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1.1 「戦後補償」の登場

2012年09月01日 | 戦後補償

『日本の戦後補償問題』、1996年執筆


 「償金」というのがある。「償金」は、第一次大戦まで戦後処理の金銭面での主な解決手段として使われており、当時、敗戦国が敗戦の証として戦勝国に支払っていた。「償金」の獲得は、当時の戦争目的の一部になりうるものだったのである。
 たとえば日清戦争後、日本は中国から2億両の「償金」を受け取っている。この日清戦争後の中国の「償金」支払いは、帝国主義体制への従属を決定的なものとし、また日本にとっては、さらなる近代強国化、軍備拡張のための資金獲得という意味をもっていた。「償金」の獲得は、戦勝国のその後の勢力増強を一層促進させていたのである。
 しかし一方で、「償金」がもたらす受益国への経済的利益を疑問視する声もあった。事実、日本が中国から受け取った「償金」のなかから国民生活の貢献に当てられたのは、わずか5%であり、また引き続き推進される軍拡にともなう増税の負担によって、国民生活そのものは困窮をきわめた。軍需偏重の産業資本主義と結びついた「償金」がもたらす、受益国への経済効果はきわめて不明瞭だったのである(2)。
 1910年代のイギリスでは、「戦争はあまりにも破壊的で経済的に引き合わず、戦勝国が戦費に見合う償金をとること」ができなくなり、「世界貿易の発展にともない、領土の拡張が戦争コストをペイする」といった考え方は成立しなくなったと指摘されるようになった。むしろ世界経済の発展によって、西欧諸国民の経済的相互依存関係が進展し、多額の「償金」授受がかえって国際貿易金融システムを混乱させるなどの危険性が主張されるようになったともいわれるのである(3)。
 1918年に第一次大戦が終結し、翌年6月に締結されたヴェルサイユ条約231条は、ドイツの戦後処理を次のように規定した。

 「同盟および連合諸国は、ドイツ国およびおその同盟諸国の攻撃によって強いられた戦争の結果、同盟および連合諸政府、またその諸国民の被った一切の損失および損害について、責任がドイツ国およびその同盟諸国にあることを判断し、ドイツ国はこれを承認する」

 第一次大戦に費やされた連合諸国の戦争費用の見積もりは243億5000万ポンド。これに対しドイツが支払い可能とみられた上限金額は30億ポンドであり、事実上ドイツに戦争費用を負担させるのは不可能であった。そこで主張されるようになったのが「賠償」要求だったのである(4)。すなわち第一時大戦後、この規定にもとづいたドイツに対する請求は戦争費用の支払い要求ではなく、戦時損害について敗戦国ドイツに課せられた金銭、物品、労働の提供を求める「賠償」要求だったのである(5)。「賠償」はこうして第一次大戦を機に、戦争による損失・損害について戦争責任を負うべき国に課せられた戦後処理の一手段として登場したのである。
 続いて1945年、第二次大戦が終結すると、戦後処理の手段として、ここにもうひとつ「戦後補償」が加わることになる。「戦後補償」とは、戦争の勝敗、あるいは損失について支払われる対価というよりも、むしろ戦時中の罪に対する償いといった道徳的な側面を含む概念であり、国によるものであれ、企業によるものであれ、基本的には個人を対象にすることにその特徴がある(6)。
 これには第二次大戦中のドイツ・ナチスの戦争中の残虐行為が、大きく影響している。すなわち戦時中、あるいは戦前を含んだナチスの非人道的な行為は、「戦争による損失および損害」を扱う「賠償」によって解決するにはあまりにも残虐であり、新たに「戦後補償」という概念を設けることによって、ドイツ・ナチスの過去を清算する必要性が生じたのである。いわゆる「人道に対する罪」に基づく、支払い義務の発生である。
 つまり第二次大戦後誕生した「戦後補償」の概念には、ドイツ・ナチスとそれを裁定する「人道」という道徳・倫理が深く関与しているのである。

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