三条通に出て暫く歩き、琵琶湖線のガードを潜ると右側に「天智天皇
山科御陵」がある。天智天皇は、皇太子時代の名を中大兄皇子と言い、
教科書にも度々登場する有名な天皇だ。
今で言うクーデターを起こし、中臣鎌足と手を組んで蘇我入鹿を暗殺し、
大化改新を成し遂げた人物として知られている。
伝承によると天皇は、馬に乗って山科の森へ狩猟に出かけたところ行
方不明になり、この地で履き物(沓)の片方だけが見付かったことから、
672年12月3日に死亡したとされている。
その地に「上八角下方墳」が築かれ葬られた。その記載は古文書にも
残されていて、周辺に天皇陵らしい大きな古墳がないことから、この古墳
が天地天皇陵に比定されたという。
飛鳥時代の第38代・天智天皇を祀る「天智天皇 山科陵」は、数多い京
都の天皇陵の中でも最古のものとされる由緒ある貴重な存在で、考古学
的には古墳時代終末期の7~8世紀頃に造られた「御廟野(ごびょうの)
古墳」とされている。
陵墓の有る場所は、鬱蒼とした山の木々に覆われた、神聖な静寂に包ま
れ地だ。東海道が整備された時代も変らない姿で、行交う人々も街道から
遙拝していたので有ろう。三条通りから入ると参拝所まで一本道が少し上
りながら整備されている。
参拝道を奥へ進んだが、途中人に出会うことはなかった。
時折JR線を行交う列車のガードを越える走行音が聞こえては来るが、
多くは鳥の囀りに支配された道である。参拝道は犬の散歩が禁止され、
両側が深い森になっている性か、近頃では鹿が出没するらしく、注意
を促す表示が至る所になされていた。(続)
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