高梁川橋梁を渡り終えると、列車は遥かに吉備高原を見通す広々とした豊か
な田園地帯を見下ろしながら高架を進み、やがてかつての宿場町である川辺宿
に停車する。旧山陽道46宿の内備中の国には四つの宿場が制定されているが、
その一つがこの川辺宿である。
江戸日本橋より離れる事180里(およそ707Km)、旧山陽道の一里塚跡の石
碑が高梁川右岸の土手下に立っている。
川の改修でこの地に移されたものらしい。
川はこの辺りで支流である小田川と合流するが、当時川に橋は無く徒歩か舟
による渡しであったと言い、川留めともなると川辺宿は大層な賑わいを見せ
ていたらしい。
昔からこの辺りの備中を中心とした中国山地では頻りに鉄が生産されていて、
その原料となる砂鉄を採取するために大量の土砂が川に流れ込んでいた。
それにより下流に運ばれ堆積した土砂で河口は南下を続け、同時に川底を押し
上げ、結果雨でも降ろうものなら川は大変な暴れ川となった。
明治に入り川流域の大規模な改修工事が行われているが、それまでの度重な
る大洪水で、町は何度も壊滅的な大被害を受け、昔の物もほとんどが流され、
今日には何も残らなかったのだそうだ。
一里塚跡の石碑が建つ高梁川の堤防から、まっすぐに西方向に延びるのが山
陽道らしいが、通りには当時を彷彿させる面影はどこにも残されてはいない。
周辺の田畑も、それを繋ぐ道路も整然と区画されたように見え、古い町なのに
どこか新しさを感じる不思議さは、過去の洪水の歴史が町を変えたからだ。(続)
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