『万葉集』より先立つこと八年前に成った日本最初の漢詩集『懐風藻』。
中臣朝臣大島は漢詩人として『懐風藻』に漢詩作品2首が採録されています。
また、中臣朝臣大島という名は、奈良県桜井市・談山神社所蔵の「栗原寺三重塔伏鉢」(国宝)銘文に
草壁皇子のために粟原寺の建立を発願する人として出てきます。
山斎
大納言直大二中臣朝臣大島
宴飲遊山斎
遨遊臨野池
雲岸寒猨嘯
霧浦ダ(木偏に施の旁)聲悲
葉落山逾静
風涼琴益微
各得朝野趣
莫論攀桂期
宴飲 山斎に遊び
遨遊 野池に臨む
雲岸 寒猨(かんえん)嘯(うそぶ)き
霧浦 ダ声悲し
葉落ちて山いよいよ静かに
風涼しうして琴ますます微なり
おのおの朝野の趣きをえたり
攀桂(はんけい)の期を論ずるなかれ
〔酒宴を開いて、山荘に遊び、遊び楽しんで野池に臨んだ。
雲のかかる池の岸には秋の寒さの中、猿が啼き、霧がたつ池の浦には舟を漕ぐ舵の音が悲しく聞こえる。
木の葉が散って、山はいよいよ静かになり、吹く風は涼しく琴の音はますます冴えて微妙である。
朝廷や俗なる風趣を各々知ることができた。桂を手折る<官吏の登用試験>ような機会について、
もはや論ずる必要はない〕
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