簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

戸塚の町(東海道歩き旅・相模の国)

2018-04-27 | Weblog

 切り通しの「品濃一里塚」を過ぎ、住宅街の道をいくとやがて目の前にJR
東戸塚駅前の高層ビル群が目に飛び込んでくる。
良い雰囲気の旧街道から、いきなり近代的な町に引きずり込まれたようだ。



 歩道橋で環状道路を越え、再び住宅街の道を行く。
国道1号線を横切り、赤関橋を渡りしばらく旧道を歩いたのち再び国道に合流する
とそこからは単調な国道歩きとなる。
不動坂で国道を左にそれると、その先はJR戸塚駅に向かう緩やかな下り道だ。



 元舞橋で柏尾川の支流に沿って歩き、舞岡入口で五太夫橋を渡る。
元北条氏の家臣・石巻五太夫が、江戸に入る徳川家康を出迎えたのがこの橋で、
ここにその名を遺したのだと言う。
ここらあたりに江戸側の見附が有り、戸塚宿が始まる。



 戸塚宿は江戸からは10里半(およそ42キロ)、数えて5番目の宿で、健脚なら
ここを最初の宿地に選ぶ旅人も多かった。
そのため本陣2軒、脇本陣3軒、旅篭の数も75軒と街道の中では比較的宿泊施設の
多い宿場町で、家数も613軒、人口は2900人余りであったと言う。



 ブリジストンの大きな工場を右に見ながら吉田大橋を渡る。
橋の手前に、広重が描く「戸塚宿」の銘板があり、そこには柏尾川に木橋が架かり、
橋の袂に建つ講の定宿が賑わう様子が描かれている。丁度このあたりの風景らしい。



 その先には戸塚駅があり、道は東海道本線に行き当たる。
かつてはここには線路を横切る大踏切が有ったらしいが、いまは近代的な大デッキ
が東口と西口を繋ぎそれを跨いでいる。
デッキを歩き西口に降り、その先で道を間違えようとはこの時思ってもいなかった。(続)

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