日本再生は可能なのだろうか? 再録

2021年03月12日 | 持続可能な社会

 昨日は東日本大震災から10年の節目でした。

 ここのところ何人もの方から、「最近の危機的状況について、どう考えているんですか」とコメントを求められていることも併せて、一言書いておこうと思いました。

 といっても、筆者はこれまで繰り返し基本的には同じことを言ってきましたので、新しい話はありません。

 3・11の震災の後、6月に『日本再生の指針』(太陽出版)という本を出し、そこでまさにこれが震災後の日本再生の指針だと考えていることについて述べました。

 ゲラ刷りの段階で、元国立環境研究所所長の大井玄先生に読んでいただいて、光栄なことに「本書は、私がこれまでに見てきたものの中で、本当の『日本再生』に向けたもっとも的を射た指針である。」という推薦の言葉をいただきました。

 にもかかわらず残念ながら、これまでそれほど多くの読者に読んでいただくことはできていませんが、筆者としては、10年前にも「今こそ読んでほしい・読む必要のあること」を書いたつもりでしたし、今も変わらずそう思っています。

 そこで、10年経った今、新しい文章を書くより、もう一度「はじめに」を掲載して、読んでいただいたほうがいいと考えました。




 『日本再生の指針――聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』 はじめに

 三・一一の大地震―津波―原発事故以前も、これから日本はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろう、自分には何ができるのだろう、と不安・とまどい・問いをもっていた心ある市民・国民はたくさんいたのだと思う。しかし、とはいってもとりあえずしばらくは何とかこの日常が続くだろう・続いてほしいと思ってきたのではないだろうか。大震災以降も、被災地以外では元どおりの日常が戻ってきているかのような空気(実は錯覚だと思う)もある。

 しかし少していねいに情報を収集―分析していれば、このままでは日本という国が衰退―崩壊していく可能性は決して小さくないことに深い危惧の念を抱くことになったのではないか。それは、真実を知れば知るほど絶望に近い恐怖にまでに高まるはずだ、と筆者は考えている。

 リーマン・ショック、ドバイ・ショックの後、景気の低迷、政治の混迷は続いていて、三・一一以前も、実は日本の政治・経済・社会システムはそのままでは続かない、つまり持続不可能であることは、わかる人にはわかっていたのではないだろうか。自然資源の大量使用―大量生産―大量消費―大量廃棄―自然環境の大規模汚染・荒廃という近代の産業・社会システムがエコロジカル(生態学的)に持続不可能であることは、すでに多くの識者が指摘してきたとおりである。

 大地震―津波―原発事故、とりわけ放射能による環境汚染は、日本という国のそういう持続不可能性をあまりにも悲惨で明らかなかたちで私たちの目に突きつけたのだ、と筆者は解している。今までどおりではもうやっていけないのだ、と。

 震災以前から筆者は、日本をいかにしてすべての国民が安心・安全に暮らせる「持続可能な国」にするか、その道筋・大筋を明らかにするための探究を行なってきた。自分で言うのもなんだが、いわば「渾身の力を注いで」きた。本書は、その成果の主要なしかし一部である。

 日本という国の原点・出発点は日本初の憲法つまり国のかたちである聖徳太子「十七条憲法」にある。そこには、日本がどうすれば人間と人間の平和と自然と人間の調和に満ちた永続しうる国になれるか、国家建設の理念・理想と実現のための基本的方法が示されていた。

 しかしそれはもちろん古代のものであるから、現代に適用するには現代の産業・経済・政治・社会システムを具体的にどうするかのビジョンを加える必要がある。そして、国際自然保護連盟やOECDなど信頼しうる諸機関の国際的評価を見れば、「持続可能な国づくり」を計画的に着々と進めていて世界の先頭を切っているのがスウェーデンであることは定評だと言っていい。

 ならば、「十七条憲法」の「和の国・日本」という原点からスウェーデンの「エコロジカルに持続可能な国家・緑の福祉国家」というモデルの到達点へ、いわばぐいと直線を引けば、その延長線上に、これからの日本をどう再生・復興し、持続可能な国にしていくか方向が明らかになるはずである。本書は、そのことを七回にわたって述べた講義録である。

 元の講義および雑誌連載は、三・一一以前のものなので、原発のこと、復興のためのアイデアなどは十分書き込まれていない。しかしそれらをも含む「日本再生」の大筋を示す指針としてはこれで十分だと思う。そして、確かに絶望に近い状況ではあるが、こうした指針に沿って日本人が本気で行動すれば、まちがいなく希望も見えてくるはずである。

 ……と大上段に振りかぶった筆者の構えをどう受け止めてくださるかは、もちろん読者にお任せするほかない。

 (後略)



「日本再生」の指針―聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」
クリエーター情報なし
太陽出版




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2 コメント

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待てば海路の日和あり (おかの)
2011-09-12 10:45:04
>HIROさん

閉塞感、先が見えないという感じですね。

しかし、新学期、子どもたちは可愛いようですね。そこに希望を感じます。

大人たちがしっかりしなければ。

日本人は自然災害に対して、我慢して通り過ぎるのを待つという姿勢が根強い民族性になっているようです。

それは、プラス面とマイナス面があると思いますが、バックキャストできないという意味では、今の状況下ではおおきなマイナスとして働きそうだと危惧しています。

バックキャストのための指針、ぜひ読んでもらいたいと願っています。
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明るい話題を・・・ (HIRO)
2011-09-10 09:03:06
>明るい話題を見つけにくく…何を書くべきか…

震災から約6ヶ月。本当に、閉塞感を強めるような情報・事態が多く、明るい話題や気持ちにはなりにくいですね・・・
残念ながら、新政府に対しても不信感を強めるよう言動が見られます・・・

「我慢」について、自分のブログに書きました。失礼ながら、以下リンクです。
http://blog.goo.ne.jp/present-kairos/e/81550910c22aba14f46fd4bed6b9d289

日本人は我慢強い。我慢をしていれば、きっと良いことがある。そんな楽観視があるのかもしれません。

でも、活字を読む「我慢」は薄れているのでしょうね。
『日本再生の指針』、ぜひ我慢して?読んでいただきたいです。
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