融通念佛宗総本山・大源山諸佛護念院・大念仏寺
場所:大阪市平野区平野上町1-7-26
わが家の菩提寺の総本山は「融通念佛宗総本山・大源山諸佛護念院・大念仏寺」である。今は末寺の一つの来迎寺の更に末寺の石位寺(現在は無住職の為、兼務住職)にお世話になっている。
このわが家の菩提寺の総本山を、西国三十三箇所・巡拝掛け軸の最後の札所として、ご朱印を受けに行って来た。
いよいよ、巡拝掛け軸の満願となったのである。
38箇所のご朱印が揃った。満願である。
この大念仏寺の本堂は、大阪府下最大の木造建築物であり、末寺として主に大阪府・奈良県・京都府南部・三重県西部にかけ、約350寺ほどあるという。
毎年5月1日~5日の間、阿弥陀教万部会菩薩来迎練供養(あみだきょうまんぶえぼさつらいごうねりくよう)、いわゆる「平野のおねり」も有名で、多数の人出で賑わうのだ。
更に毎年8月の第4日曜には、幽霊博物館として幽霊の掛け軸12幅や片袖などを一般公開しており、多くの方のお参りを受けている。
この融通念仏宗の総本山は、大治(だいじ)2年(1127)鳥羽上皇勅願による良忍(りょうにん)上人の開基である。
その後幾度かの火災により焼失したが、多くの文化財を残している。
1182年(寿永元年)火災にあい、寺運も衰微したが、元享年間(1321~24年)に7世法明上人により復興。
以来、朝廷・徳川幕府歴代将軍の崇敬あつく、たびたび寄進をうけている。
1898年(明治31年)の火災により諸堂は消失したが、その後次第に再建され今日に至っている。
特に国宝の指定をうけている「毛詩鄭箋(もうしていせん)残巻」は寺伝では菅原道真直筆とされている。
山門 は 江戸時代前期の建立。 山号の「大源山」を掲げている。
千早赤坂の戦・大阪の陣等の兵火にあっている。そして明治31年に出火し、大堂ほか多数の堂宇を失い、現在の大堂は、昭和13年に竣工されたもの。
総欅(けや木)造り・銅版葺きである。大阪府下最大の木造建築なのだ。 東西約50m、南北約40mの大きさでカメラに入らなくて・・・。
堂内は撮影禁止である。年3回催される「百万遍大数珠繰り」に使われる「大数珠」が天井に掛けられていた。長さは150mほどかなあ?
大阪市内で、この広さの境内・・・。広い!
毎年5月1日~5日の間に催される、「平野のおねり」も有名で、多数の人出で広い境内が賑わう。
鐘楼。
大阪市の保存樹に指定されたクスノキ。境内北側にあり、幹周り6.8m、樹高18.9m。地上から約3mのところに瘤(こぶ)がある。
境内のイチョウの木には銀杏が・・・。
こういうのを見ると歴史に圧倒されますね。間違いなく1000年以上の古刹です。
結果を期待してはいけないといいますが、どうもなんか良い事ありそうな気がしてきませんか、まだまだ修行が足りないということでしょうか。
融通念仏宗という宗派は初めて知りました。こちらでは聞いたことありません(知らないだけかな)。立派なお寺ですネ
それにしても始められてからアッと言う間に
回られてしまいましたね。10年以上かかったのが恥かしいです。
立派な掛け軸になりましたね。
まさかスターアニスさまのブログに辿りつくとは、、、。
菩提寺だったんですね。こちらも目から鱗。
本腰入れて、今日から取り組んでいます(笑)
またお力貸して下さいませ。