原点と到達目標としての十七条憲法

2010年02月12日 | 歴史教育

 私が『聖徳太子『十七条憲法』を読む』(大法輪閣)を出した時、前々回の学生のように、「十七条と聞いて、「えっ」と正直おも」った人が多いようです。

 私自身、戦後の進歩主義的な教育を受けてきて、正直、自分がやがて十七条憲法の本を書くことになろうとは夢にも思っていませんでした。

 それだけ日本の戦後教育は、日本の精神的伝統を「忘れさせられて忘れた」ものであり、日本人のアイデンティティを見失わせるものだったということでしょう。1) 2) 3)

 しかし、縁あってその意味を再発見することができ、それは忘れてはならない日本の原点であり到達目標・国家理想であると思うようになり 4)、そのことを次の世代にもぜひ伝えておくべきだと考え、H大学では1年間の最後の4分の1を使って講義をします。

 そうすると、以下の感想文のように若者たちもしっかりと理解をしてくれるようです。

 こういう感想文を読むと、日本もまだ大丈夫だと思います。

                    *

 日本に閉塞感があると言われて久しいが、政権交代をしても、やっぱり変わらなかった。

 私は失望したが、この本を読み希望が持てた。

 偉大な聖徳太子のような人が現代にもいて欲しいと思った。

 (筆者注:この本とはテキストとして使っている『聖徳太子『十七条憲法』を読む』のこと)

   社会学部1年男子


 この本を読んで、聖徳太子という人物を知るのももちろん、日本の国家は何を目指すべきなのかを学ぶことができた。

 十七条の憲法はまさに理想の国のあり方であると感じると同時に、実践するのは非常に難しいことでもあると感じた。

 しかし、諦めてはいけない。理想の国家に向かって希望をもち、前に進もうとする力が現代に生きる私たちには必要だと思った。

 そして、そのことを教えてもらった授業にとても感謝しています。ありがとうございました。

    社会学部1年女子


 昔にこんな立派な人物がいたというのは、やはり日本はすばらしい国だと思った。

 我々は宇宙と一体であるということを学び、かなり衝撃的でした。

 この十七条憲法には、今、我々がどういう方向に進んでいけばよいか書かれていると感じました。

 いろいろなことに気づくことができたのは先生の授業のおかげです。

 何のために生きるのか? それをずっと考えてきて、先生の授業に出会って答えがはっきりし、自分が何をなすべきかはっきりしました。

 もやもやがはれてすごくすっきりしました。

 これからの日本をつくるのは僕たちなので、その自覚をもち、自分がやるべきことをしっかりやりたいと思います。

 1年間ありがとうございました。

     社会学部1年男子


 以上で「十七条憲法」の第一条から第十七条の構造についてまとめてきたが、では聖徳太子は何を一番に考えてこの「十七条憲法」をつくり出したのだろうか。

 それは国民の幸せだと思う。

 聖徳太子は自分のことを二の次に考えて、国民たちを一番に考えだ。

 そして自分の権力にもかかわらず、国民と自分を平等に考えた。

 現在の日本、いや世界中探しても一人いるかいないかの理想のリーダー像であろう。

 今、上で書いたことはこのテストの題である「十七条憲法」の構造とはあまり関係のないことではあるが、聖徳太子の素晴らしさに思わす感銘して書いてしまった。

 この日本にこのような素晴らしい人がいたことを素直にうれしく思いながら、さらに、将来このような人が現れないか、いや自分がこのような他人を思える人間に成長するんだと思わずにはいられなかった。

    社会学部1年男子


*拙著にも書いたことですが、今日本史の学界では、聖徳太子は歴史的に実在しなかったという説が主流(代表的には大山誠一氏のように)になっていることは承知していますし、学生にも伝えています。

 しかし私は、いわゆる「聖徳太子」が歴史的に実在したかどうかよりも、「十七条憲法」のようなすばらしい国家理想を掲げた文章が残っているという歴史的事実のほうが重要だと考えている、と話すのです。

 たとえそれが聖徳太子に仮託した藤原不比等の作文だったとしても、です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コスモロジーの肯定的変容2 | トップ | アインシュタインのつながり... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史教育」カテゴリの最新記事