簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

旧出雲街道・勝間田宿 (JR乗り潰し・姫新線)

2018-02-05 | Weblog
 江戸時代の文化年間(1815年ころ)にはこの勝間田宿には戸数72軒、
人口243人との記録が残されている。街道筋には商家が軒を連ね、その
中には人馬を差配する問屋場もあり、人足12人馬2匹が用意されていた。
これで不足した時は近郷からの助郷で賄ったと言い、その機会も結構多
くて近在からは苦情も出ていたと言うから、宿場としては随分と繁昌し
ていたと言うことであろう。



 滝川に架かる大橋の袂には馬つなぎ場跡が残されていて、その近くに
は旅人の目印となった大きなエノキ(町の天然記念物)が聳え立っている。
昔は一里塚にはエノキがよく植えられたと言うから、この辺りは一里塚で
はなかろうかと思いを巡らしてみるが、それは定かなことではない。





 宿場には本陣が二つあったと言う。
津山藩の宿所・下山本陣や、他藩や勅使などの宿所・木村本陣跡であるが、
何れも主要な建物などは何も残っていない。当時の図面は残されているら
しいが、今日ではその地には僅かな更地に案内の柱が立てられているだけ
である。



 街道筋には人馬問屋跡や高札場の跡もあり案内板が立てられている。
通には切妻屋根のナマコ塀、格子窓を構え、卯建の上がった銭谷や板屋等の
平入の商家らしい建物も幾つか残されているが、何れも当時のものではなく
明治以降の建物らしい。





 旧宿場町の通りには所々に小公園が配置され、街道の両側には滝川から
引かれた水路が整備されていて、その小川には大きな鯉が悠然と泳いでいる。
旧出雲街道の主要な宿場町である当地は、坂田の金時ゆかりの地でもある。(続)





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勝間田 (JR乗り潰し・姫新線)

2018-02-02 | Weblog


 美作江見を出て一旦旧出雲街道と別れた姫新線は、楢原、林野と
停車を重ねた先で再び街道に沿うように西進し、勝間田に停車する。
ここは相対式のホーム2面2線の行き違いの出来る駅である。



 駅前を国道179号線が横切り、その道路脇に「スイーツのまち 
勝shoo央」の看板が立てられている。昔からこの地域では桃やブドウ、
梨、クリなどの栽培が盛んで近頃では収穫祭やそれらを使ったスイーツ
を提供する飲食店などとタイアップした祭りなどを開催している。元々
出荷基準に満たない規格外品果実の活用策として考えられとものらしい
が、今では立派のイベントとして知られるようになり、町おこしに寄与
していると言う。



 勝間田は周辺から縄文や弥生の土器などが出土する古くから開け
た地であったらしい。古代には勝間田郡衙(ぐんが)が置かれ、人
や物の行き交う交通の要衝として栄えていた。
宇喜多氏から津山藩・森氏の支配が及ぶころには出雲往来が通され、
都から山陽道を通り、播磨から出雲を結ぶ官道として機能していた。



 江戸時代になると松江藩や津山藩のなどの諸大名の参勤交代の
要路となり、美作七宿の一つと言われる勝間田宿として整備がす
すめられたと言う。



 駅前に建つスイーツの看板の丁度左横辺りに県道67号線が延び
ている。そこを入り100mほど進むみ左に曲がるとそこには広々と
した明るい色の石畳が敷かれた通りが延びている。
ここから600mほどその先の滝川に架かる大橋まで区間が、旧出雲
街道の勝間田宿跡と言われる通りだ。(続)



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