広重の描く「東海道五十三次石薬師 石薬師寺」には、街道に面して
建つ山門が、今と変わらぬ姿で描かれている。
背後に幾重にも重なる山々は鈴鹿山脈であろうか。
門前には稲刈りの済んだ広大な田圃で作業する農夫の姿もが描かれて
いるので、やはりこの宿は、農業従事者が多かったようだ。
石薬師寺の山門を出てまっすぐ(東方面) 行くと、左側に「蒲冠者範頼
之社(御曹司社)」と言う神社があるらしい。
ここからも森の中に鳥居が見えているが、立寄る余裕は無い。
範頼は武道、学問に優れていたので、それらの願望成就の神様として祀ら
れてきた。地元では「御曹子社」と呼ばれることが多いらしい。
伝説によると寿永年間(1182~1184)の源平合戦の頃、源頼朝は平家追
討のため、弟の源範頼を西に向かわせた。範頼は途中、石薬師寺に立ち
寄り戦勝を祈願した。
その折、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに差したところ、芽を出し
てこの桜になったといわれている。地元の人が「蒲桜」と呼んで愛でる
桜の木(山桜の変種)らしく、神社の南約60mのところにある。
石薬師寺宿を出て、国道を跨ぐ橋を渡ると道はなだらかな下り坂にな
っていたが、門前を過ぎる頃には坂は終わる。
道筋では古い家を散見することもあるが、極めて普通の町並である。
蒲川の手前で道が二又になっているが、右の道筋へと進んで行くと蒲
川橋へとさしかかる。
実はこの辺りから先は、ルートの確認に苦労し、心配の種を残したと
ころである。国道1号線、関西本線、直ぐ横を流れる鈴鹿川や蒲川、田
畑等が錯綜し、旧街道は完全に失われていて、出発前の計画時「大丈夫
だろうか?」と一抹の不安が残っていた。(続)
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