簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

幾つもの川俣神社 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-06-12 | Weblog

 庄野宿を出た街道は、川原町の交差点で国道1号線を越え、右に緩く
曲がりながら西に向かう。
北を国道が、更にその先にはJR関西本線が通されている。
少し西方には、安楽川と合流した鈴鹿川が南方にあり、広々とした河川
敷を展開しながら流れ下っている。



 地理院web地図を見ると、庄野宿内街道筋の標高は、20~22m程度だ。
この交差点で少し高くなるが、その先でも25m前後で、アップダウンの
少ない平坦な街道が続いている。



 一方鈴鹿川の河川敷の標高は、庄野橋下辺りが20m、上流に向かって
及川原橋下で25m、さらに和泉橋下では28m余となっている。
 今では30m余の堤防に守られているが、集落を守るべく堤防が無かっ
た時代、度重なる水難が、漆黒の深夜の堤防造りへと女人の心を動かし
た様子が、この地勢からも読み取れる。



 上り下り立場の有った中富田には、中富田一里塚の跡が残されている。
亀山領の東端に辺り、これを越えれば神戸領である。
大きな榎の大木が聳えていたらしい。



 隣接してここにも川俣神社(八王子社)を見るが、同名の神社は庄野
宿にも有り、これが二つ目である。
 更に街道を西進すると西富田にも、川俣神社(八王子社)が有りこれ
で三つ目だ。



 ここで旧道は途切れ、少し下流に迂回して安楽川に架かる和泉橋を渡る
が、当時の橋は丸い太い欄干を備えた、幅七十間の板橋があった。
橋を渡ると和泉町で、町外れの鈴鹿川に近い所にも川俣神社がある。



 一体どうなっているのか、狭い範囲に同名の神社が4社も鎮座しているが、
地区が違うので混乱することは無いのであろうか。
何とも不思議なことである。(続)



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