いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

ダンスホール発祥の地・鶴見花月園

2008年06月05日 07時49分42秒 | シルバー社交ダンス風景
 大正9年(1920)3月中旬、鶴見花月園に日本で最初の本格的な営業用ダンスホール「花月園舞踏場」が開業し、日本最初のダンス専門の穴倉バンドの生演奏で舞踏会を開催した。
 当時、帝国ホテルや横浜のグランドホテルなどで毎週土曜・日曜日に舞踏会が開かれていたが、ほとんどが外国人のサークルで、出入りする日本人はごくわじかだった。
 欧州旅行でダンスは健康上も社交場も有益なものと感じ、「日本人も気軽に踊れる舞踏室を開場したい」と考えていた平岡廣高・静子自らが設計して、麦藁屋根の日本風の200坪の舞踏室を開場した。……
 谷崎潤一郎・久米正雄、佐藤春夫なども花月園のダンスホールにしばしば足を運んだ。……
 「花月園のダンスホールには淡谷のり子さんもよく踊りにきていた」……

 上記の記述は、「鶴見花月園秘話~東洋一の遊園地を創った平岡廣高~」著者斉藤美枝・発行鶴見区文化協会・平成19年12月28日発行本に記されている一文である。

 著者:斉藤美枝氏は、昨年横浜市南区浦舟での「自分史講座」の講師として担当され15人ほどが受講し、今でもその会は継続し斎藤先生に会場へ来ていただき指導を受けている。会の「自分史」を3冊作り出した。その斎藤先生から昨日、上記本が贈られてきたのである。
 5年の歳月を掛けて336頁にわたる本を纏め上げた。花月園を創った「平岡廣高氏」の人物の解明を主として膨大な資料を蒐集し纏めた鶴見区にとっては貴重な郷土本が出来上がった。
 私は毎日が社交ダンスで過ごしている身なので文中の表題「ダンスホールの発祥の地」に惹かれて、概略を記してみたものである。

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