宿場と宿場の間にあって、休憩が取れる集落を間の宿と言った。
小規模な茶店だけの場合は立場といったが、ここ大野は可成り大きな間
の宿で、買い物の出来る商店なども存在した。
当時幕府は宿場以外での宿泊を認めてはいなかったが、是は建前で、
実際には大きな間の宿は、正式な宿場と変わらぬ施設を有していた。
ここは松尾川の渡し場を控え、旅籠が充実し宿泊も出来たようだ。
土山と水口のほぼ中間地点にあり、「ひょうたん屋」「指物屋」等と、
商店であろうか、家号の札が幾つかの家の軒下に貼られている。
他にも宿泊できる旅籠も数軒有ったらしく、「旅籠丸屋」「旅籠井筒
屋」「旅籠篤居屋」「旅籠日野屋」「旅籠森田屋」「旅籠柏屋」等と、
旅籠の跡地を示す石標が建てられている。
明治天皇東幸の折に、当地の小幡屋で小休止されたとの記録が残され、
「聖蹟碑」の建つところが、「小幡屋」の跡地らし、石標が建っている。
中には「旅籠枡屋」の石柱と同じ家号の看板を今も掲げる旅館もあり、
今日まで宿泊業が続けているのであろうか。
街道では、明治期以降五代続く「安井酒造場」が、「初桜」の蔵元と
して、昔ながらの製法で地酒を醸し出している。
右側に「みよし赤甫亭」と言う日本料理屋があり、その玄関脇に、
『三好赤甫先生をしのびて「師の訓え 座右の銘とし 汗に生く」』の
石碑があった。
三好赤甫の事は良く知らないが、調べてみるとここが生誕の地らしい。
赤甫は東福寺の虚白の弟子で、この地方で活動し、俳諧の基礎を築いた
人物と言われている。
その先で旧道は国道1号線に突き当たり、その右手角には『大日如来』
を祀った祠が建っていた。(続)
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