本陣から数百メートル離れた地に、江戸末期の儒学者で、当世随一の漢詩人
と言われた菅茶山(かん ちゃざん)が開いた私塾・廉塾がある。
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菅茶山は当地で酒造業を営む東本陣で生まれている。
京都で朱子学を学びその後、故郷神辺に戻り「廉塾」の前進である私塾「黄葉
夕陽村舎」を開き全国から学生を集め教えていた。
ここには頼山陽、浦上玉堂、伊能忠敬など名だたる文人墨客も訪れている。
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入ってすぐ目につくのが左側にある3メートル四方ほどの小さな池だ。
ここでは普段は魚が飼われ、非常の時には防火用水として使われたと言う。
魚が食用であったかはよくわからない。
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正面の瓦葺平屋の建物が三部屋二十畳からなる講堂で、東側には竹と板で
造られた濡れ縁が設けられている。
その傍らに円形と方形にくりぬいた手水鉢が有る。
水は器によってどうにでも形を変えることから、「人も環境や教育、交友な
どで良くも悪くも成る」と言うことを教えていた。
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すぐ横南側には高屋川が流れている。
今では塾の周りは塀で仕切られ、その流れを見ることは出来ない。
塾生達は学問に打ち込むつかの間の休息時には、この川の流れを眺めていたので
あろう。そんなことを思うと、広く遊学の士を受け入れる学問所に仕切塀は相応
しくなく、当時はこの塀はなかったのではと思えてくる。
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塾内にはそこから引いた幅1メートルほどの小さな水路が有る。
それは講堂の前に位置していて、部屋を出て庭を横切れば、三段ほどの階段で
水面まで降りることが出来る。塾生が筆を洗うための施設だと言う。
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敷地内には三棟の寮舎のほか、困窮時に備える米麦の倉庫などもあり、万一
の折の救済所としての役割を果たしていたようだ。
これらを含め国の特別史跡に指定されている。(続)
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