今日、毎日新聞に「元気に年を取り活動的な生活を――サクセスフル・エイジング」という鳥越俊太郎氏と山野学苑総長の山野正義氏の対談が掲載されているのを、先に読んだ妻が教えてくれた。
その中で山野氏が、アメリカのとてもいい言葉を紹介していた。
Sunset is as beautiful as sunrise.
直訳するとこういう感じだろうか。
夕日は朝日とおなじくらい美しい。
暮から今日まで滝宮はわりに好天に恵まれ、毎夕、私の書斎から羽床富士・堤山の右側に沈んでいく美しい夕日が見える。
我が家の場合、朝日は他のお宅の屋根から昇るので、夕日のほうが朝日よりも美しい。
私は、お年を召された方にお話しする機会があるとよく「日本には〈老熟〉といういい言葉があります。私もそれを目標にしています。もしいつまでも変わらないで若いままだったら、老熟はないんです。老熟していけるんですから、変化していくこと・無常はいいことなんです」とお話ししている。
先の言葉を山野氏は「生きるほど美しく」と訳しておられ、実にいい訳だと思った。
年を重ねるにつれ、朝日よりも美しい夕日のようになっていきたい、と思う。
それには、もちろん日々の精進が必要なことは言うまでもない。精進波羅蜜多!
写真、とても美しい夕日だと思います。
精進して、生きた年月の長さほど美しい人間になりたいですね。
今年もがんばりましょう!
老成と通じ合うものなのでしょうが
微妙に意味合いが違うのかもしれませんね
こだわりながら生きてゆき
そのこだわりを捨てていくことにより
清々しく老いていきたいものだと思っています
コメント有難うございます。
かつての中国や日本では、老いは価値でしたね。年を取っているというだけで敬意を払われたものです。
老熟、老成のほか、そもそも老子は東洋思想の代表的存在でしたし、禅では老師は最高の尊称です。
時代は変わったといっても、創造性やイノベーションに代えることのできない老いの価値を体現した老人になれるといいですね。
なるほど、現代中国語では老師=教師なんですね。
無常=進化・成長というふうにできるといいですね。