hikotaniyashojiさんから昨年11月24日に「藩札か、私札か?」の中で紹介した藩札などの詳細画像の掲載依頼を受けました。
同氏は、江戸時代から幕末・明治初期にかけて発行された大和・河内・和泉・紀州方面の藩札、旗本札等古紙幣を収集されておられ、かなりの収集家とお見受け致しました。
同氏から、これら藩札・旗本札などのカタログとして『大和紙幣図史』(著者:大鎌淳正 発行:柳沢文庫)なるものがあることを紹介頂き、早速、図書館で借りて参りました。
手元の藩札を1枚1枚調べました。同じものも載っています。
享保15年(1731年)の「藩札」、また同年の「旗本札」もあり、明和9年(1772年)の「御免銀札」もありました。
まだ、この図史を読み始めたばかりですが、かなり詳しく記述されていて、当時の藩の状態、人々の生活などの一端を知ることが出来ます。
なかなか良い資料を教えて頂きました。
またまた、嵌ってしまいそうです。
では、hikotaniyashojiさんのご要望にお応えして・・・藩札などを紹介致します。
▲表・裏。私人が発行した銀札で、幕府の許可を得て発行された「御免銀札」かな?。飯貝與(イイガイグミ)・・現在の吉野・上市の向い側あたりの集落。明和9年(1772年)発行。
▲上と同じ「御免銀札」かな?。飯貝與(イイガイグミ)のもの。但し、口屋甚右衛門など7名の異なる名前が記載されています。かなり読みづらい。
▲藩札:郡山藩。享保15年(1731年)。表・裏。
▲藩札:小泉藩。宝暦10年(1760年)。
▲藩札:柳生藩。文化12年(1815年)。
▲藩札:柳本藩。文政13年(1830年)。
▲旗本札:根来氏?と言われていますが・・・?裏面の文字が消えています。表・裏
▲藩札:新庄藩。(櫛羅藩・現葛城市)と教えて頂きました。
▲旗本札:佐藤氏(十市郡豊田村、現橿原市)とか。縦16cm×横4cm。寛延4年(1751年)
▲旗本札:三河国長沢・松平家 大和通用札と教えて頂きました。2枚ありました。
他にも2枚あるのですが、全く判読できず、掲載致しませんでした。
hikotaniyashojiさん、この程度で如何でしょうか?
ご不明の点があればコメント願います。
早速の掲載、ありがとうございます。
拝見させていただき、びっくりしています。
一段目の札類、思ったとおり立派なものです。「大和紙幣図史」の後半に藩札等の一覧表があり、位付が掲載されています。そこに表示されている位付のようにこれらの札は大変貴重なものです。
旗本札・佐藤氏の札も「大和紙幣図史」には記載されてません。多分初見品であり、大変貴重なものです。
スターアニスさま、これらの札は貴重なものばかりですので、散在せずに次の世代に伝えてください。これは私の願いです。よろしくお願いします。
少しコメントを追加します。
御免銀札一段目‥薬屋忠治郎
二段目・上段左より、升屋利右衛門、森屋弥三郎、廣屋治(次)郎右衛門、口屋甚右(左)衛門
下段左より柱屋重右衛門、住屋藤右衛門、廣屋治(次)郎右衛門、 (木に昌の漢字)屋宇右衛門 ()は「大和紙幣図史」の表記です。
七段目‥旗本札・根来氏で間違いないです。
左(裏) 辻本摠兵衛、小泉市兵衛、米下治左衛門
右(表) 吉岡欣十郎、遠山亀之助、森本儀右衛門
九段目‥旗本札・佐藤氏
左 札改(引替所の役人です)樋上孫左衛門
右 引請人 舩橋屋喜八郎、米屋新右衛門
最後に、月に一度私みたいな藩札バカが集まる会があります。出所を公開しないという前提で初見札について、是非公表したいのですが、いかがでしょうか。
ご返事ありがとうございました。
コレクターの間でも確認出来ていないもの、果たしてそれが正当なものであるのか否か判らないものが多々あります。現物を確認出来たということは私たちにとっては、計り知れない気持ちになるものです。その札は一枚だけということは絶対有り得ないので、いずれその札を手に入れてやるぞという目標もでき、楽しみが増えるわけです。
質問の件ですが、もちろん数値の大きいものほど希少価値があるものです。ただ、この位付に金額的なものを当てはめようとするならば、需要と供給の関係もあり、歪みが生じているのが実情です。
『未見』ということばですが、
発行したという記録がある場合、
判木(札の判、大和紙幣図史の写真ページ参照)がある場合、
見本刷(判木が出来た際に見本に刷ったものや幕府等公儀に対し許可を得るために提出したもの、発行元に今後再度刷る際の記録として刷ったもの等を言います)がある場合等において、現物が発見されていない状況です。
簡単な解答となりましたが、藩札等について不明な点がありましたら、私の判る範囲で答えますので、今後ともよろしくお願いします。