簾 満月「バスの助手席」

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児島湖と倉敷川 (JR乗り潰し・本四備讃線)

2022-03-25 | Weblog


 岡山市南部に広がる平野は、その昔は「吉備の穴海」と呼ばれ、島々
が点在する美しく穏やかな海で、藤戸の町にも嘗ては海が広がっていた。
海には、古くから岡山県下三大河川と言われる旭川、吉井川、高梁川が
運び込む大量の土砂により広大な干潟が形成されていた。



 それらは干拓に適した地として、安土桃山時代から江戸時代にかけ、
しきりに干拓をし、新田開発が行われてきた。
本格的な大規模干拓は明治期に入ってからの事で、戦前は民営の事業と
して、戦後は農林省による国営として行われた。
工事が竣工するのは昭和38(1963)年のことだ。



 しかし干拓が進むにつれ、慢性的な水不足や、新田の塩害や高潮の
被害は深刻になった。
その問題を解決するために、児島湾を堤防で締め切る工事が行われる
ことになった。結果誕生したのが、児島湖である。



 藤戸の町中を流れる倉敷川は、上流が倉敷美観地区にある大原美術館
前辺りだ。今では忽然とその姿を現すが、嘗てはこの辺りで新川に繋が
っていたらしい。
 近年になって川の水質が悪化し、浄化のため、高梁川から流れる倉敷
用水と地下水路で繋がっている。
いわゆる源流を持たない川で、下流は児島湖(児島湾)にそそいでいる。



 川は天領である倉敷と、児島湾を経て瀬戸内海、更に上方などとを結ぶ
物資交流の重要なルートであった。また明治に入り倉敷紡績が操業を始め
ると、原料となる原綿などを運ぶ運河として頻りに利用されてきた。
 しかしその児島湾は締め切られ、倉敷川は児島湖には流れ込むものの、
瀬戸内海からは遮断され、運河としての機能は無くなってしまった。(続)



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