アメリカの言論統制について

2005年08月26日 | 歴史教育

 GHQ=アメリカ占領軍司令部の行なった「情報操作」の第1は「言論統制」です。

 私たち戦後世代以降は、終戦後、アメリカは日本に「自由」(「言論の自由」を含む「民主主義」)をもたらしてくれた(だから、負けてよかったんだ。だから、「敗戦」とマイナスに思う必要はなく、「終戦」とプラスに捉えればいいんだ)、というふうなイメージを与えられていると思います。

 私自身、小学校低学年つまり戦後間もなく、学校の先生が実にうれしそうな顔をして、「きみたち、いい時代になったんだよ。人に迷惑さえかけなければ、自分の好きなように生きていいんだよ」というのを聞かされた覚えがあります。

 が、歴史的事実としては、GHQはまず約三年半にわたって徹底的な言論統制・検閲を行なったのだそうです(前掲、江藤淳『閉ざされた言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫、参照)。

 それは、検閲を行なっているという事実そのものも知らせないという、歴史に類のない検閲だったといいます。

 例えば戦前の日本では、検閲された文書には、検閲されたことが明らかにわかる××、○○などの「伏せ字」があって、そこに何が書いてあったかわかる人には十分わかるような検閲でした。

 ところが占領軍の検閲は、検閲した跡が残らないように完全に修正したものしか発表、出版させないし、検閲されていることは報道させない。その結果一般の人は検閲されているとは思わない、という徹底したものでした。

 さらにその結果現在にいたるまで、一般の人(私もそうでした)は、「アメリカは日本に言論の自由を与えてくれた」と思っており、「一定期間、徹底的に検閲・言論統制された」とは、夢にも思っていないのです。

 しかし事実は、検閲を通して、大東亜戦争に関する自己弁護はいうまでもなく、戦前の伝統的な価値観つまり日本の伝統的なコスモロジーを評価・肯定するような発言も、完全に抑圧されたのです。

 絶えず検閲されていると、どういうことを書くと出せなくなり、どう書いておけば出せるかが飲み込めてきます。

 検閲され没にされてしまうと、大変な時間と費用の損失になりますから、そうならないよう絶えずあらかじめ自己チェックするところまでいくと、やがて、それは無意識の条件づけになってしまいます。

 そして、そういう統制の原理はやがて言論人にとって無意識のタブーになり、あたかも最初から自分もそう考えていたかのような気にさせられたのだ、と江藤氏はいっています

 そして少しでも伝統的な価値観を再評価するような主張を見ると、すぐに「右傾化の危険がある」と、始めから自分の考えであるかのように反応するようになった、というのです。

 こういう無意識的反応は、今でも進歩的知識人のほとんどに見られ、私の最近の主張など、一言いい始めても最後まで聞いてもらえず、即座に「それは危ないぞ」と反応されたりします。

 アメリカのマインド・コントロール、条件づけの永続的な効果たるや恐るべきものです。60年経っても効いているんですからね。

 そして心理学的に見たマインド・コントロールの特徴は、「マインド・コントロールされている人は、自分ではされていると思っていない。自分でそう考えているのだと思い込んでいる」ということですが、少し前までの私も含め日本人は、60年もアメリカのマインド・コントロール下にあることを自覚していないのです。

 このようにして、コスモロジー学習のために決定的に必要な情報源の1つ・報道機関から、日本のコスモロジーはみごとに剥奪されました。

 付け加えておくと、この言論操作がみごとなのは、3年半やればアメリカの望む世論を形成するに必要な程度の質量の言論関係者が条件づけられるので、後は「自由」にしても、彼らの間ではアメリカが教え込んだ枠の範囲内で「自主規制」が作動していくことまで見抜いていたらしい、という点です。

 そうなれば、大勢に影響のない範囲で、完全な「言論の自由」があるかのように、戦前的・極右的発言も極左的発言も放置しておいてもかまわなくなるわけです。

 もう一度。アメリカのマインド・コントロールの意図と効果は実に恐るべきものです。
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コスモロジー学習の情報源

2005年08月26日 | 心の教育

 生まれたばかりの人間の赤ちゃんはとても無力です。できることといえば、泣くこととおっぱいを吸うことくらいです。しかも、おっぱいも口のそばにもってきてもらって初めて吸うことができるのです。

 しかし、赤ちゃんの無力さは同時に柔軟さでもあります。専門用語では「可塑性(かそせい)」といいます。特定の本能的な能力で固まっておらず、教育によって驚くほどいろいろな能力を学習することができるのです。

 赤ちゃんの可塑性は大変なもので、ほとんどどうにでも形作ることができるといってもいいくらいです。

 ですから、よく挙げられる例ですが、オオカミに育てられた子どもはまるでオオカミのような行動をするようになるのです。

 そういうふうに、人間が人間になるには、必ず教育-学習が必要です。

 そして、人間は、もちろん他の要素もありますが、言葉をもっとも重要な核として文化を教育-学習します。

 言葉によって大人から子どもへ伝達-教育されるものは、現代風にいえば「情報」です。
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 前回お話ししたことと重ねていえば、人間はコスモロジーをもつことなしには生きていくことができない、つまりまとまりのある言葉の束、システム化された情報をインプットされることなしには生きていけない生き物なのです。

 さて、赤ちゃん-子どもは、そうした情報をどこから得るのでしょうか? 情報源として、どんなものがあるか、考えて見てください。

 母親、両親、家庭……そうですね。これがまず最初の情報源です。

 それから?

 近所=地域社会、そうです。

そして?

 学校=教育機関、そしてマスコミ=報道機関……そのとおり。

 (最近、インターネットなど、従来と性質のまったく異なった情報源が出てきましたが、これはまだ幼児には使いこなせません。)

 敗戦直後の日本を考えてみると、①家庭と地域社会、②学校、③マスコミ(新聞、ラジオ、出版)のたった3種類が、コスモロジー学習の情報源だったのです。

 さて、日本人の「精神的武装解除」=大和魂の骨抜き=コスモロジーの剥奪と取替えを意図したアメリカは、この3種類のどれを押さえればよかったのでしょう?

 マスコミ=報道機関と学校=教育機関、そのとおりです。

 各家庭や地域は、押さえるにはあまりに数が多すぎて、実行不可能です。

 しかしマスコミと学校なら、十分、進駐軍=占領軍の司令部(GHQ)で押さえることができます。

 そして、実際、GHQは、報道機関と教育機関をみごとに押さえ、「精神的武装解除」を実行したのです。

 具体的にいうと、言論統制と教育政策(特に教育基本法、さらに特に第9条の②)という「情報操作」を徹底的に行なったのです。
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