水・土・日曜日、祝日に更新し、毎回4枚(群)の写真と撮影秘話を中心に、楽しかった思い出をお伝えしています。
9月1日、愛知県瀬戸市の「瀬戸市役所 ロビー」に置かれていた、「臼井薫写真展ーなつかしい瀬戸の風景ー」のパンフレットを見ました。
行こうと思った矢先に、3日から9日まで「心筋梗塞」で緊急入院・手術をしたので、16日に「心臓リハビリ」を兼ねて見に行きました。
パンフレットで臼井先生は「愛知県名古屋市で生まれ、お母さんが瀬戸市出身であり、弟の天地 茂(俳優)と共に瀬戸市で過ごした
こともあって、瀬戸市の山、町、老人、少年少女を問わず写し続けた」とのことで、2010年(平成22年)に逝去されたとのこと。
臼井先生の写真展は、
場 所:瀬戸市東茨町36番地の11
施設名:瀬戸信用金庫 アートギャラリー
開館日:9月2日(土)~10月1日(日)
時 間:午前10時~午後4時
休館日:月曜日・火曜日。ただし9月18日(月・祝)は開館、20日(水)は休館
※ 館内は「撮影禁止」となっています。なお常設展示の「北川民次展」も観ました。
瀬戸市役所で貰ったパンフレットです。
館内は「撮影禁止」なので、展示されている写真の雰囲気を味
わって下さい。
2階の多目的ルームには、陶芸作家の作品が展示されていますが、
ここも撮影禁止です。
館内の1階に「瀬戸信用金庫 アートギャラリー」や「瀬戸市の観光」に関するパンフレ
ットなどが置かれていました。
目に留まったのは、5枚目の写真の様に超有名な「藤井聡太7冠」の7枚の祝札?です。
※ 午前0時・・分・・秒、「ピィピィプー」の時報を待つかのような更新は、名付けて「忍者ブログ」と呼んでいます。
懐かしい感じの、モノクロ写真、l面白い記事が載っていますね、リアルタイムでは見た事はありませんが、紙芝居屋さんとか、大八車を二頭の犬が引いている姿には笑えますね、確かに牛や馬はちょっと敷居が高いから、身近な動物、犬なんでしょうね四つ足で引っ張る力も案外強いですからね。
街角のうどん屋さんみたいなお店は、ボクが子供の頃でもまだありました、うどん、中華そば、丼ものメニューが色々ありました、アルマイトの凹んだ様なでかいヤカンにお茶が入れてあった記憶があります。
いつも写真少年は瀬戸生まれ瀬戸育ち、瀬戸に暮らして他へ行ったことがありません。
幼小児の思い出せる風景よりも、もう少し古い様ですが、話に聞くよりも写真で見た方が生活感が伝わってきます。
瀬戸市に住んでいても、小学生の頃までは中心市街地へ行くのを「瀬戸へ行く」と言っていました。
母親と一緒に瀬戸へ行き、決まった「うどん屋(中華そば、丼ぶりもの物が美味しかった)」で食べたり、広場の下にある半地下の店を「地下街」と呼び、2軒あった焼きそば屋では「気に入った店」の焼きそを食べていました。
現在は、行きつけでない焼きそば屋が残っていて、近年で言う「瀬戸焼きそば」を食べることが出来ます。
今はアルマイトでなくアルミの「やかん」が置いてありますが、小学生の思い出に現れる店と同じ様な店構えです
「臼井 薫」先生はわたくしにとっても馴染み深い方でした。
臼井先生が営まれる写真店が、名古屋市上飯田にあって、よく知っていました。
弟さんの「天地 茂」さんは旧制中学(今の高校)の同級生で同じクラスでした。
終戦の翌年に卒業でしたが、卒業式には当時なかなか入手困難だったフイルムをたくさんもってきて、記念撮影してくれました。その臼井君が・・・・
臼井 薫先生は戦後、プロカメラマンとして活躍されるキッカケになったと思われる作品が「アサヒカメラ」に掲載されたときではないかと推測しています。
その作品とは、国鉄中央線、矢田川鉄橋の堤防付近で、橋脚にふたりのこどもをぶら下がらせて、その上をSLが通過するという迫力ある写真でした。
当時、この作品に対し、「こどもに危ないことやらすな・・・」といった批判がたくさん集まりました。
このことは鮮明に憶えています。
とっさー
オォー、天地 茂さんと同級生とは驚きました。
ネットで調べたら、天地 茂さんは、くも膜下出血により54歳でなくなったそうで、ニヒルな俳優の代表格でしたね。
臼井先生の写真教室に、アンダンテの元会員2名が在籍していたと思いますが、お金が沢~山いったとか。
今回は懐かしく、瀬戸市の風景などを観させていただきました