等彌神社(とみじんじゃ)の散策スタートです。
手水舎の亀さんと、由緒ありそうな大きな燈籠、そして万両の赤い実・白い実に迎えられて、本殿に向かいます。 (歌碑・石碑が多いので、後日まとめて紹介します。)
「御祓殿石」と彫られています。この前に立って身も心も御祓いするのです。
「御祓殿石」があります。 お参りする人は、ここで身を清め心を正すところなのでしょうか? この前に立つと、そんな気持ちになるから不思議です。
下津尾社です。
この神社には、上津尾社(上ツ尾社)と下津尾社(下ツ尾社)があると社務所前の案内看板に載っていました。 (桜井市史では「ツ」を使用。)
最初の階段に建つ「式内等彌神社」の石標を見上げながら進むと、まず右手にあるのが、下津尾社です。
薄暗い中に、佇んでいます。
もともとこの下津尾社の方が、中心だったとか。
そして、この神社の所在地「桜井市字能登」が示すとおり、明治8年に「能登宮」が再建される前は「能登寺」というのが、下津尾神社の前にあったそうです。
拝殿の横から社殿を見ると・・・その扉の欄間には、鵄(とび)が透かし彫りで現されています。
後で、宮司さんに聞くと、皇軍の神武天皇と大和の豪族・長髄彦(ながすねひこ)が戦いをした時、神武天皇が持っていた弓の弓弭(ゆはず。弦をかけるところ)に金色の鵄(とび)がとまり、これを見た長髄彦は恐れをなして、負けたと言う。
この金の鵄(とび)は、橿原神宮の社殿にもあり、また県立畝傍高校の校章にもなっているのです。
下津尾社。玉垣内の社殿の右手が八幡社、左手が春日社。
下津尾社の玉垣内には、拝殿から見て手前にあるのが八幡社(祭神・品陀和気命)で、奥にあるのが春日社(祭神・天児屋根命)なのです。
末社の恵比寿神社。
その拝殿の左隣りには、末社の恵比寿神社(祭神・事代主命)で、この社の前には棟方志功画の歌碑が建っています。 (詳細は後日に・・)
元の参道に戻りその目の前には、「百度石」と彫られた巨石が表参道と裏参道の分かれ道に、ドンと構えている。
延宝4年、元禄2年、寛政11年・・・・などの燈籠が165基も・・・。
左側の表参道を進みます。
ここまでの参道の両側にも燈籠があったが、この神社には165基もあるというから、凄い。
それも苔がついていたりするから、年代ものに更にハクがつくようで・・・。
上津尾社に上がる階段にも大きな燈籠が・・・。カメラを構えているこの場所が「大とんど」の場所なのだろう。
歌碑・石碑を一つずつ撮りながら、上津尾社へ。
途中に広場があった。15日の「大とんど祭り」が催されるだけのスペースがある。
周りには、赤い鳥居や目立つ石碑があるが、とりあえず大きな燈籠に挟まれた幅広い階段を登って上津尾社へ。
上津尾社。
誰もいないシーンと静まり返った佇まいです。
玉垣内の本殿には祭神の大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)(別名:天照大神)が祀られています。
皇室と関係の深いことが窺えます。
拝殿の手前には枯れて根元だけが残された杉の老木があり、その前に皇室の方々の名前が見られます。さすが、皇室のご先祖さん・・・ですね。
そしてまた見つけました。社殿の扉に「弓に乗った『鵄(とび)』」が・・・。
神々しく拝みました。
拝殿にはイグサの座布団が敷かれ、境内にはテントが張られ、まだ正月行事が続いていることを現しています。
桜井弓張神社です。
境内の西北には「桜井弓張神社」(祭神:桜井弓張皇女)があります。
それなりの立派な佇まいです。
上津尾社の境内から、鳥見山(245m)の山頂に向かって斎場山の句碑を経て白庭山の「霊畤」へと道が続いているらしいが、木々が生い茂っているため、途中の歌碑が建つ「霊畤拝所」まで、落ち葉を踏みしめながら歩きます。
登る途中に、鳥見山稲荷神社があり、さらに進むと「黒龍社」という小さな祠がある。
対面に三輪山が水平に見えるのだ。
尾根に辿り着くと、北側の木々の梢の向こうに、桜井市内が一望でき、対面に三輪山が水平に見える。
この山は、神武天皇即位の後、天地の神霊を祭るために築いたところ(「霊畤」という)であり、大孝を申し述べ給うた大嘗会の舞台なのです。
神聖な山の尾根を歩くのは、ちょっと気がひける。
毎年5月13日、鳥見霊時顕彰会により、この「霊畤拝所」で大祭が行なわれているのだ。
どうりで、尾根は何人もが通れる広い道になっていた。
手前の赤い実は何だろう? 霊畤拝所の石碑と万葉歌碑。
霊畤拝所には、大きな石碑と万葉歌碑が建っている。
万葉集・紀鹿人「うかねらふ跡見山雪のいち白く恋ひば妹が名人知らむかも」(伊勢神宮大宮司 徳川宗敬の筆)の歌碑だ。漢字ばかりで読めない・・・・これは、難しい。
ネットでこの「鳥見山の霊畤拝所」を探索していると、ある方のHPに、昔、この等彌神社の宮司さんに聞いたこととして、「霊畤」の場所を宇陀市榛原区の鳥見山にするか桜井市の鳥見山とするか、当時の政府から決めろとのこと。そこで決めたのがこの等彌神社のある鳥見山に・・・ということらしい。
平安時代に戻って、本当のことを確認したいのものだが・・・。
さて、下山することに・・・歌碑などを眺め、苔の緑色に癒されながら・・・ゆっくりと・・・でも、まだ、紹介していない末社などが沢山あるのです。
境内社としては、弓張、恵比寿、金毘羅、黒龍、稲荷、猿田彦、愛宕の7社。そして、桜井市護国神社があるのです。
全ての神さんが揃っておられるのです。まさにオンパレードです。
続きは、歌碑を中心に・・・と思っております。
石灯籠と石碑がたくさんありますネ、それぞれ歴史が刻まれておるんでしょう
どんな歌碑が出てくるかも楽しみです