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4.1 謝罪と補償

2012年09月01日 | 戦後補償

『日本の戦後補償問題』、1996年執筆


 日本はこれまで、戦争中の行為に対する謝罪や反省の意を、アジア諸国に対し繰り返し表明してきている。
 細川首相は、1993年8月の所信表明演説で「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことを改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し述べる」と述べた(106)。村山首相も、1995年8月に「わが国は(中略)多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。(中略)疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明致します」という戦後50年首相談話を発表した(107)。
 従軍慰安婦という個別的な問題についても、1993年8月4日、従軍慰安婦関係調査報告書の公表とともに、河野官房長官が「政府は、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたりいやしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持を申し上げる」という談話を発表している(108)。
 しかしこのような謝罪に対し、日本のそれはいまだ不十分であるという声が絶えることはない。朴東鎭外務長官は、ドイツが戦後、被害を及ぼした国々に率直な反省を表明したのに対し、日本は過去の反省を公式化することができず、韓国との関係改善に失敗したという(109)。キム・ヨンス氏は、日本はこの間、いかにして謝罪を回避するかの妙案を探しており、また日本の為政者が今までしてきた謝罪の発言は、遺憾の水準をけっして抜け出ておらず、「誤った歴史をはっきりと認め、きれいに謝罪する」というような心からの謝罪とは距離があると主張する(110)。
 1995年6月9日に、衆議院本会議において「戦後50年国会決議」が採決された。この決議については「不戦」、「謝罪」、「植民地支配」、「侵略行為」、「反省」などの文言をめぐる論争が激しくなされ、結果として「世界の近代史上における」という表現で日本の戦争行為を相対化したり、「わが国が過去に行ったこうした行為」という曖昧な言い回しに終始させるなどの点に非難が集中することとなった。決議採択までの議論をみても、これなどまさに日本の謝罪、反省が不十分であるとの主張に勢いを与えるものになったといえる。
 たしかに戦後50年決議をめぐる議論は過度に「政治化」され、問題の本質を見失っていたという感が拭いきれない(111)。韓国のマスコミは、日本政界でなされた50年決議に関する論争を「日本連立政権の崩壊可能性」と題して韓国国内に報道していた(112)。立法府の決議は、対外関係においてその国を法的に直接拘束するものではなく、また選挙で国民に選ばれた議員たちによる決議であるから、政府の一方的な宣言以上に民意を反映した意思表明として受け取られるであろう(113)。そう考えれば、もっと外に向けたメッセージ的性格を重視すべきであったかもしれない。
 しかしそもそも国際法上、謝罪とはいかなる意味をもつのであろうか。
 国際法上、陳謝(謝罪)とは国際違反行為によって国家責任を生じさせた加害者が、被害国に対する責任解除の手段のひとつとしておこなわれる。このほかにも国家責任を解除する手段としては現状回復、金銭賠償、責任者の処罰、再発防止の保証などがあげられる(114)。しかしこれらには一定した手続きはなく、通常は国家間の交渉によって決定される。そして何よりも重要なことは、一度国家責任の解除について当時国間で合意が形成されれば、その後は当該国家責任について当事者間にはいかなる法的権利義務関係が存在せず、旧被害国がさらなる陳謝や金銭賠償などを求める権利も、旧加害国がこれらの要求に応じる義務もないという点である(115)。
 たとえば1993年の従軍慰安婦問題に関する官房長官の談話のなかには、「お詫びと反省を申し上げる」という謝罪の文言が含まれていた。日韓協定締結当時、両国は「従軍慰安婦」という具体的な問題についての議論をおこなわなかった。この問題が問題として認識されるようになったのは、少なくとも協定締結以降である。しかし協定第2条によれば、両国の問題は「完全かつ最終的に」解決されているのであり、当然この問題を含めた日本の国家責任の解除については、協定締結の時点で両国の合意が形成されているのである。したがって本問題に対する日本の謝罪は、国際法的に義務づけられているものではない。ただし国家責任の解除は、二つ以上の方法が併用されることもあり(116)、その枠内での陳謝にはまだ議論の余地が残されている。今日なされている日本政府の謝罪の基本的な意味は、すでに法的解決は達成されているが、現時点であらためて過去を振り返ったとき、それがきわめて遺憾であり、二度と起こしてはならぬ歴史であることを認め、相手にそれを伝達するという類のものであるとみなければならない。
 従軍慰安婦の徴集の際に被害を被った女性たちをはじめ、民族としての自尊心を傷つけられた人々に対する謝罪について、我々日本人は真剣に考えていく必要がある。今後の日韓関係を考えるうえで、日本の過去に対する反省が不十分であるとの指摘は重要な意味をもつものであり、こうした意見に対しては率直に耳を傾けなければならない。
 しかしあくまでも、それと賠償・補償問題とは別個の問題である。日本政府の謝罪は、日本にあらたな国家義務を生むものではない。したがって今日の日本政府の謝罪の文言をもって、それら日本の戦後補償の根拠として論じることはできないのであり、両者は別次元の問題であると認識されなければならない。

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