明日香村豊浦にある「小墾田宮跡(古宮土壇)伝承地」。橿原市和田町との境に位置する。
この小墾田宮跡(おはりだのみや)の一部に1本の木が聳え盛り土されている場所を「古宮土壇(ふるのみやどだん)」という。
小墾田宮跡とは、推古天皇が25年間過ごした宮跡といわれている。(小墾田宮推定地はここ以外にもある。その一つは、桜井市大福の三十八柱神社(みそやはしら)あたりであったとする説もある。梅原猛氏も大福説の一人である。)
しかし、この古宮土壇から金銅製の壷が出土しており、また、その後の1970年の発掘調査では、川原石で作った溝や、池のある庭園、掘立柱建物跡などが出土しており、往時の宮跡が想像できる。
さて、その宮跡の駐車場の生垣にオオカラスウリが成っていた。
最初、見たときはスイカの小玉かマクワウリかな・・と思ったが・・・。
帰って調べてみるとオオカラスウリだ。普通のカラスウリよりも大きくて、丸い。
カラスウリの種類には、大きい順に、オオカラスウリ、カラスウリ、キカラスウリ、スズメカラウリがあるそうな。
初めて見た「オオカラスウリ」。知らなかったのは私だけ? これって、珍しいのかなぁ?
▲小墾田宮跡(古宮土壇)伝承地。稲穂が実る頃、ヒガンバナの咲く頃はカメラマンが押し寄せるところでもある。
▲普通見かけるカラスウリよりも丸くて大きく・・・調べると「オオカラスウリ」と分かった。
この小墾田宮跡(おはりだのみや)の一部に1本の木が聳え盛り土されている場所を「古宮土壇(ふるのみやどだん)」という。
小墾田宮跡とは、推古天皇が25年間過ごした宮跡といわれている。(小墾田宮推定地はここ以外にもある。その一つは、桜井市大福の三十八柱神社(みそやはしら)あたりであったとする説もある。梅原猛氏も大福説の一人である。)
しかし、この古宮土壇から金銅製の壷が出土しており、また、その後の1970年の発掘調査では、川原石で作った溝や、池のある庭園、掘立柱建物跡などが出土しており、往時の宮跡が想像できる。
さて、その宮跡の駐車場の生垣にオオカラスウリが成っていた。
最初、見たときはスイカの小玉かマクワウリかな・・と思ったが・・・。
帰って調べてみるとオオカラスウリだ。普通のカラスウリよりも大きくて、丸い。
カラスウリの種類には、大きい順に、オオカラスウリ、カラスウリ、キカラスウリ、スズメカラウリがあるそうな。
初めて見た「オオカラスウリ」。知らなかったのは私だけ? これって、珍しいのかなぁ?
▲小墾田宮跡(古宮土壇)伝承地。稲穂が実る頃、ヒガンバナの咲く頃はカメラマンが押し寄せるところでもある。
▲普通見かけるカラスウリよりも丸くて大きく・・・調べると「オオカラスウリ」と分かった。
カラスウリよりも大きいもの見たことありません
カラスとスズメは知っておりますが?
スターアニスさんのところは古跡、史跡の上の町ですね
私も、この緑色の瓜を見たときは、普通のカラスウリより大きく、丸いので・・・何の瓜なのか・・・不思議でした。
畑の中であれば、食べられる瓜ですが・・・。
調べてみると、オオカラスウリのようです。
西日本以西の暖地に分布しているようで、関東方面以北では見られないとか・・・。
地下を掘れば何かが出てきますね。
我が家が保有していた土地も、発掘対象になって・・・弥生時代の土器や建物跡が見つかりましたよ。
そうですね。ここは土壇のシンボルの木と早苗田の時の夕焼け空、そしてヒガンバナが咲く頃の夕景がいいですね。
先日の飛鳥資料館でのフォトコンテストの入賞作品の中でも2点が古宮土壇の田植え時の光景でした。
このような大きいのは見たことが有りません。
話は違いますが カラスウリの花って綺麗ですよね。
一度 手に入れて感動しました!
このオオカラスウリもカラスウリと同じように
西瓜のように色がくるのかしら?
そうなんです、私も見たときはビックリしました。
楕円形ではなくて丸いので・・・そして大きくて・・・。
カラスウリの花・・・見事なレースですね。
おそらく熟れてくれば、カラスウリと同じような橙色になるのでしょうね。