あまり長い引用はかえって紹介になりませんが、幸い小室氏自身が、本書『日本国民に告ぐ』を書いた理由について、「自虐教育がアノミーを激化させる」という見出しで以下のようにまとめています。
このアノミーが、歴史始まって以来、比較も前例も絶して、いかに恐ろしいものか。縷述(るじゅつ)してきたが、その「恐ろしさ」は繰り返しすぎることはない。ここに、本書の論旨をまとめて開陳しておきたい。
本書が上梓される所以は、「謝罪外交が教育にまで侵入した」からである。日本の謝罪外交が本格的にスタートを切ったのは、昭和五十一年の「“侵略→進出”書き換え誤報事件」以後である。それから後は、日本は外国に内政干渉されっぱなし。中国、韓国などの外国が日本人の「歴史観が悪い」と言ってくると、何がなんでも「ご無理、ごもっとも」とストレートに謝罪してしまう。このパターンが定着した。
これを見て反日的日本人がつけあがった。「あることないこと」ではない。ないことをあることとして捏造して反日史観をぶちあげる。挙げ句の果てには、日本政府が平目よりもヒラヒラと謝って、反日史観が拡大再生産される。この謝罪外交は、日本の主権と独立を否定する。その謝罪外交が、ついに教科書に侵入した。
日本の教科書は、共産党の「三二年テーゼ」と、日本は罪の国とした「東京裁判史観」によって書き貫かれている。占領軍とマルキシズムによる日本人のマインド・コントロールは、ここに完成を見たのであった。
史上、前例を見ない急性アノミーが、これまた前例を見ない規模と深さにおいて昂進することは確実である。戦後日本における急性アノミーは、天皇の人間宣言と、大日本帝国陸海軍の栄光の否定から端を発した。これほどの絶望的急性アノミーは、どこかで収束されなければならない。
収束の媒体となったのが、一つにはマルキシズムであり、もう一つは、企業、官僚(組織)などの企業集団だった。はじめの外傷があまりにも巨大だったため、急性アノミーは猖獗(しょうけつ)をきわめた。
これを利用したのが占領軍である。占領軍は、日本の対米報復戦を封じ、日本を思うままに操縦するために、空前の急性アノミーをフルに利用すべく戦術を立てたのであった。アメリカ占領軍は、社会科学を少しは知っていた。日本人は、昔も今も、まったくの社会科学音痴いや無知である。これでは、勝負にも何にもなりっこない。猖獗する急性アノミーで茫然自失、巨大な精神的外傷(トラウマウ)で精神分裂症を起こしかけていた日本人に、マインド・コントロールがかけられた。
「巧妙な」と評する人が、あるいは、いるかもしれないが、実は「巧妙」でもなんでもない。「公式どおり」のマインド・コントロールであった。だが、公式どおりのマインド・コントロールでも、急性アノミーの渦中にいる科学無知の日本人にはズバリ効いた。受験勉強しか知らない偏差値秀才にカルト教団のマインド・コントロールが利くように――。ただし、占領軍によるマインド・コントロールは、「日本の歴史は汚辱の歴史である」と教育したために、日本の急性アノミーを、さらに昂進させた。
終戦後、当初の急性アノミーを吸収するはずだったマルキシズムは、昂進しすぎた急性アノミーによって解体されることになった。マルキシズムは、日本共産党を見棄てて新左翼に突入することによって、無目的殺人、無差別殺人にまで至る――これらはその後、特殊日本的カルト教団に引き継がれる――。前代未聞のことである。
新左翼が下火になってきた頃から、「家庭内暴力」さらにすすんで「いじめ」が跳梁(ちょうりょう)をきわめるようになる。いずれも根は同じ。ますます昂進していく急性アノミーである。急性アノミーの激化を助長したものは何か。一つには、友人をすべて敵とする受験戦争である。しかし、決定的なものは何か。致命的なものは何か。
「日本の歴史は汚辱の歴史である」「日本人は罪人である」「日本人は殺人者」であるとの自虐教育である。古今東西を通じて前例を見ない徹底した自虐教育である。
占領下で自虐教育を受けた人びとが、成長して今や要路にいる。これらの人びとが、内においては、無目的・無差別殺人を敢行し、外においては平謝り外交を盲目的に続けている。「親子殺し合いの家庭内暴力」「自殺に至る“いじめ”」を生んだのもこれらの人々である。
平成九年度から行われる究極的自虐教育。急性アノミーはどこまで進むであろうか。どのような日本人を生み出すであろうか。
(『日本国民に告ぐ』三三〇~三三三頁)
上記のようにまとめられた論旨が、本書全体を通してどのように展開していくか、細かいところまで紹介することはできませんが、以下のような章立てを見ていただくと、ある程度推測できるでしょう。
第1章 誇りなき国家は滅亡する――謝罪外交、自虐教科書は日本国の致命傷
第2章 「従軍慰安婦」問題の核心は挙証責任――なぜ、日本のマスコミは本質を無視するのか
第3章 はたして、日本は近代国家なのか――明治維新に内包された宿痾が今も胎動する
第4章 なぜ、天皇は「神」となったのか――近代国家の成立には、絶対神との契約が不可欠
第5章 日本国民に告ぐ――今も支配するマッカーサーの「日本人洗脳計画」
第6章 日本人の正統性、復活のために――自立にもとづく歴史の再検証が不可欠なとき
附 録 東京裁判とは何であったか
さて、私は、敗戦以後、日本人は急性アノミーの状態を脱出できていない、どころか急性アノミーは拡大再生産され、いまや極限的危機にある、という論点については、基本的に同感です。
しかし、もっとも議論の多い「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」については、自分でしっかり検証していないので、判断留保状態にあります。
また、日本が欧米の植民地になることを免れる上で、国民が一丸になるためのイデオロギーあるいはコスモロジーとして「国家神道」ないし「天皇教」が必要だったことも歴史的事実として認めます(他に代案はなかなか考えようがなかったでしょう)。
けれども、本書での小室氏の所説には急性アノミーに対する処方箋が示されていないところに、大きな不満を感じます。
他に、『日本人のための宗教原論――あなたを宗教はどう助けてくれるのか』(徳間書店、200年)や大越俊夫氏との対談・共著『人をつくる教育 国をつくる教育――いまこそ、吉田松陰に学べ!』(日新報道、2002年)なども読んでみましたが、決定的な代案はないようです。
それどころか、「私が以前、防衛庁で講演した際、手が挙がり、「小室先生、日本の沈没をどこかで止められませんか」とか、「日本はどうやったら治りますか。方法は?」とか相談を受けました時、少し間をおいてから、「方法はない!」とひとこと言うと、ワーッと会場が沸きました」といった発言を、冗談かもしれませんが、しています(冗談だとしたら悪い冗談です)。
それらしい発言は、『日本人のための宗教原論』で、次のように述べているところです。
世相はますます混乱の様相を呈している。宗教事件ばかりか、幼児殺人、少女監禁……、目を蓋わんばかりの悲惨な事件が引きも切らない現代日本。アノミーが解消されるどころか、ますます進行の一途をたどっている。日本が壊れるどころか、日本人が壊れてきているのだ。/新世紀、事態はさらに悪化するであろう。/ことここに至れば、日本を救うのも宗教、日本を滅ぼすのも宗教である。あなたを救うのも宗教、あなたを殺すのも宗教である。(三九六頁)
小室氏がどこかではっきり言っているどうか知りませんが(『三島由紀夫が復活する』とか『「天皇」の原理』などで、どう言っているのか、やがて確かめようとは思っていますし、ご存知の読者にはコメントして教えていただけると幸いですが)、こうした発言と「カリスマの保持者は絶対にカリスマを手放してはならない」という言葉を合わせて考えると、どうも「もう一度天皇教を」と考えているのかもしれません。
そうだとすると、私は反対です。
私は、日本の歴史を肯定できるかどうかの決定的ポイントは、好き嫌いをまったく別にして、否応なしに、日本の最初の憲法=国のかたちである――これは聖徳太子が歴史的に実在したかどうか、偽作であるかどうかに関わらない事実です――聖徳太子「十七条憲法」が、普遍的な根拠をもって肯定できるものであるかどうかにかかっていると考えています(拙著『聖徳太子「十七条憲法」を読む――日本の理想』大法輪閣、2003年、本ブログ「平和と調和の国へ:聖徳太子・十七条憲法」、を参照)。
そして、日本人が国民的アイデンティティを取り戻すには、「十七条憲法」とその根底にある大乗仏教の菩薩思想をベースにした「神仏儒習合」のコスモロジーの意味を、現代科学のコスモロジーと照らし合わせながら再発見することが、もっとも適切であり、不可欠でもある、と考えています(本ブログはそのための準備作業という面があります)。
ここで改めて言っておかなければならないのは、私の解釈では、これまで誤解・曲解されてきたのとは異なり、「十七条憲法」は「天皇教」のバイブルではありません。
そうではなく、菩薩的リーダーの指導による「平和と調和の国日本」という国家理想の宣言なのです。
そして、日本の歴史全体を「和の国日本という国家理想の実現に向かっての紆余曲折・苦闘の歴史」として読み直すことこそ、いわゆる「自虐史観」を根本から超えることになるだろう、と予測しています(その作業は水戸藩の「大日本史」編纂のような大変な作業で、私が個人で出来るとは思いませんが)。
小室氏の著作は、これからもう少し読んでみようと思っていますが、以上が私の現段階での暫定的コメントです。
読者からの「荒らし」ではない、建設的なコメントをいただけると幸いです。
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人間が年齢とともにどのように成長していくかについて考えれば、おのずから教育とは如何になされるべきかということが世の中の全ての人々に分かる形で教育基盤が固まると思うのです。
おっしゃるとおり、人間の成長段階とそれにふさわしい教育の在り方についての関心-認識が(も)薄いと思います。
詰め込み教育、ばらばらコスモロジーの教育、国民的アイデンティティを形成できない歴史教育などなど、現代日本の教育については、私も不満だらけです。
どこから、どう変えていったらいいんでしょうね。いろいろ模索中です。
「国家神道」という言葉は、私たちが受けてきた教育からはひたすら暗く危険でいわば「諸悪の根源」ということにならざるをえません。
ここを突破できないと、書いておられる危機を乗り越えられないと読んで感じました。いわば私たちは敗戦後日本の歴史に黒々と墨を塗って読めないようにしてきたわけですね。
本当にお先真っ暗・衰亡・滅亡を予感させられる昨今です。
一般にほとんど自覚されていませんが、集団・民族・国家の歴史を忘れることとはプライドを喪失することであり、魂を見失い連帯が破壊されることというのはなるほどその通りだと感じました。
とくに小室氏の叙述の仕方には若干「奇矯」な感じも覚えましたが、問題意識は直球ど真ん中だと思いました。「ヒトラー・フロイトの定理」とは恐ろしくも鋭いものを感じます。以前いただいた児島襄氏の『太平洋戦争』(上)に、マレー・シンガポール戦の英軍が、侵攻側の日本軍を数倍する兵を擁していながら、最高指揮官の自信の欠如によって敗走した例が思い浮かびます。
一方、硫黄島の日本軍は圧倒的な物量的劣勢にもかかわらずアメリカ海兵隊に徹底的な出血を強要し文字通り「死ぬまで戦った」のは、その逆の例証なのではないでしょうか。
城山氏の小説もぜひ読んでみたいと思いました。
小室氏も「ウィキペディア」で見る限り軍国少年だったとのことで、本書の叙述もなるほどと思いわされました(その弟子にかの宮台氏がいるというのが意外というかなるほどというべきか…)
引き続き拝読できることを楽しみにしております。
このミーイズムの正体を急性アノミ-という社会学の概念、心理学の概念で把握した小室氏の
視点に目のうろこが取れました。
しかし、「急性アノミ-が発生すれば、茫然自失、冷静な判断ができなくなり、社会のルールが失われ、無規範となって、合理的意思決定ができなくなる」訳ですが、敗戦直後の茫然自失状態はまさに急性アノミ-そものでしたが、その後の日本国家・日本社会の全体状況は、極めて不健全な状態で死にいたる病に取りつかれているようですが、茫然自失状態とは言えないと思われます。
小生は、小室氏の概念に啓発されながらも、現状は急性アノミーと慢性アノミー(小生の思いついた勝手な概念)との混合だと思います。
したがって、治療法は、小室氏が提言する急性アもノミ-の視点を踏まえた治療法(小室氏もまだ提示されていないようですが)だけでは、問題は解けないと思います。
岡野先生の「ばらばらコスモロジーに基づく無神論からエゴイズム、快楽主義が発生し、その緩やかな現象がミーイズムだ。つながりコスモロジーの普及(日本の優れた精神的遺産と現代科学によるコスモロジー統合)によるこころの発達促進と、正しい理念・ビジョンの提示による理念追求型政治の推進こそ治療の王道だ」と言う視点は、小生の勝手に名づけた慢性アノミ-に対する正しい治療法だと思いました。
しかし、急性アノミ-に染まっている人々への治療法は、上記の正攻法とは異なる視点で治療法を構想することが必要ではないかと思います。ではどうしたらいいのかは、まだわかりませんが。
コメント、有難うございました。
小室氏の分析はみごと当たっていますね。
しかし、病因をつきとめたら、次の課題は治療法の開発ですが、小室氏にはその提案があるのか、ないのか……松陰に帰れ、くらいのようです。しかし、松陰に帰るということは、結局、国家神道に帰ることになるので、それは無理だと思われます。
私は、帰るなら聖徳太子「十七条憲法」だと主張してきましたが、なかなか日本国民に届かないのは、どうしたものでしょう。
これから、考えましょう。茹で蛙にならないよう間に合うかどうかが問題ですが、前途良縁とポジティヴ・シンキングでやっていきましょう。
ぜひ、今後とも一緒に考えてください。