撮影以外で)何かを楽しむというのは、なかなか難しいと言わざるを得ません。

一方、ディズニーランドでは、園内、コスプレし放題になっています。正確に言うと、ミッキーの耳をつけたり、ドナルドのぬいぐるみをかぶったり、手袋をしてみたりという程度のコスプレであるため、日本のキャラクターで行われるところのコスプレには当たらないかもしれません。しかし、ちょっとしたコスプレをしていることは事実であり、これは言わば、「プチコスプレ」とでも言うべき代物だろうと思うのです。こうした、ちょっとした「プチコスプレ」で、園内を自由に歩き回り、その格好のまま一日中遊べる施設があるというのは、とても楽しいことだろうと思います。

日本でも、京都の東映太秦映画村では、新選組や水戸黄門などに変装できるコスプレサービスがありますが、どうも生真面目な日本人らしく、その衣装やメイクが、かなり本格的に作り込まれてしまっているため、利用客のハードルを上げてしまっているようにも感じます。

このあたりの文化において、日本人がもっと気軽に楽しむことを学び、具体的に「プチコスプレ」として根付かせることができるようになれば、遊びの幅が格段に広がり、多くの人々が楽しめるようになるのではないかと思えてなりません。例えば、コスパのTシャツを着て歩くだけでも、それは立派に「プチコスプレ」として成り立つかもしれないのです。こうした文化を狭苦しい自己満足の世界に押し留めることなく、もっと広い空間にて、大勢で楽しめるようにすること、あるいはそうした娯楽施設を作ることが、今後の日本にとっての大きな活力源になるようにも思います。

■キャラクターへの愛情とビジネス化は両立する

正直、日本アニメのキャラクターは、世界のどこにも劣らない力を持っていると思います(「日本に眠る宝物」参照)。しかし、ディズニーのキャラクターには、それを超えるだけのエネルギーを感じてしまうのです。右写真は、昨夏にディズニーランドを訪れたときのものですが、こうしたキャラクターと写真を撮りたがって、群がる日本人がいるわけです。こんな状況ですから、ディズニーランドのメインキャラクターであるミッキーマウスが登場したら、その盛り上がり方が凄いであろうことは、言うに及びません。こう考えると、日本は何かに完敗していると言わざるを得ないと思います。

しかし実際、私は日本アニメのキャラクターの数々が、ミッキーマウスに劣っているとは思いません。むしろ、より活きたキャラクターとして、どちらに愛着を持ちやすいかと言ったら、圧倒的に多くの日本のキャラクターに軍配が上がるのではないかと思っています。このギャップが生じる原因について、私は両国における演出力の差であろうと見ています。この演出力という意味では、日本はアメリカの足元にも及びません。

この演出力の差には、いろいろな視点からの原因が指摘できると思いますが、私からは、「キャラクターへの愛情」というポイントを挙げないわけにはいきません。ディズニー映画のキャラクターたちは、その原作者であるウォルト・ディズニー氏の深い愛情によって育てられました。同時に、同氏自身がビジネスを牽引していくことで、「この可愛いキャラクターたちを、多くの人々に愛してもらいたい」という思いが広がり、そのビジネスにおけるキャラクターや世界観の演出力向上に寄与したのではないかと思うのです。その具現化したかたちが、ディズニーランドのような娯楽施設なのでしょう。

愛情を持つことと、ビジネスを成功させることのノウハウは、本来、別物であり、それらを分業しなければならないというロジックは分かります。しかし、これらを同時に実現させ、愛情があるからこそビジネスが成り立ち、ビジネスが成り立つこそ愛情を表現できるという歯車の噛み合わせは、けっして別世界の夢物語ではないことを、ディズニーランドは教えてくれるような気がするのです。

今のコミケの仕組みは、このあたりの踏み込みが、あまり得意ではないように思います。それはけっして悪いことではなく、現状において、お金儲けというビジネスの世界とは、ある意味で一線を画しておくことの重要性も否定できないと考えます。ただし、自分たちが愛する文化や価値観を世界的規模で広げていき、より多くの人々にも楽しんでもらい、また愛されるようにすることもとても大切であり、そのためには、それなりにビジネスの仕組みを使っていくことも必要なのではないかと思うのです。

愛情を持つからこそ、それを多くの人々に知ってもらうための演出力を磨き、それをビジネスに繋げていくという流れは、これからの日本のアニメにとって、とても重要なポイントになっていくことでしょう。

以上、ここ最近、コミケとディズニーランドに行ってみて思ったことでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お正月の日常化

2010年01月03日 | 日常

今朝、テレビでお正月の過ごし方の変化に関するものがありました。昔のお正月(と言っても、50~60年前のものですが)では、日本髪、和服、羽子板、凧揚げ・・・といったものがあったのに、それらがなくなったり、変質してしまったりしているという内容でした。

こういう話になると、兎角、愚痴っぽい内容になったりすることもありますが、これはこれで、それほど悪いことではないと思います。私自身、「毎日が特別」と思うようになってからは、お正月に対する感覚も、だいぶ変わったように感じます。以前、大晦日のカウントダウンは、間違いなく、自分にとっての楽しい時間でした。しかし、最近は、ほとんどそれもなくなりました。言わば、「お正月の日常化」です。逆の言い方をすると、例えば、年末年始のお正月やクリスマスが、とても特別に思えていた時代の自分は、それ以外の毎日がマンネリ化していて、一年を通じて、何となく何もなさすぎたのかもしれないとも思うのです。毎日が何もなく、平凡すぎるからこそ、年末年始の特別さが際立ってしまったのではないかと思うわけです。

そう考えると、昔の「特別なお正月」が変わってきているというのは、もしかすると、社会全体が、「それ以外の毎日が特別」と感じられるほど、メリハリが出てきたということなのかもしれません。もしそうならば、それはそれで、それほど悪いことではないと考える次第です。

日常の非日常化、非日常の日常化・・・。

ただし、節目の重要性というのは、変わらずあるのだろうと考えます。お正月はお正月として、新しい年を迎えられたことを祝い、新たな気持ちで何かを始めたり、新しい気分に切り替えたりということは、とても大切なことです。新年を迎えて、あらためて「一年間、よろしくお願いします」という挨拶を交わすことも、また大切なことでしょう。そういう意味で、私としては、適度にお正月気分を味わっておこうと思います。今年は、元旦に都内のホテルに行ったら、フルーツカービングなるものを目にしました。これは、なかなか凄かったので、思わず写真を撮ってしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向き合うべきタイムラグ

2010年01月02日 | 短編

太陽が南中してから、最高気温に達するまで、約2時間。
夏至を迎えてから、真夏の気温が上がりきるまで、約2ヶ月。
生き方を定めてから、それが結果として顕れるまで、約2年間。
==========================

私の経験則から、こんなことが言える気がします。

何かを変えても、それが即、結果として顕れることは極めて稀なことです。こうしたタイムラグをきちんと認識し、それを自在に操ることが、人生の歩みを進めていく上でとても重要なことなのだろうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元年の元旦

2010年01月01日 | 自分

数年前、単なる景気云々のような次元の話ではなく、国家や社会、世界の構造自体の問題、またはそれらの未来に関する問題について、言い知れぬ大きな危機感を抱き、とてつもない使命感を覚えました。

-子供たちのために何とかしなければいけない-

そう感じるようになってから、かなり意識的に一瞬一瞬を生きるようになり、また動き始めてからは、子供たちに希望を残せる未来を創造できると確信できるようにもなりました(「子供たちへのバトンタッチ」参照)。ただ、それにはそれなりの時間がかかるだろうと考えています。

私が、ひとつの目安にしているのは2039年です。

この年については、諸説ありますが、それらに関わらず、私が思い描く世界を創造していくためには、30年くらいの年月を要して、至極当然だろうと思っています。もう少し別の言い方をすると、2039年には、私の息子が現在の私の年齢に達します。私が、子供たちの世代にバトンタッチする上で、少なくとも息子が、今の自分の年齢になるまで踏ん張って、自分の分身たる息子にさらなる未来を託していくというのは、なかなかストーリー性もあって、良いのではないかと思うのです。

そのように、2039年をひとつの区切りとして考え、これを30年計画として捉えると、2010年は最初の一年、つまり元年ということになるのです。そして今日は、その元年の元旦にあたるという意味で、少々特別な感じがしています。

他の多くの人々にとっては、特にどうということではないでしょう。ただ自分的には、これからの「30年計画」を進めていく上で、ちょっとした記念日だと思ったので、記しておきました。

いずれにせよ、今日からの30年間、とてもとても楽しみです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする