悪いことをした時、なんといって叱られましたか?

2005年08月20日 | 歴史教育

私は、最初に自己紹介したとおり、著述業者です。といってももちろん、文章を書いているだけではなく、講演・講義、それから心理学のワークショップ(参加体験学習)を行なったり、関連するいろいろな仕事をしています。

 特に心に関する話をする機会が多いのですが、十数年前から私と同世代以上の年齢の方々から、質問とも感想ともつかない言い方で、「どうして日本はこんなふうになってしまったんでしょうね」といった言葉を聞くことが多くなりました。

 それは、いわゆる団塊の世代以上の人のかなり多数が、どうも日本人の心が荒廃してきているようで、それを象徴するような様々な事件が起こっている、と感じているということを意味しているようです。

(「感じている」ということと、事実そうかどうかということは別ですが、ここではその議論には立ち入らないことにします。)

 それに対して、当初は私も「どうしてなんでしょうね」と答え、やや思いつき的な考えを述べていたのですが、それでは物書き・講演者として仕事になりませんから、ちゃんと説得力のある答えができるようにいろいろ調べたり、分析したりするようになりました。


 そんな中で、ふと思いついたことがありました。

 最近荒廃しているのなら、かつては今よりは荒廃していなかった、つまり、かつては人の心は今ほど悪くなかったということになる。

 では、かつて日本人は、どういうふうにして「悪いことをしてはいけない(いいことをすべきだ)」ということを学んでいたのだろう? 〔親の側からいえば〕教えていたのだろう? なぜそれがうまくいっていたのだろう?

 そこで、講演・講義で機会があるごとに、参加者の方に聞き取り調査をしました。

 「小さい頃、悪いことをした時、なんといって叱られましたか?」と。

 善悪の教え方の背後には、当然のことですが、特定の価値観・世界観があります。かつての子どもの叱り方には、かつての日本人の価値観・世界観が必ず反映しているはずだ、と予想したのです。

 この聞き取り調査は、もう十年以上続けていますが、どの会場でも、みごとに典型的にいくつかの答えが返ってきます。

 話の先を急ぐより、一緒に考えていただいたほうがいいと思いますので、答えは次回にしたいと思います。ぜひ、みなさんも、推測したり、ご自分のことを振り返ったりしてみてください。
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死んだらご先祖さまになる?

2005年08月20日 | 心の教育

 お盆でかみさんの実家に帰省し、お墓参りをし、迎え火を焚いて、ご先祖さまを迎え、朝に夕に仏壇にお線香をあげて手を合わせて、般若心経も心を込めて唱えてきました。

 迎え火を焚きながら、親戚の子供たちと花火を楽しみ、日本人にとってお盆はたんなる長期夏季休暇ではないことを、改めて感じてきました。

 お盆明け、終戦(正確には敗戦)記念日です。

 自由課題に取り組んだ人はいますか? 後の質問、日本人はかつて「人間は死んだらご先祖さま・祖霊になる」と信じていた、とはっきり答えることのできた人は何人くらいいるでしょう?

 日本は敗戦を境に、人生観、価値観、世界観について、180度といってもいいくらいの大変革をしました(正確にはさせられてせざるをえなくてしたのです)。

 「死んだら先祖になる」と「死んだら〔意味上は〕無になる」、「死んだら〔物質的には〕灰になる」という死生観が、まるで正反対であることはおわかりになりますね?

 敗戦前、そうとう多数の日本人(特に庶民)は、霊魂を信じており、死んだ後の世界があると思っており、死んだらすべて終わりではなく、「先祖になる」と考えていたのです。

 どのような歴史的なプロセスで、日本人は変わったのか、次回から少しずつ講義を進めていきますが、ここで一言学生にいうのと同じコメントをさせてください。

 これから話していくことには、途中で「この人、右翼なんじゃないの」とか、逆に「左翼なんじゃないの」と思われるような点があると思います。

 しかし本人は、右・保守派・伝統主義者でも、左・革新・進歩主義者でも、さらにいわゆる中道でもないと思っています。そしてそれらの妥当なところはすべて含みながら、その限界を超えたいというのが意図であり、本人の主観では超えているつもりなのです。

 できれば、途中で反応しないで、最後まで話を聞いていただけると幸いです。
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死んだらどうなると思っていますか?

2005年08月20日 | Weblog
現代の若者への「ビッグ・クエスチョン」アンケートの回答の続きです。

 4の「人生は自分のものか?」、5の「自分がいちばん大事か?」という問いに対しては、70%前後が、「当然そう思う」といった答えをしています。

 なかには、「どこがいけないんですか? 当然でしょう? 先生だってそうでしょう?」という反発風な答えもありました。

 そして、6~9に対しては、パーセント表示が難しいくらいばらつきがありますが、7に対しては「人生は自分が楽しむためにある」、8に対しては「あると思うが、まだわからない」、「これから考えたい」、「だからこそ、この授業を取った」といったものが目立ちました。

 そしてさらに、「人生には意味などない」と考えている若者の数も少なくないようです。

 10の「死んだらどうなるか?」という問いに対しては、2年前までは典型的に「無になる」、「灰になる」、「土になる」、「自然に還る」といったものが90%ほどを占めていました。

 後は、「天国に行く」、「天国か地獄に行く」、「転生する」、「魂が残る」といった死後の生を信じている(というより「信じたい」)という回答が10%以下、さらに若干、「わからない」と「親しい人の記憶に残る」といったものがありました。

 (ここ2年傾向が変わってきていますが、その報告はまた別の機会にしましょう。)

 ここで、自由課題を。「あなたは、人間は死んだらどうなると思っていますか?」、「かつて日本人は、人間は死んだらどうなると思っていたと思いますか?」。

 よかったら、ご自分の考えをまとめてみてください。
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若者たちが危うい?

2005年08月20日 | Weblog
 大学に教えに行くようになって、集中講義で7年目、毎週の授業もするようになって5年目、北は青森、南は香川、そして東京と、合わせて4大学5学部で教えていますが、一言でいうと「若者たちが危うい」と感じています。

 その「感じ」が主観的なものかそれとも客観性のあるものかを確かめるために、ある時からアンケート調査を始めました。アンケートは少しずつ改訂していますが、その最新版が、前回掲載したものです。

 アンケートを重ねた結果として、やはり現代日本の若者たちはかなり危うい――正確にいえばその割合が高い――ということがきわめて確実にわかってきました。

 まず、2と3の質問に対して、スケール4以下の答えがきわめて多いのです。それはつまり、「自分が好きではない」、「自分に自信がない」と感じている若者が驚くほど多いということでしょう。

 「自分が好きか」という問いへの答えのほうがいくらかましですが、「自信がない」という答え(4以下)は、なんと最悪の場合は90%、最善でも70%くらいになるのです。

 ブログを見てくださっているみなさん、この数値、どう思われますか? 信じられますか? 何かデータの取り方に偏りがあるんじゃないか? と思われますか。よかったら、ぜひ、ご意見を聞かせてください。
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最初のアンケート

2005年08月20日 | Weblog

「帰れコール」を終えて、本気でやる気になった学生が残ると、よく言われる「授業崩壊」のような状況はまったくなくなります。

 そこで、本格的に始める授業の最初に、次のような最初のアンケートを行ないます。

     ○○大学○○学部  2005  授業アンケート1
     学年学科    学籍番号     氏名          性別

1.今、人生の充実度はどのくらいですか? 1から10のスケールで表現してみてください。

2.自分のことを好きだと思っていますか? 1から10までのスケールで表現してください。

3.自分に自信はありますか? 1から10までのスケールで表現してください。

4.自分の人生は自分のものだ、と思いますか? その考えについての確信度はど のくらいですか。1から10までのスケールで表現してください。

5.人間は結局自分がいちばん大事だと思うものだ、と思いますか? その考えについての確信度を1から10までのスケールで表現してください。

6.自分が生まれてきたのは偶然だと思いますか? あるいは何か必然性があると 思いますか? その考えについての確信度を1から10までのスケールで表現してください。

7.人生は、何のためにあると考えていますか? その考えについての確信度を1から10までのスケールで表現してください。

8.人生には、意味があると思いますか? あるとしたら、どんな意味だと思って いますか? その考えについての確信度を1から10までのスケールで表現してください。

9.人生でこれだけは実現しようと思っている目標はありますか? あるとしたら、何ですか? 実現への決心の程度はどのくらいですか。1から10までのス ケールで表現してください。

10.人間は死んだらどうなると思っていますか? その考えについての確信度を1から10までのスケールで表現してください。

 上記のような問いを、英語で「ビッグ・クエスチョン(Big questions)」といいます。自分の人生観や世界観に関するとても大きな問いということですね。

 あなたは、こういうビッグ・クエスチョンにどういう答えを書きますか? できれば、ただ読んで頭のなかでなんとなく考えるのではなく、実際に紙などに書き出してみてください。

 ぼんやりとしていた自分の人生観や世界観が少しはっきりしてくるでしょう。

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前宣伝

2005年08月20日 | 心の教育

 さて、この授業は、本気で受けたら、たぶんあなたの人生観・世界観を180度変えることになると思います。

 実際の授業では、最初の2回ほどを費やして、本気じゃない――その結果、授業中におしゃべりをする、携帯をする、メールをする、ものを食べる等々のことをやりそうな――学生には、かなりきつく、「僕は本気でやってるから、本気じゃないやつと一緒にいるのはいやなんだ。幸いにしてこの科目は選択で必修じゃないんだから、取るのはやめなさい。帰っていいよ」と言います。
 これは、毎年やっていて、「帰れコール」と呼んでいます。

 しかしブログは、ごく気軽に読んでもらうことができる媒体ですから、もちろん気軽にやってもらってかまいません。

 さて、元にもどると、つまりあなたは、落ち込んでいる→元気、自信がない→自信がある、むなしい→世界が輝いて見える、というふうに変わることになるでしょう。

 そういう人は、あまりいないでしょうが、もし変わりたくなかったら、もちろんあなたの自由です。元気になりたくなるまでは、落ち込んでいてもいいんです。

 「半年か一年たったら、きみはまるで変わるよ」と予告すると、相当多数の学生が「そんなー」と思うようですが、半年後、相当多数の学生が「そんなーと思いましたが、先生の言ったとおりになりました」と感想を書いてくれます。

 では、よかったら半信半疑、どころか3信7疑くらいの感じで、続けて読んでみてください。
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自己紹介

2005年08月20日 | 心の教育
 今日から公開授業を始めます。

 始めに簡単な自己紹介をします。

 僕は、税法上は自営業者・著述業者です。いわゆる「物書き」の端くれですね。

 その他、いくつかの大学で非常勤講師もしています。

 大学で若者たちと接していると(アンケート調査も行なっています)、今の日本の若者――僕が接したかぎりでは――のおどろくほど多数が、元気がない、自信がない、生きてる意味がわからない、自分なんか生きていても死んでもおんなじだという気がする、よく死にたいと思う……と言っていることがわかります。

 それに対して僕は、なんとか、元気が出る、自信が湧いてくる、生きてる意味がわかる、生きてるって素敵だ、と思えるようになる授業をしようと努力してきました。

 そして、自分としては、かなり成功していると思っています。

 授業を受けて元気になった学生たちの強い要望もあって、今日から少しずつ、その授業の内容を公開しようと思っています。

 よかったら、あなたも公開授業に参加してみてください。

 ま、時々タイトルに関係のない+アルファのことも書いたりするとは思いますけどね。
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