簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

漁師町・日生(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-08 | Weblog
 日生は、波穏やかな瀬戸内の海ではぐくまれた、岡山県下でも魚介
類が豊富な漁師町でもある。
中でもカキは、広島県や宮城県に比べると意外と知られてはいないが、
平成28年度の生産量は当県が全国第三位、シェアはおよそ1割である。



 広島のシェアは突出していておよそ6割と言い、それには遠く及ば
ないものの、宮城とは拮抗し、この三県で全国生産量のおよそ8割を
占めている。
岡山県内のその主要な産地がここ日生やその周辺地域だ。



 瀬戸内海が深く入り込んだ片上湾や日生湾では、沢山のカキ筏を目
にすることができる。
街を歩けば養殖に使用するホタテの貝殻が山積みされた姿を、また漁
港近くではカキ打ち姿をいたるところで目にすることも出来、カキの
故郷を実感する。



 このほかにもアナゴやシャコも知られている。
アナゴはてんぷらで食べてもおいしいが、ここでは甘辛いたれを絡ま
せて焼き上げる。
その香ばしい香りと甘さが相まって、うなぎよりは、あっさりとした
味わいで食べやすく、絶品である。



 また鮮度の落ちるのが早いと言われるサワラが、刺し身で味わえる
のは、この地ならではの贅沢だ。
身が肥り、脂がのった立春の頃は「寒ザワラ」と呼ばれ、特にうまい。
因みに岡山県は、サワラの消費量が全国一である。



 日生町内に或の二つの港を結び、町内を抜ける国道250号線沿がメイ
ンストリートである。
通りにはそんな海産物を売る店や、地元の漁師がその日獲ったばかりの
新鮮な魚介類を提供する食事処も多く、中には買ったものをその場で焼
いて食べられる店もある。
特にカキのシーズンは、炭火焼きの出来るカキ小屋がオープンする。(続)





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港町・日生(ひなせ)(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-06 | Weblog
 伊部を出た赤穂線の列車は、トンネルを抜け大きくカーブして南に
進路を変えるとやがて伊里駅だ。その先で一瞬瀬戸内の海を見せるも
再びカーブしながら東に進路を変え、しばらく単調な山間部を行く。
車窓に町並が戻り、右手に日生湾の長閑な港が見えると日生(ひなせ)
駅に到着だ。



 駅は山際のやや高台に有り、南側が大きく開けているので、目の前
には瀬戸内海日生湾の碧い海が見下ろせる。
ここは兵庫県と県境を接した旅情豊かな港町、漁業の町である。
また、瀬戸内海国立公園を構成する日生諸島へ向かう航路の港があり、
観光の拠点駅としての利便性も高まっている。



 「妻恋の 鹿海をこゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」

 駅前は小さな公園となっていて、親子鹿の銅像があり、与謝野晶子
が当地で舟を出して遊んだとき読んだ歌が刻まれている。
ここが「日生駅前港」で、小豆島に向かうフェリーが発着している。



 町中には、地元漁協の直売店「五味の市」やがあり、新鮮な魚介類が
販売されている。
また、その周辺には特産の「カキ」をふんだんに入れ込んで焼くお好み
焼き「かきおこ」を提供する店も多く、これを目当ての観光客も多い。
 


 沖に浮かぶ島々に渡る小型の定期船の乗り場はここではなく、駅か
らは国道250号線を900mほど(徒歩15分程度)西に行った「日生港」
から出ているので注意が必要だ。
日生諸島への旅客船のほとんどはこの港に発着する。



 近年、目の前の鹿久居島に渡る備前日生大橋が完成した事により、
その先の頭島まで橋続きで渡ることができるようになった。



 これらの島にはミカン農園が多く、シーズンにはミカン狩りを楽し
むことができる。
鹿久居島は名前の通り野生の鹿が生息する島で、橋が架かる前は鹿が
海を泳いで本土に渡ることが知られていた。
晶子が歌に詠んだ鶴島は流刑の島である。(続)



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片上のひなめぐり(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-03 | Weblog


 旧山陽道は今より北寄りのルートを取っていたが、南北朝時代に入っ
て南寄りのルートに変更されると、ここ片上は宿場としても栄えること
になる。
町は湊町としても賑わい、裕福な商人が登場し、宇喜多直家が岡山城下
の建設を始める頃には、この地から有力な商人の幾らかは岡山に移り住
んで行ったという。



 そんな歴史ある町も、片上鉄道の廃線、大型商業施設の撤退、人口
の減少等で衰退した。
好調な地場産業である耐火煉瓦が有るとは言え、これだけでは中々支
えられるものでも無く、地盤沈下は隠しようもない。
そんな町を元気付けようと20年ほど前から始まったのが、「片上ひな
めぐり」である。



 地元商店街や女性グループで作る実行委員会の主催で、毎年3月上旬
の四日間開かれる。
500m程続く旧山陽道の街道筋、片上商店街は歩行者天国となり、この
通りを中心に沢山のおひな様が飾られる。
その数凡そ4千体と言う。中には江戸時代から伝わる御殿飾りや、子供
達の手作り雛、備前焼のお雛様も混じって賑わいを演出する。



 豪華な御殿雛が飾られる「ふくわらふれあい広場」をメイン会場に、
「着物でひなめぐり」や「こども着付け体験」等の様々なイベントも
同時に開催される。
会場には地元で採れた野菜の市や、食べ物など多くの屋台も並び、毎
年多くの人が訪れている。



 中でも圧巻は、宇佐八幡宮で行われる「石段ひな飾り」だ。
神社正面にある急斜面の62段の石段をひな壇に見立て、赤い毛氈を敷き、
そこに約300体のおひな様が並べられる。
自宅で飾らなくなった人たちから寄せられたものだと言い、その朝晩の
展示・撤収作業は、地元の高校生がボランティアで活躍する。(続)






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旧片上鉄道(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-01 | Weblog
 この町の発展で忘れてならないのは、旧片上鉄道の存在である。
大正12(1923)年、和気―片上間で開通した片上鉄道は、その後和気、
井ノ口と北に向けて延伸し、昭和6(1931)年には柵原まで全通した。
地元では、「カタテツ」の愛称で親しまれた鉄道である。



 これにより柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで鉄道輸送する
ルートが完成した。
沿線の和気では山陽本線と、西片上ではやがて開通する赤穂線と接続し、
旅客の取扱いも有りここ片上は重要な結節点としても賑わうことになる。



 嘗ては風待ちの湊として、また優良な漁港として、山陽道が通る宿
場町として、明治維新以降は有能な地場産業である耐火レンガの工場
が多く立地し町は繁栄を続けた。



 加えて、吉井川の舟運に変わる輸送手段としての片上鉄道の開通は、
上流の柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱の輸送を一手に引き受ける事で
町に更なる繁栄をもたらし、アーケードの商店街は活気に溢れていた。



 しかし片上鉄道が担ってきた鉱石の輸送は、トラックに切り替えら
れる事となり、押し寄せるモータリゼーションの波には抗うことも出
来なかった。
加えて沿線の人口減少にも歯止めがかからないと有って、旅客輸送だ
けでは経営が成り立たず、平成3(1991)年にはついに廃線となった。



 鉄道と共に繁栄を続けた町も、気が付けばいつの間にか商店街から
人波が消えていた。
そんな町の起爆剤として華々しく進出した大型商業施設も一時の慰め
でしかなく、何時しか撤退し、主を失った建物は放置され地元では幽
霊ビルと呼ぶ者までいる始末だ。
活力を失い、疲弊する地方都市の生き残りをかけた模索は、未だに続
いている。(続)






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