「五月雨に かくれぬものや 勢田の橋」
瀬田の唐橋は、日本三名橋の一つと言われている。
近江八景「勢多の夕照」で名高い名橋を、松尾芭蕉はこのように詠んだ。
古くは日本書紀にも登場し瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれた有名な橋だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/bb/1b945007dc9e1634f64afd1dbd33f5b0.jpg)
京都への軍事・交通の要衝であり、600年代には既に橋が架けられて
いたと言う。その為壬申の乱(672年)や承久の乱(1221年)等、何度
も戦乱の舞台となり、「唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/49/7582d636d1d0dbb2d6371421676ce94c.jpg)
橋は瀬田川に架かり、現在の大橋と小橋に分けて整備したのは織田信
長と言われている。東海道が整備されると、長さ二十三間の小橋と、長
さ九十六間の大橋が架かり、間に中島が有ったと東海道名所図会では紹
介している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/4d/9e5478c4fcd074b472a7f8bc4576233a.jpg)
瀬田の唐橋は、嘗ては瀬田川に架かる唯一の橋で、多くの旅人が行き
交う交通の要衝には、「急がば回れ」の諺が生まれた。
琵琶湖を舟で渡る方が近道で楽だが、天候に左右され思わぬ足止めを
くう事がある。それよりは多少遠くても確実なこの橋を渡れという事だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/28/9649723bf1f9acf0a6e411559e461a91.jpg)
鉄筋コンクリート橋に変わるのは、大正12(1923)年6月で、現在の
橋は昭和54(1979)年に架け替えられたものだ。
全長223.7m(大橋約172 m、小橋約52 m)で、県道2号大津能登川長浜
線が渡っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/34/92309cb244c38283b1bfa7632ae38182.jpg)
橋は県内有数の観光地で、唐橋東詰・西詰とも東西南北の道路が交差
している。両側の歩道も、地元のみならず多くの観光客の歩く姿やサイ
クリストを見ることが出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/89/9f884a992bf242ed2e409ce6f2077a15.jpg)
現在では平日でも、1日当り1万台以上の交通量が有るらしく、休日に
は更に増え渋滞し、通行には時間がかかる可能性もある。
現在の格言は、「急がは この橋避けよ」となるようだ。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
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瀬田の唐橋は、日本三名橋の一つと言われている。
近江八景「勢多の夕照」で名高い名橋を、松尾芭蕉はこのように詠んだ。
古くは日本書紀にも登場し瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれた有名な橋だ。
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京都への軍事・交通の要衝であり、600年代には既に橋が架けられて
いたと言う。その為壬申の乱(672年)や承久の乱(1221年)等、何度
も戦乱の舞台となり、「唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われた。
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橋は瀬田川に架かり、現在の大橋と小橋に分けて整備したのは織田信
長と言われている。東海道が整備されると、長さ二十三間の小橋と、長
さ九十六間の大橋が架かり、間に中島が有ったと東海道名所図会では紹
介している。
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瀬田の唐橋は、嘗ては瀬田川に架かる唯一の橋で、多くの旅人が行き
交う交通の要衝には、「急がば回れ」の諺が生まれた。
琵琶湖を舟で渡る方が近道で楽だが、天候に左右され思わぬ足止めを
くう事がある。それよりは多少遠くても確実なこの橋を渡れという事だ。
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鉄筋コンクリート橋に変わるのは、大正12(1923)年6月で、現在の
橋は昭和54(1979)年に架け替えられたものだ。
全長223.7m(大橋約172 m、小橋約52 m)で、県道2号大津能登川長浜
線が渡っている。
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橋は県内有数の観光地で、唐橋東詰・西詰とも東西南北の道路が交差
している。両側の歩道も、地元のみならず多くの観光客の歩く姿やサイ
クリストを見ることが出来る。
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現在では平日でも、1日当り1万台以上の交通量が有るらしく、休日に
は更に増え渋滞し、通行には時間がかかる可能性もある。
現在の格言は、「急がは この橋避けよ」となるようだ。(続)
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