(つづき)
博多駅前A乗り場の「エアポートバス」。
行先表示にも車体にも「AIRPORT BUS」とあるものの、空港には行かず。
空港からやってきたことは確かなのですが。
外国人の方が、空港に行くか?を尋ねる場面もたまに目にする。
行先表示の部分に「空港には行きません」という表示を出してみては?とも思うのだが、それもなんだか高度な自己否定というか、シュールな光景になってしまいそう。
空港行きは乗車のみ、空港発は降車のみ、ということであれば、空港発を「AIRPORT BUS」として運行しても特に支障はなさそうだが、この「AIRPORT BUS」は全区間で途中乗降が可能なため、“空港に行けないエアポートバス”が市街地を走る事態が生まれている。
なお、この「AIRPORT BUS」、渡辺通りを早々に切り上げて、バスターミナルの建物内で終点となるため、博多駅→天神を他のバスよりも速く移動できるというメリットがあったりすることから、途中乗降が可能なこと自体を問題視するつもりはありません。
2016年の春に「A」という行先番号から「AIRPORT BUS」に変更になった際の記事で、
“空港に向かう局面では別に「AIRPORT BUS」でよいと思うのだが、反対方向では、一旦空港を出てしまうと、「AIRPORT BUS」を敢えて掲げるのもいかがのものかという気も。
現在のような、空港の意味を含んだ記号(A)でとどめておいたほうがよかったのではないか、とも思う。
ただ、このタイミングでの変更の背景には、例えば、6月から運行予定の「連接バス」で、外回りを「A」、内回りを「B」とするような計画があったりするのかもしれない”
と書いていたのだが、その後、連節バスで「A」「B」が用いられることはなかった。
なお、福岡市都心部と福岡空港国際線ターミナルを結ぶ路線は、2005年春に一度廃止となり、2010年年末~2011年年始限定で復活し、2011年2月にゴールデンウィークまでの期間限定で再度復活したものの予定前倒しで運行終了し、2012年5月にまた復活し、2013年3月からは天神に延び「A」となり、2016年3月には「A」から「AIRPORT BUS」に変更となって、現在に至っている。
(つづく)
(つづき)
「23番」。
郊外行きは、三苫駅行き、大蔵行き、高美台一丁目行き、香椎花園行き、香椎花園(牧の鼻循環)行き、下原行き、反対方向はこれに加えて新宮緑ケ浜発…と、いろんなところに向かい、そしていろんなところからやってくるものの、全て「23番」。
かつてはさらに、香椎宮、香椎台(サニータウン)、城浜団地、香椎浜、箱崎ふ頭も「23番」でした。
天神中央郵便局前の乗り場も、三苫駅、大蔵、高美台行きは18A、それ以外は18Bと乗り場が分かれていても、全て「23番」(枝番が付いた「23-1番」「23-2番」は18C乗り場と、さらに分かれている)。
「23番」という番号に対するの“本線意識”については、こちらの記事などで触れました。
冒頭の画像は、天神における表示。
「23」の横に「ゆめタウン博多前」などと表示すると親切だと思うのだが、ゆめタウン博多側が乗ってこないのでしょうか。
既に昭和通りを走っているのだから「昭和通」の表示は余計では?と相変わらず思います。
(つづく)
(つづき)
平成30年の1月、ということで「301番」。
あけましておめでとうございます。
初代の「301番」は、野方が起点で、「橋本経由か拾六町団地経由か」「外回り(駅東ランプ→博多駅→天神→天神北ランプ)か内回り(天神北ランプ→天神→博多駅→駅東ランプ)か」という組み合わせを有する路線だったが短命に終わっている。
「301番」とともに誕生した「300番」に名柄団地経由に加えマリナタウン経由ができてしばらくして、マリナタウン経由独自の番号として与えられたのが現在の「301番」。
その後、マリノアシティ行きの「303番」ができたことで、「300番」でしか行けない場所というのが(ほぼ)なくなったことから、「300番」は大きく本数を減らし、現在は「300番」と「301番」では「301番」のほうがメインのような扱いになっている。
なお、現在の「4番」も、あとからやってきてメインの座に居座った路線である。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
書きたいことはたくさん頭の中にあるのですが、ちゃんと記事を書き始めるところまではなかなかいきません…。
行先番号についてひたすら語るシリーズは、何の元手もなくできて、かつ、現実逃避にはもってこいなので、しばらく続けるかもしれませんが(笑)。
(つづく)
(つづき)
「16番」。
郊外と都心を結ぶ路線だが天神には行かず、かつ、その番号しか走らないオリジナル区間を途中に持っている、という点で、
“東の73番、西の16番”
と昔から言われている…かは知りません。
なお、「16番」のオリジナル区間には現在、土日祝日のみ、期間限定で「外環3番」…ではなく「外環2番」が運行中。
「16番」は、油山観光道路が全通した際に「別府橋、田島、友泉第二(現在の友丘)経由」から、「笹丘、島廻橋経由」に変更となっている。
都心と郊外を結ぶ路線のうち、天神を通る路線は、観光道路経由になった「13番」と、観光道路経由にならなかった(なれなかった)「12番」の2つが併存する一方、天神を通らない「16番」は、観光道路を通りかつ福大にも行く、という感じで“一つにまとめられた感”があり、「天神と博多駅のプレゼンスの差」みたいなものを当時感じたものでした。
都心行きでみると、「17番」が扇町・沖学園前、「18番」が県庁、「11番」や「19番」が中央ふ頭…と、他の、西部(南部)と博多駅を城南線経由で結ぶ路線が、「博多駅より先」に足を延ばすのに対し、「16番」はずっと「博多駅で終点」を守り続けている路線でもある(博多駅より先に行かない路線は「16番」以外にもあり、また、城南線経由の便はかつて博多駅の一つ先の「駅前一丁目」が起終点だったこともありますが)。
来年1月4日「37-1番」が新設される背景には、年金機構の事務所が榎田に移転することがあるというコメントをいただきました(ありがとうございます!)。
博多駅から福岡空港方面に行く路線で、朝8時台(夕方は反対方向)の便の多くが榎田町経由の「37-1番」に振り替えられることで、通勤で、博多駅と東光二丁目~豊二丁目の間を利用されている方に影響が出そうである。
「博多駅より先」に行ったことがない「16番」を、朝夕に「片江営業所~博多駅~豊二丁目~二又瀬」みたいなルートで運行してみてもよさそう(博多駅~二又瀬間は「73番」で運行したほうがよいでしょうか)。
(つづく)
(つづき)
「140番」…、とどこにも表記がないが、たしかに「140番」。
片江営業所行きが基本であるところに、このバスは途中の福大病院までの運行であるため、その注意喚起を重視した表示。
「140」という数字は、茶山線の幹線(であった)「14番」の末尾に0を付けたもの。
基本となる数字の末尾に0を付けた番号「170番」「210番」「220番」「230番」「240番」「270番」「310番」「370番」「390番」「400番」「410番」「420番」「610番」「620番」「630番」は、“基本となる路線の都市高速経由版”という位置付けだが、「140番」は都市高速を通らない例外的な存在(海老津の糠塚循環線「60番」も都市高速は通りませんでした)。
なお、「420番」「630番」のベースは「42番」「63番」ではなく、それぞれ「410番」、「610番」「620番」の“次”として与えられた番号(「220番」にも、そういう側面があり)。
ちなみに、「200番」「300番」「500番」「510番」「530番」は、末尾に0を付けた番号ではなく、200番台、300番台、500番台という体系の中に属する番号。
また、都心部を循環する「100番」は、「100円」という運賃から付いた番号。
都市高速経由ではない路線に、末尾に0を付けた「140番」という番号が付いたのは、過去の記事で、
“「14番」は、「140番」の新設の際に、大きく本数を減らした訳だが、「140番」の新設というのは、実質的には「14番」の経路変更(今泉経由→明治通り経由)だったということができるだろう。
実際、「13番」と「113番」の関係からいえば、現在の「140番」は「14番」のほうがしっくりいくはずであり、現在わずかに残っている「14番」は「114番」の一部としたほうが自然だと思う。
ただ、地下鉄に対抗するためには利用客の目を惹きつける必要があり、「既存路線の経路変更」よりは「全く新しい路線の登場」としたほうがキャッチーだったのだろう”
と書いたように、地下鉄七隈線開業を控え、西鉄バスが抱いていた危機感や、地下鉄への対抗心が背景にあったと言える。
対抗心から生まれた路線ではあったものの、現状は、ピークの頃と比較して8割も本数が減ってしまっている。
西鉄バスの行先番号は、単に“雑然としたものを整理するために1から番号を付けた”訳でなく、「意味」や、そして時には「気持ち」が込められているところが面白い。
面白いと思っている人がどれだけ居るかというのは別問題ですが(笑)。
(つづく)
(つづき)
「61番」。
頭に1を付けた「161番」、末尾に0を付けた「610番」という子分を従えた親分的な位置にある。
同様に、頭に1を付けた「114番」、末尾に0を付けた「140番」という子分を擁する「14番」は、現状では親分的な位置付けとは言い難い。
「61番」は、片江営業所行き、福大病院行きがなくなって久しいものの、那珂川営業所行きに2ルート(今立経由と現人橋経由)、九州がんセンター行き、若久団地行き、若久団地第三行きと、多様な行先を抱えていて、相対的な“枝番発生圧力”は高そうであり、そうなると、子分がまた増えることとなる。
また「61番」は、都心方面行きも、昔から、九大前行き、那の津四丁目行き、西公園下行きと、天神から先で全く違う方向に向かうバリエーションを持っていた(西公園下行きは福浜行きとなり、現在は「68-1番」として運行)。
“同じ番号なのに、天神から全く違う場所に連れていかれる”ことの問題点は、15年前、10年前にもまとめていたところだが、バスの行先表示のLED化の進展とともに、2008年、2009年、2011年などの改正で、「都心から先」の部分での番号統一が行われ、“同じ番号なのに、天神から全く違う場所に連れていかれる”リスクはだいぶん軽減している。
こう考えると、行先番号統一の流れにおいて、「61番」が果たした役割は大きかったと言えるのかも。
(つづく)
(つづき)
「78番」。
そして「77番」。
経由地がぎっしり詰め込まれていて、同じ70番台でも「74番」や「72C」の表示とはえらい違い。
「77番」と「78番」、そして「79番」の運行開始は2011年の春。
“都心から一般道路経由で多々良、土井方面に向かう路線”の再編の中で登場した路線である。
行先表示の横書き部分、「多の津」か「流通センター」かが、「77番」と「78番」の違い。
ただ、「多の津経由か流通センター経由か」以外にも、“都心から一般道路経由で多々良、土井方面に向かう路線”には、「東区役所経由か県庁経由か」「原土井病院経由か名子経由か」というルートのチョイスがあって、理論的には2×2×2で8通りの組み合わせが可能となる。
実際には、現在は、このような経由地と番号の対応で運行されている(あくまで概念図であり、路線図ではありません。確認せずに書いているため誤りがあるかもしれません)。
こうやって見ると、“「78番」に名子経由があること”が、無駄に事を複雑にしている原因であることがわかる(かもしれない)。
「名子」と「みどりが丘団地入口」は実質的には同じ場所である問題、とか、時刻表に「みどり丘団地」行きと案内されていながら「みどりが丘団地」には行かない便がある問題とか、事を複雑にしている要因はまだまだあるわけですが(笑)。
(つづく)
(つづき)
「200番」。
「200番」は、200番台の中で一番若い数字だが、登場したのは意外にも(?)、「201番」~「205番」より後。
“「にひゃくなんばん」というのは、当初、202号バイパス(当時)を走るバスという意味で付けられたと思われる”
と、過去の記事で触れたが、「200番」登場にタイムラグがあったのは、早良街道沿線と都心を国体道路経由で結ぶ役割を「93番」が既に担っていたことが原因(「93番」と比較して、「91番」と「92番」が200番台のルートとの重複が少なかった、という言い方もできるかもしれません)。
200番台は、当初、都心から202号バイパス(当時)経由で原から先に向かう路線に対して1から4を割り振ったと思われ、荒江四角から分岐する路線のことは想定していなかったと思われる。
200番台登場からしばらく経って、90番台の役割変化に際して、「200番」がたまたま空いていたので早良街道~国体道路~都心の路線に「200番」という番号が付いたと考えられる。
10番台が空いていなかったので(当時)、仕方なく登場した「214番」という番号とは対照的。
200番台新設の際、「1から」ではなく「0から」番号を割り振っていたら、その後の展開は全く違うものになっていたかもしれない。
森林都市線で青葉台入口行きが「8番」であることについての考察も参照。
ここまで読んで何のことだか全くわからないかもしれませんが、要は「行先番号は生き物である」ということです(笑)。
なお、「200番」の登場は、「206番」「208番」「209番」よりは前である(「206番」の登場、「208番」の新設は、このブログでリアルタイムで取り上げています)。
ちなみに「200番」は、現在は数多く走る「郊外~都心~タワー」というルートを辿る路線の第一号でもあります。
(つづく)
(つづき)
「113番」。
市内急行の流れを汲む番号。
市内急行の第一号「105番」と、その後に登場した「101番」「103番」などは、先行して登場していた200番台の路線をベースとした番号だった。
一方で、「113番」のベースは200番台ではなく、「13番」。
その後の「153番」(現在の「151番」「152番」)、「114番」「161番」「162番」も、ベースとなる番号の頭に「1」を付けたもの。
「139番」も、「39」の頭に「1」を付けたものだが、市内急行とは直接的な関係はなし(「39」にアルファベットを付けた「39B」も都市高速を通らず、これも例外的な存在)。
「113番」は、ベースとなる「13番」とのルートの違いが比較的際立っていたため(「13番」が城内経由で「113番」が国体道路経由。城内経由、って普通に言ってますが、城内というバス停はもうないんでした)、後に各停便ができ、結果、“「1」から始まる3桁番号は速達便である”(あくまで福岡市内で)という前提は崩れている。
また、速達便も現在は「急行」ではなく「快速」として運行されている。
「100円循環バス」が「100番」だと捉えると、「100円循環バス」の登場時点で、既に前提は崩れているのかもしれません。
なお、「120番台」には、幸い(?)まだ手が付けられていないので、アイランドシティ営業所開設に伴う既存路線の整理や路線新設の際には使えるかもしれません。
(つづく)
(つづき)
「27番」。
・都市高速を通る「27B」「27N」が現在の主流で、アルファベットが付かないもの(一般道路経由)は少数派。
・全便が都市高速経由の「28B」と違い、一般道路経由が存在するのは、「広義のエコルライナー」の側面もありそう。
・経由地はかつてのサニータウン、パークシティ。
・都市高速を通らないばっかりに(?)、香椎参道から郊外向けでは青葉小経由か香椎東小経由かが番号から判別できない(「27番」は青葉小経由)。
・「23番」の香椎宮行きがルーツ。
・篠栗駅~みどりが丘団地入口の区間便「無番」は、なぜ「27番」ではダメなのか。
・渋滞の難所(踏切、鳥居など)を避け、反対側から都心に出るルートも考えられるのではないか。
…など、いろんな論点(?)を含む路線。
(つづく)
(つづき)
「302番 のこ渡船場行き」
「302番」は、天神北ランプ~百道ランプ間で都市高速道路を走行する。
「307番」も同じく天神北ランプ~百道ランプ間で都市高速を走行するが、「307番」を掲げて走る区間が限られているため、目にする機会は他の300番台に比べて少ない。
ちなみに300番台の他の路線は、
「300番」「301番」「303番」は、天神北ランプ~西公園ランプ
「304番」は、天神北ランプ~愛宕ランプ
「305番」は、天神北ランプ~西公園ランプ
「306番」は、呉服町ランプ~西公園ランプ
「312番」は、呉服町ランプ~百道ランプ
の間で都市高速を通る。
また、
「310番」は、呉服町ランプ~粕屋ランプ
「370番」「390番」は千代ランプ~月隈ランプ
で都市高速を通って、他の300番台とは全く違う場所に向かう。
「302番」と「312番」は、郊外側がともに百道ランプ、都心側が「302番」が天神北ランプ、「312番」が呉服町ランプであり、真ん中の数字「0」と「1」で、都心側のランプの違いを表している。
500番台の「504番」と「514番」、「505番」と「515番」でも、同様のことが言える(郊外側が姪浜、都心側が天神北か呉服町)。
この考えに基づけば、「306番」は「315番」でないといけないのだが、実際はそうなっていない。
利用する両端のランプを、行先番号でを識別できればいいのになぁ…ということを考えたことがある人は私以外にもいるかもしれない。
でも、あれこれ考えてみて、結局良い答えがみつからなかった人も、私以外にもいるかもしれない(笑)。
留学生会館前で天神方面行きのバス(香椎浜or名島?~呉服町or天神北?)を待っているときや、砂津で門司方面行きのバス(原町or社ノ木二丁目?、海岸or山手?)を待っているときにも、同様の思いを抱く。
まあ、「310番」「370番」「390番」が300番台として存在している時点で、都心~百道浜・愛宕浜地区の路線に300番台を用いて“何らかの法則に従って番号を付ける”ことは不可能なのかも。
そう考えると、「W1」「W2」という番号は、根本的な解決にはなっていないものの、なかなか良い番号の付け方だったと言えるのかもしれません。
時刻表では「能古渡船場」だが、LEDでは「のこ渡船場」。
「むろみ団地」は「室住団地」との見間違い防止、「こもの」は難読(薦野)だから?と推定されるが、方向幕の時代から「のこ渡船場」という表記が用いられているのは慣例的なものでしょうか。
「のこ」。
(つづく)
(つづき)
「210番」。
・福岡市東区の人工島「アイランドシティ」に一番最初に乗り入れた路線だが、運行開始当時は、人工島はただの更地であり、一つもバス停がなかった。
・雁の巣~奈多地区から従来とは逆の方向で都心に出られるようになった。
・経由地として「アイランドシティ」と表示されているものの「アイランドシティ照葉」には停車しない。
・「21」の末尾に「0」を付けて「210」だが、西部地区の法則を適用すると「210」は「早良営業所~荒江四角~六本松~城南線~博多駅」というルートになる。
…など、いろんな論点(?)を含む路線である。
(つづく)
(つづく)
♪県庁、巴町、月見町、利用は好調?それとも不調?♪
バス停ラップという音楽のジャンルがあれば、きっと真っ先に採用されるであろう美しい脚韻の並び。
経由地として「巴町」が出てくるのは、月見町行きに九大前経由があった時代(2010年春まで)の名残り。
2008年当時の記事では、
“「1番」の月見町系統には「九大前経由」と「巴町経由」の二種類がある。
もともと「1番」に月見町行きができた当初は、「九大前経由」と「箱崎駅経由」という分類であった。
その後、箱崎駅の北への移動により、それまでの「箱崎駅前」が「箱崎一丁目」に名称変更となったことで、「箱崎駅経由」と呼ぶことが適当ではなくなったため、方向幕の経由地の「箱崎駅」という文字は消され、そこに何らかの文字が書かれることはなく、不自然な空白ができるようになった。
もとの「箱崎駅経由」は、「馬出経由」「箱崎一丁目経由」「巴町経由」など、いろいろな呼び方がなされるようになったが、時が経つにつれ「巴町経由」という呼び方に徐々に一本化され、方向幕の空白部分にも手書きのような文字で「巴町」が入るようになった(現在のLEDの行先表示では「巴町」を四角で囲んで強調している)。
ただ「巴町」というのは昔の町名であり、さほどメジャーな地名とは思えないので、経由地としての「格」は劣るような気もする。
箱崎駅の東口にある「前川町」を「箱崎駅東口」に改称して、「巴町経由」改め「箱崎駅東口経由」としたほうが、「九大前経由」との対比もはっきりするような気がするのだがいかがだろうか…”
と書いていたが、「前川町の箱崎駅東口への改称」は、記事を書いた4ヶ月後に現実のものとなっている。
「九大前経由」がなくなった現在では、
“「71番」の月見町行きは、依然、「1番」の時代から引き続いて経由地として「巴町」を表示している。
「巴町経由」というのは、「1番」の月見町行きに「九大前経由」と「巴町経由」があった名残りであり、「九大前経由」との対比で初めて“活きる”経由地といえる。
現状は、「71番」と同じく明治通りから箱崎駅方面に向かう「77番」「78番」なども「巴町」を通る訳なので、「71番」だけ「巴町経由」と表示しても他の路線との違い(「77番」「78番」が警察本部前→吉塚駅前→吉塚営業所→巴町で、「71番」が警察本部前→馬出→吉塚営業所→巴町)は何も伝わらない。
ただ、これまでの利用者に対して、“「1番」→「20番」→「71番」と番号は変わっても、月見町までのルートは何も変わっていませんよ!”という、継続性を伝えるという意味では有効なのかな、という気もしている”
と、2011年の記事で書いたように、経由地として「巴町」を採用する意味も薄れているのだが、できれば残ってほしい経由地表示ではある。
(つづく)
(つづき)
わざわざ“終点”と表記しているのは、イオンモール福岡が終点じゃなくて、その先まで行くはず!という認識の人が少なからず居るため。
“天神”はなくて大丈夫ですか?
小笹→福岡タワーの飛躍が好き。
タワーから来てこういうパターンは今のところなし。
ご乗車できませんが、バス停には停まります。
ルート全体を見渡して、重要な経由地を3つ選べ、と言われて“桧原三角”が選ばれることは一般的には稀な気が。
大橋駅への特急停車でバスはどう変わる??
これも見られなくなるんですかね。
(つづく)
(つづき)
「68-1番」福大若葉高校経由福浜行き。
こう見ると、「61番」福浜行きが「68-1番」へと変更になった背景には、福大若葉高校側の意向も少なからずあったのかなぁなどと推測。
筑豊の主要都市、飯塚市、田川市に向かう路線だが、「飯塚」「田川」の文字は一切出てこず。
“天神を走るバスの行先表示に名前が出ることのメリット”というものを、各方面がもっと考えてもよい気がします。
(つづく)